第六十三章 南蛮吹き

 斉藤氏の居住する赤田城は標高百六十四メートルの城山にある。東西七百メートル、南北四百五十メートルにも及ぶ大規模な山城である。本丸、二の丸、三の丸の他に西出丸と東出丸を有する。


 頂上から五方向に尾根が延びている。五つの尾根に曲輪を設けたので上から俯瞰すると、ヒトデが長い触手を五本伸ばしているように見える。ヒットラーの鉤十字・ハーケンクロイツを連想する人もいるかもしれない。


 要所に堀切、竪堀、櫓台、虎口をもうけ、おびただしい腰曲輪、切岸や堀切を箱堀にして上幅が三十メートルを超えたりと高度化を図り、難攻不落の要塞となっている。近くに砦があることの安心感は代えがたいものがある。

 

 選定した敷地に精錬する建物と保管する蔵を建てた。ちかい将来に銅貨を鋳造したいので、その建物の配置も検討してプラニングした。


 南蛮吹きは住友家に伝わる家伝書から引用されて名が付いた。名前からすると南蛮の技術を取りいれたように聞こえるが、日本独自の手法である。名前の由来は対外的なハッタリの可能性がある、カタカナ語に有り難みを感ずるのは前の世でもあったこと。


 粗銅に含まれる銀を抽出でき、且つヒ素やアンチモンなどの不純物を除去できる特徴をもつ。銅と鉛の合金を熱し、これを圧して融けた鉛を絞り出すという方法がとられた。


 たたら製鉄が鉄製品の原材料としてさかんに製造されていた。たたら製鉄の融点は1200℃から1300℃なので、鍛冶職人は高温度で溶解している金属の取り扱いに習熟している。遣り方さえ、きちんと説明すると、こちらが心配することもなく坦々と作業をこなしてくれた。


 鉛をつかうことで銅にふくまれた銀は、融けた状態で銅から鉛へ移る。鉛と銅は融点が違うので、銅が融けない温度で鉛だけ分離できる。また融点の温度差が大きいので分離作業が容易である。銀を含んだ鉛は、すでに完成している技術の灰吹法で銀を分離できる。この原理で銅から銀を抽出して、純度のたかい銅を作る。


 第一段階は銅と鉛を混合して合金を作る(合吹) 炉は日本で普通に使われる溶鉱炉を使用する。耐火性粘土と木炭を焼いた灰を塗って、直径四十センチ深さ三十八センチの形状の炉をつくる。炉のうしろに普通の吹子を設け、粘土製の噴気管をとおして風を送る。


 鉛の量は銅が四、鉛が一の割合が多かった。炉の底に炭火を置き、木炭で充填する。その上に棹銅を置き、さらに木炭を積む。風を送って炉の状態を見ながら棹銅や木炭を追加する。すべて棹銅が溶解したら火を掻き出す。銅塊の表面を掃除したら鉛を加えてよく混和する。


 長い柄がついた直径十センチくらいの鉄頭をこの合金に差し入れて引き揚げ、これを水中に投げ入れる。これを反復して炉中の銅をすべて取りつくす。この作業を一日、六回から七回くり返す。


 第二段階は合金を加熱して鉛を絞り出す(南蛮吹) 銅の融点は1085℃、鉛の融点は327℃の違いを利用する。炉は本体と前炉のふたつで成る。本体は短形の箱形で、高さ一メートル二十センチ奥行き一メートル十センチ幅二メートル七十センチある。前炉は高さ七十センチ、幅二メートル十センチ、奥行き九十センチで長楕円を四分の一に分割したような形状になっている。


 内部は直径四十六センチ、深さ三十三センチの半円形状の穴がくり抜かれ、底は前炉へすこし傾斜し融解物が流れ出るよう勾配がつけてある。前炉の底もおなじ勾配で一直線となるよう高さを合わせる。前炉の溝は浅く突き出ていて、下に浅い穴があって、流れ出た鉛を貯める。


 本体の炉底に先ほどの合金を置き、炉内を木炭で充填する。本体と前炉の間に耐火性瓦を置いて半閉じにして流れ出る量を加減する。職工は前炉の前に台をおいて着座する。送風の量を加減して火勢をコントロールする。


 本体から前炉に押しだされた鉛と海綿状の銅を見極め、鉛は下の浅い皿へ、銅は打ち、または圧し本体へ押し返す。この道具は長さ一メートル四十センチ直径五センチの木の棒で、先にT字型の鉄製で出来た長方形の板がついている。ちょうどグラウンドを均すトンボのようなイメージ。


 温度が下がって鉛が流出しなくなると、海綿状の銅を本体の高熱部へ押し返して、再び粘状する。流れ出た溶解物を前のように打ち、圧して鉛を下へ流す。この繰り返しを二時間半ほど行う。一日三・四回作業をくり返した。


 鉛の量が少ないので銀の歩留まりは六割くらいと推定される。二度南蛮吹きを行えば八割五分ほど吸収率が上がると思われるが、これも経済的に採算が合うかとの問題に帰する。


 中世ヨーロッパでは銅にたいして二倍から四倍の鉛を加えていた。日本では鉛の産出量が少ないので、取りだす銀の量との兼ね合いで、妥協せざるを得なかった。


 第三段階が鉛を酸化・融解して灰床に吸収させて銀を残す(灰吹き) 石見銀山では凝灰岩製の坩堝るつぼで焼いた。凝灰岩は比較的もろく多孔質の特徴をもっている。この坩堝で焼くと、融けた鉛が凝灰岩の孔に吸収されて銀だけが濃縮されて残る。何度かくり返して銀の濃度をあげると直径五ミリメートルほどの銀粒ができる。


 ここでは骨灰で作ったキューペルと呼ぶ皿をつくる。この皿の上に先ほどの鉛を上に置いてゆく。木炭に空気を送りこみながら850℃に加熱する。鉛は酸化鉛となってキューペルに吸収される。キューペルは多孔質なので酸化鉛を吸収できるが、金や銀などの液体金属は表面張力が大きくて多孔質に入り込めないで大きな粒となって残る。


 日本各地の棹銅を試したが、豊後と越後の草倉は銀の含有量が0.08パーセントで採算に合わなかった。その他の土佐、羽前、備中、飛騨は含有量が0.09~0.65パーセントあって充分ペイした。


 この方法で精錬され純度がたかい銅と、掘る手間がいらない銀が手に入ることになった。 


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