第三十一章 神仙の水

「白粉の無鉛化は時間がかかるから、当面の売り込みに化粧水の良いのがないかしら? これも心細くなってきているの」

「化粧水としてヘチマの水がよく使われています。ヘチマの水は茎の根元から一尺から二尺の長さに切って、瓶のなかに挿しておきます。すると沢山の水が出てきますが、混じりけのない白い水でございます。美人水とよばれ評判がよろしゅうございます」


「これも商売のネタになるんじゃないかな。単に美人水だけでは印象がうすいわ。

両親に連れられて環境省・名水百選に選ばれている『龍ヶ窪』へ行ったことがあるんだ。長岡から信濃川上流へ向かって六十キロだから十五里ほど登ったかな...... 龍ヶ窪神社の近くに神秘的な湖があって、透明度がたかく底まで透き通ってみえた」

「たしか十日町の先にあると聞き及んでおりまする」


「この水を土台にして、先ほどのヘチマ水を溶く。これに数種類の香料をくわえて香りをつける」

「名前はズバリ『おしろいのよくのる薬』 宣伝文句は、『神仙の水。ニキビの大妙薬、ひび、しもやけ、顔のできもの、すべてによし。きめをこまかにして、つやを出す。暑気にも此のおしろい、よくのりてはげず、色を白くするに此の水ほかにたぐいなし』 

たんに化粧水とせずに、おしろいがよくのり、はげない薬、と宣伝するところがミソなんだ。」


「これを瓶詰めにして箱にいれる。一個四十八文(凡そ千二百円)。きっと女性たちは嬉しそうに『神仙の水』を顔につけると思うよ。『美しくありたい』は常に変わらぬ女性の心理だ。あなたたちも、その心理につけこんで商売をしているんだろう」


「とんでもありません。ただただ、美しい方を増やしてさしあげたい、その一心でございます」

番頭が手ぬぐいで額をぬぐっている。


「あなた、どこでそんな知識おぼえたの?」

小声で

「元ネタは式亭三馬で『浮世風呂』や『浮世床』など滑稽本をかいた戯作者なんだ。この化粧水を自分の作品に登場させてベストセラーにさせたんだ。マッチポンプの先駆けだね」

「これから越後では金がいくらでも必要になる。お主らもドンドン儲けて税金を沢山おさめておくれ」


「税金?」

まだ消費税はないんだ。基本的に商工業者の儲けにたいする課税する手段がない。

固定資産税のたぐいはあるが、所得の捕捉は不可能といって良い。信長も堺の町衆に二万貫の賦課金を課したが、ぜんいんに網をかぶせただけで個々の商人がいくら負担したのか把握していない。今井宗久ら町衆の取りまとめ役が、負担金を身代に応じ割り振って納めたんだろう。なにか良い智恵がないものか?


「九郎殿、『おしろいのよくのる薬』は香りを何種類か試作品をつくって、女性の好みを探ったら面白いとおもうわ。番頭さん、日本原産の野バラやハマナスや中国渡来のバラはありますよね。バラや椿や柑橘系の香りは、それぞれ特徴があるから、好みの香りを選べるようにしたらどうかしら?」

「そりゃあ、いい考えですね。きっと売れる商品ができますよ」


「おまえ、香水はどうなんだろうねえ......」

ようやく平静な声で呼び名を呼べるようになった。


番頭が

「雅やかな時代に香りをたのしむ香道という文化があったそうですが、殺伐な近ごろではスッカリ廃れてしまいましたね。ただ衣類に香りを移したり、匂い袋を袖に忍ばせるお客さまがいらっしゃいます。繊細な料理では非常に香りを気にしますので、あまりお買い求める方は少のうございます」


「わたしはせいぜいオーデコロンを一吹きするくらいで、あまり使わないわね」

「じゃあ、神仙の水も薄い香りの方が万人向けするのかな?」


「ともあれ越後の名産や特産品をたくさん作って、全国をあいてに交易で稼ぐ。さいわい航路が出来上がっているから、あとは売れる産物を見つけ作ることだ。軍事の面では大した貢献ができないから、せめて内政で財政をうるおして虎千代さまをお助けしたい。

その点で人口の半分は女性だ、莫大な購買力を秘めている。ここをターゲットにするには、お主たちの商売が大いに関わってくる。こちらも創意工夫するから、そちらも良い考えをぜひ出して欲しい」


「そうだ、小間物屋なら石鹸もあつかうか......」

古倉さんが話しはじめた。

「お肌に良いというので手作り石鹸に挑戦したことがあるの。重曹と米ぬかと水だけが原料だから、苛性ソーダが必要がないわ。昔の人は銭湯で、米ぬかで体を洗っていたと読んで、お肌に優しいのかと思って挑戦してみたの。使ったあと、ずっと肌がしっとりして気持ちが良かったわ」


「ただ、今の時代に重曹が手に入るのかな? ふくらし粉だよね」

「そうか、劇薬に指定されている苛性ソーダより手に入りやすいと思ってたわ」


「うん、重曹だから重曹泉でも取れるわけだよね。冬になると両親と黒姫スキー場に何回か行ったことがある。そばに黒姫温泉があって一泊二日の旅が多かったな。

温泉分析表が張ってあって重曹泉だった。ペーハーが八点三だったかな。かなりの

アルカリ性だよね。説明書きに、近くの湿地帯に赤みを帯びた水が自然と湧出しているとあった。ただ湯温が十四度とあって、沸かし湯かよとガッカリした思い出がある。ただ母は肌がツルツルするとご機嫌だったね」


母の顔を思いだして目がうるんできた。

「野尻湖の湖岸から西へ三百メートルくらいしかなかった。春日山城の麓をとおる加賀街道を南下すると野尻湖の湖岸に出る。ホテルの場所は記憶に残っている。その水を乾燥すると、重曹の粉末を得ることが出来ると思う」


 番頭や手代に、けっこうカタカナ語を使っている。自分たちが知らない言葉が出てくるが、雲上人の公家さんが使用なさる言葉と考えてくれると願うしかない。もっと自重せねばならぬ。


ながく話し込んでしまった。やっと一日目が終わった。名産品作り、特産品作りは今後の領国運営における大事な柱の一つだ。じっくり手間暇かけて育てあげなければならない。





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