狂気な彼女は何回でも俺を殺しにくる
コルフーニャ
第1話 「転校初日」
「なんだこれは?」
理科室にあるテーブルには一枚の紙が置いていた。
それは長い文に哲学的な文章で、正直読むに値するのか考える程に長い…。
(恐怖とは何だろうか…。
叱責された時、責められた時、いじめられた時、恐怖映像を見た時、生きている限り誰でも一度は体験した事があるはずだ。
恐怖を感じると身体の動き、思考能力を鈍らせる作用がある。
上司と部下の関係でも恐怖するあまり精神的に追い詰められ、鬱病に陥り自殺するなんてケースが昨今では話題になっている。では我々人類はどのようにして恐怖に立ち向かわなければならないか。
これを書いている私も昔はとても奇妙な人生を過ごした事がある。あまりに奇妙な話なので誰も信じはしないだろうが。まあ一旦その話は置いておき、小学生の時の話でもしよう。
誰でも一度は恐れた事があるであろう真夜中の小学校、昔の私もお化けなんかが出てくるんじゃないかと思いながらも警備員の人に鍵をもらい恐る恐る教室に忍び込んだ事がある。教室までは三階の最奥側と一人で行くのはとても勇気がいる。教室まで頑張って入った私は無事忘れたプリントを持ち帰える事が出来た。しかしその時に私を襲うお化けはおろか、ねずみの一匹すらそこに現れる事はなかった。
一件当然の事を言っているが、何が言いたいかいと言うと真夜中の薄気味悪い学校は幽霊の巣窟なんかでは決してなく、人間が勝手に作り上げた恐怖だけがつまったただの建物に過ぎないのだ。幽霊が出る、何かが襲ってくると思っていたそれは、結局の所全部私が勝手に思い込んでいた被害妄想にすぎなかったのである。では恐怖の実態とはなにか、それは恐怖そのものである。そしてこの事は当時小学生だった私だけに言える事じゃない、皆が抱えているその恐怖に対しても一様に言える事なのだ。恐怖に立ち向かう、私が最初いった言葉はこうだ。結論から言うならば恐怖に立ち向かう必要などは一切ないのである。恐怖は所詮恐怖、それが答えだ。そしてそんな恐怖の呪縛から解放される方法が一つだけある。その方法は―――)
「しね」
「おええええ……」
朝目覚めた瞬間、体内から強烈な吐き気を催した。トイレまで行く気力はあったが、トイレに着いたと同時に安堵感から水面に大量の汚物を吐き出る。俺は死んだ、強烈な痛みは消えているが精神的な部分での痛みはまだ残っていた。何者かに包丁を腹に奥深くまで刺されたはずだ、だが不思議と傷跡は残っていない。
冷えた包丁が刺さる感触、強烈な痛みがしっかりと未だに脳裏に焼き付き、そして何より恐怖…それが頭に延々と反復し続け、脳から体内、更には足の指先までにひしひし伝わるのを感じた。恐怖の余り反射的に腕を組んでしまう、両方の手で腕を抑えていた。震えが止むことはない。
次第には自宅の洗濯機のように身体がガタガタと震え始め、かかとが宙にへと浮き上がる。そして勢いよく地面にかかとが落ち、また宙に上がり、地面に落ち、それが反復するかのように繰り返されていた。地面からはドンドンと強烈な音が響き渡っている。
「にいに」
足音に気付いたのか、二階まで駆け足で妹が上がってくる。どこかに隠れようと試みたいが体が全くと言っていいほどいう事を聞かなかった。
「来るなっ!!!」
自分の怒声が響くと共に体の震えが次第に止まり始める。声が響いた直後、階段に上がる妹の足音も止まる。きっと怒声に驚いたのだろう、普段はこんなに大きく怒鳴る事は無い。
「お母さんが今日学校だって、だから早く降りてよ!」
階段を下りる音が聞こえてくる。やはり理不尽な怒声を聞いて怒ってしまったのだろう。
便器にある汚物は流し、一階下りる。リビングに入るとまだ黄身が固まってない半熟の目玉焼きに、コンビニで買ったと思われるクロワッサンとグラスに入った牛乳が置かれていた。テーブルの方ではむしゃむしゃとクロワッサンを食べている妹の明日香の姿がある。
俺がリビングに入っても見向きもしない、まだ怒っているんだろう。
「どうしたの?二階から凄い音が聞こえてきたから何かと思ったけど」
台所の方から顔を覗かせこちらを見ていたのは母である。白いセーターの上に青いエプロンを上に着ていた。
「いや~悪い夢見ちゃってさ、ごめんな明日香」
