第六十章 地動説

 地球が丸いことを証明する一番かんたんな事は海へ連れてゆくこと。二ケ月に一回の頻度で自宅に泊まらせている。自宅から四百メートルほど海へむかうと、砂浜の端につく。目の前は日本海、真北に佐渡が横たわっている。七十キロも離れているだろうか。


 直江津湊から北国船が北陸、その先の畿内と交易している。向かいの佐渡、そして奥羽地方にもさかんに船が出入りしている。北国船は最小で五百石積み、乗員は十二名ほどで操船している。帆柱の高さは十四メートルくらい。


 最大では千六百石、乗組員は二十七名前後が標準だ。綿の帆がないのでむしろ帆で、逆風や横風の帆走が出来ない。順風で後ろからの風をはらんで進むしか出来なかった。帆柱は船首側に立てられ、船尾側が多い一般の船と逆だ。帆柱の高さは二十二メートルほど。


 風がないときの推進力は、櫓でなく櫂で漕ぐ方式を採用していた。逆風で櫂を漕ぐのはキツい仕事なので、大抵は日和待ちをして微風か順風になるのを湊で待機することが多い。


 春の海でひねもす海を眺めていると、能登半島や佐渡島の沖合に北国船の往来が見える。水平線の向こうから近づいてくる船は、まず帆の先端から姿をあらわし、徐々に船の全体像が浮かび上がってくる。向こうへ行く船は最後まで光景に残るのは帆柱の先端である。


 これこそ地球が丸いことによって起こる現象、丸い地球によって船が隠れてゆく事象である。視野いっぱいに水平線が見える時は、左右の端にある水平線と真ん中の水平線を比べると、真ん中が盛り上がっていると感ずることもある。測量の水準器を使うと、ハッキリと視認できるだろう。


 海を虎殿と眺めながら地球が丸いことは話す。

「それなら反対側に住む人が落っこちないのは何故でござる?」

もっともな質問だ。定番の質問でもある。

「地球は重力という目に見えない強い力で中心に向かって引っ張っているからだ。

瀬戸内海という周りを陸地でかこまれた海がある」

と地球儀で位置を教える。

「この海は幅がせまいので、モロに重力の影響をうけるんだ。太陽と月と地球が一直線にならぶと、太陽と月の二つの重力が合わさって、海を持ちあげてしまうほどの力がある。先生の二人分くらいの背の高さまで海の高さが上がってしまうほどだ。幸いといったら良いのか、目の前の日本海は広いので、海面が持ち上がってもわずかしかないので気がつかない。目に見えない重力だが、海全体を持ちあげるほどの力を秘めているのだ」


 その前に太陽を中心に地球が回ってること、月が地球を中心に回っていることは話さなくてはならない。僕は教師に向いていないと認めざるを得ない。


「虎殿はお日さまが毎日、東から昇って西に沈むと思っているだろう」

「それは当たり前のことでございましょう」

「本当はな、太陽が中心にいて、その周りを地球が回っているのだ。これを公転といって三百六十五日かけて元の位置に戻る。この一巡りが一年となる」

「ふーん」

「地球はそれ自身がコマのようにクルクルと回っていて、自転と呼んでいる。太陽に向かっているときが昼で明るい。影になるときは夜で暗い。一回りしたら一日、それを二十四で割って一時間。ああ、こちらでは十二で割って一刻か、明けの六つ・暮れの六つと呼んでおるな」

「昼と夜が、そのような仕組みで動いているとは」


「地球はこのように傾いて回っておる。夏は傾きが太陽にちかい位置のときで、冬は反対に太陽にとおい位置のときだ。春と秋はその中間の位置だ。この傾きがあればこそ、春・夏・秋・冬の四季がうまれる。うまく出来ているだろう。何がこうした秩序をもたらしたか、先生でもわからない」


「太陽や地球が空に浮かんでいたら、その外はどうなっているのでしょうか?」

「良い質問だ。先生も虎殿の年ごろに疑問を持ったことがある。真っ直ぐ、どこまでも真っ直ぐ空を突き進んで行ったら、どこに行き着くのだろうか」

「行き止まりはあるんですか?」

「残念ながら先生の時代でも分かっていない。ただ空、宇宙と呼んでいるが、は今の瞬間でも膨張をつづけているのは確からしい。虎殿や、我々が生きている宇宙の外に、別な何もない世界があると想像できるかい。底知れない深い穴をまえに、先生は立ちすくむ。膨張している先に何があるんだろう。人間が知ることもできない、別の空間があるなんて...... 先生は身震いして考えることを止めてしまう」

「先生が知らない世界があるんだ」

「はっはっ、こんな考えが浮かぶのは、気持ちに余裕があるときだ。普段は目の前の出来事に汲々している自分がいる。学者の先生たちが一生けんめい考えてくれるだろう、と達観しながらね」

「虎もちょっと想像したけど、恐ろしくなる」


「子どもの頃は、自分が中心になって周りがあると考えている。自分が住んでいる大地が宇宙の中心で、太陽や月・星が自分の周りをグルグル回っていると考える。それを天が動くから天動説と呼ぶんだ。それに対して太陽が中心で、住んでいる地球が周りをまわっていると考える、これは大地が動くから地動説とよぶ」


「この問題は地球や太陽という問題だけで済まない。虎殿も先生は自分に教えてくれる人、ご住職は仏のおしえを自分に教えてくれる人と考えているはずだ。しかし大人になると、広い世界の存在を知って、自分はその一部と考えられるようになる。もっとも大人になっても、自分中心の考えから抜け出せない人もおおい」


「虎殿、越後の国は、地球からみると針の先しかない。日本という国も、大陸の際にへばりついているに過ぎない。世界は広いんだ。虎殿が勉強している仏教は、この三角形の形をしたインドで生まれたお釈迦さまの教えだ。中国、朝鮮、そして日本に伝わってきた。いずれも日本と比べものにならない大国だ」


 一回ですべてを教えることなどできない。今日はこの位にして波打ち際で走りまわって遊ぶ。


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