第二十九章 おぼこ卵と巾着
陶芸の親方と話しがはやく終わったので、時間があまった。前から気になっていた件を荒浜屋に聞く。
「私たちのために家を追い出されたお妾さんはどうしてるんでしょう?」
「ああ、気に召さるるな。あいつは籠の鳥では我慢ができなかった。男たちにチヤホヤされている方が楽しいらしい。繁華街の近くに手頃な料理屋を見つけてやった。今じゃあ女将として張り切って切り盛りしておるわ」
「それは良かった。商売もうまくやっているでしょうねえ」
「うーん、そう言えば何か店のウリが欲しいと言ってたなあ。田舎料理だけでは今ひとつ客をよべないと悩んでいた」
「あなた、それならテンプラをメインにしてみたら?」
反応がない。
「ああ、そうだね。ただ菜種油を製造するのに時間がかかるから、つなぎのネタが欲しいね。何がいいかな?」
「では、おでんはどうかしら?」
「おお、味噌つきの田楽豆腐がちかごろ上方から入って評判のようじゃのう」
と荒浜屋が乗ってきた。
「ああ、焼き田楽ですね。私たちが考えているのは煮汁で煮込む料理です」
「ほほう、面白そうだな。じゃあ、ちょっとお浜をよんでこようか。造り方を伝授してくれないか」
「お浜さんと仰るのですか。私たちもちょっと、追い出してみたいで心苦しいところがあります。助けになるなら いくらでもお手伝いしますわ」
「そうと決まれば早いほうが良い。使いを出してと、おっとっとう...... いくらなんでも我が家では無理だ。奥の頭に角がはえてくるわ。こっちから出張ってゆこう」
番頭に一刻ほどで戻るから、次の職人は待たせておくよう伝えた。
昨日もどってきた道をふたたび歩む。橋をわたって繁華街に入る。店は街道と平行に走っている南側の通りにあった。やはりメイン通りより奥まった方が酔客は安心して散策できる。入母屋風の茅葺きで、麻布を藍で染めた暖簾がかかっていた。
格子戸をあけて九郎殿が奥へ向かって声をかけた。
「お浜、おるか?」
「はーい、ただいま」
とたすき掛けした二十代はじめの女性が奥から顔をだした。
「あらっ、旦那さま」
そこで連れの僕たちに気付いて、いぶかしげに九郎殿に目で問いかけている。
「今日はいい話をもってきたぞ。商売繁盛まちがいないネタだ。こちらがお浜と申す者です。お浜、こちらのお二人は永倉先生と奥さまだ」
「あらっ、お噂はかねがね伺っております」
うむ、皮肉の一言も言いたくなる気持ちはわかる。
「おまえも男どもの世辞や甘い言葉に、すっかり女っぷりに磨きがかかったのう。こりゃあ、惚れ直すかもしれんぞ」
「あらまあ、心にもない戯れ言を言って」
と恥ずかしそうに九郎殿をピシャリと打った。戯れはお二人だけでやっていただきたい。
「ゆっくりもしていられない。話しはおでんのことよ」
「この界隈でも焼き田楽をはじめた店がでてきたわ」
「そこじゃ、こちらの先生が煮詰めるおでんを教えてくれるそうだ。大層おいしくて客の評判になるぞ」
「そりゃまた、うれしいお話しね。ぜひ教えてくだされ」
と頭をペコリと下げた。こんなお茶目な気性が客を喜ばせるのかもしれない。自然に具わる愛嬌がある。
「本来は四角い銅製の鍋をつかうのですが、当座の用には間に合いませんね。大きめの鍋で代用するしかないでしょう。無かったらご飯を炊く釜。ただ底が平らでなければ串の高さが揃わないので底に沈める蓋を考えなければなりませんね」
古倉さんが煮込む材料を列挙した。
「まず出し汁が重要です。鰹節はあるかしら?」
反応がない。まだ出来ていない。
「小魚では鰹節のような上品な味はでないけど仕方がないわね。コンブはどうかしら? それに椎茸を煮て澄んだ汁をとるのが第一段」
「煮込む材料は大根、皮をむいて厚さ二寸弱にざっくり切る。豆腐やこんにゃく、そして里芋も美味しいわ。厚揚げも出し汁が染みこんで良い味になるわ」
「卵もおいしいですね」
と僕がつけ加える。
「卵ですと? あのう刻を告げるニワトリが生む卵? そりゃダメだ。祟りがくる」
九郎殿もお浜も滅相もないという顔つきをしている。
「雌鶏だけ隔離して育てます。雌鶏は卵をうみますが無精卵なので抱いてもヒヨコは生まれません。抱いても腐ってゆくだけです」
「ですからヒヨコが誕生する卵でないので、食べるのに心理的な抵抗は少ないです。
卵を食べるなといったら、魚の卵はどうします? あれらは皆、小魚となり成長した魚を網でとって食べていますね。魚かニワトリかの違いで理屈には変わりはありません」
「そうは言っても、昔から食べるものじゃ無いと育てられてきたから、お客も気味悪がって食べないじゃないかの...... 」
「そこで仕掛けを作ります。男性には利くでしょう。
「真夏にウナギの蒲焼きが売れなくて困った かば焼き屋が、平賀源内という先生に泣きつきました。源内先生が『本日土用丑の日』と半紙に書いてやったら飛ぶように売れたという故事があります。客をよびこめる宣伝文句を考えれば良いのです。卵はもともと美味しい食べ物ですから、いちど食べてしまえば病みつきになりますよ」
「そんなものかね。先生がおっしゃることだ。間違いないぞ、お浜。試してみるか?」
「そうねえ、やるだけやってみるわ。造り方をもっと詳しく知りたいわ。どうか時間をとってくださいまし」
「私は料理の素人だから、どこまで出来るか分からないけど、思いだすかぎりの手順を書き上げてみるわ。さっきの厚揚げも、そのままでも美味しいけど。中を裂いてニンジンやヒジキやお餅など詰めて、こぼれないよう干瓢で結ぶか爪楊枝で縫うように閉じるの。巾着と呼んでいるわ。お財布でつかう巾着のように紐で入り口を絞るようにね」
「入り口をしぼる巾着ね。お浜、それは絶対お品にいれろよ。お前の巾着は忘れられんぞ」
「なに、真っ昼間から恥ずかしいことを言ってるの?」
と顔を赤くして下を向いてしまった。
「うん?」
意味がわからず古倉さんと顔を見合わす。見えないと思っているのか、お浜さんが九郎殿の手をギュッと抓っている。
「私から提案してよろしいでしょうか?」
「どうぞ、どうぞ何なりと」
お浜さんが救われたように、愛想良く返事をした。
「お店の間取りをすこし変えられたら如何でしょうか?」
と居酒屋のイメージをおもい浮かべて描いてみた。長いカウンターをつくりイス席にする。向かいに調理場をおいて、おでんを煮ている鍋をみせる。後ろに棚を作って酒瓶や徳利をならべる。カウンターの反対側にテーブルを三つくらい設置して、四人が取り囲むイスを置く。
店の奥に大小の部屋を作って、グループ客が集まりやすい空間を設ける。暖簾の色はもっと派手な柿色にして「おはま」でも良いから屋号を染め上げる。
「なるほど、店の場所が通りからすぐ分かる。客と対面して料理をつくりながら話しもできる。お浜なら客あしらいが上手だから、きっと人気がでると思うな」
「まず養鶏場を作らねばなりませんね」
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