明日香はクロワッサンを咥えたまま、返事どころか目すらこちらに合わせようとしない。やはりさっき怒鳴った事をまだ根に持っているのだろう。まあ当然と言えば当然か。
「どんな夢を見たかは知らないけど、あなた今日学校でしょ?初日に遅刻なんかしたら大変よ」
「ああ…そうだった、学校…っと」
歩こうとすると体がフラフラと揺れ始め、頭が沸騰するかのように熱くなる。あまりに熱かったので思わず頭を抑えたが、その姿を見た母さんは台所の方からここまで驚いた顔をして駆け寄ってくる。
「ちょっと大丈夫?」
「はぁ…はぁ…母さん、今日学校休んでいいかな、凄く気持ち悪いんだ」
「分かったから、ほら立てる?」
壁にもたれかかった俺を見て心配したのだろう、手を差し伸べてくるが、その手を払い「自分で歩けるから」と一言言い、部屋を出る。不貞腐れた態度を取っていた妹の明日香もこれには思わず心配したのか、クロサワッサンを咥えながら俺の方を見ていた。リビングを出た後、階段の手すりに持たれかかりながら二階まで上がる。ベッドに潜ると、また強烈な震えが体に襲いかかる。今度は汗もじわじわと流れるように湧き出ていた。
はぁはぁ…なんなんだよまったく…。
さっき見た夢の内容は粗方忘れていた、まあいつも起きた夢は大抵忘れるが、今回ばかりは決して忘れる事の方が難しい程不思議な夢だ。痛みだけをただただ思い出す、思い出そうとすると頭が熱くなるだけで何も思い出せなかった。インパクトが大きい夢だったのは確かな事だ。ただ少しだけ覚えている事と言えば恐怖と痛みを感じたという事。それがどんな痛みだったかまでは覚えていないが、それはとても冷たい感触であり、それが腹に突き刺さるように強烈な痛みだ。しかしやはり思い出すことはできなかった。精神的にも起きているのが耐えられなくなり、目を開いている事すら困難な状態になった。
ただただ眠い…。
勿論無理にでも体を起こして、目を開く事はできたが、このまま無理やり起きているのもなんなので調子が良くなるまではしばらく眠りにつく事にした。
目が覚めたのは午前十一時だ。不思議と身体に異常はなく、朝感じた気持ち悪さなど微塵も感じないぐらいに目覚めも良い。棚から新しく買ってくれた学校の白シャツ、ズボン、ネクタイと黒色のブレザーがセットになったポリエチレン製のポリ袋から取り出し、それを全て着た後にベルトを締める。服のサイズはぴったりだったが、どうもこの服からは独特な臭いがした。新品にありがちな何とも言えない強烈な臭いだ。しかしこういうのは着ていくごとにとれるものだと諦めもつき、スクールバッグを片手に、部屋を出ることにする。下に下りると、腰に手を当てて立っている母親の姿が見える。
「おはよ、母さん」
「あなた大丈夫なの?さっき本当に具合悪そうだったわよ」
「うん、大丈夫だから、それよりも初日に学校休んだ方がクラスの皆驚いちゃうからさ、ま、いってきまーす!」
「あっちょっと!」
玄関前まで駆け寄り止めようとする母だったが、なりふり構わず家を出る。
「遅刻も目立つけどね…」ドアが閉まるまでにぼそっと聞こえた。まあ確かに遅刻も目立つには目立つ。だが、だからと言って初日に休めば皆からポンコツのレッテルを貼られる事は間違いないだろう。人にとって第一印象はそれ程大事なものなのだ、潔白である事を証明するには不祥事を起こさないに越した事は無い。それに一日でも早く学校に行かなければならないのは訳があった。
なんせ俺の行く学校は…。
教室前に着いた、ここからでも微かだが授業をしている声が聞こえてくる。
「えー、ですからこのちいちゃんがですね~」
ガラガラっとドアを開けると授業が行われている。国語教師と思われる女教師がずらっと黒板にいっぱいの文字を書き起こしていたが、ほとんどの生徒がノートにそれを写している様子は無い。そしてクラスの大半は女子、いや俺以外全員女子だ。元々が女子高だということで、ほとんどの生徒は女子だという事は知ってはいたが、まさか男子が俺だけとは思ってもみなかった…。最近共学になったので一年には男子が少しはいるが、運が悪いことに俺は共学になる前の女子高だった学年の二年である。
「え、と、どうも」
「あら、もしかしてあなたが新入生の沢良木くん?さっきお母さんから連絡がきてたわよ」
「は、はい…俺が沢良木です」
そういえばうっかり学校に報告するのを忘れていた、あんな別れ方をしてはなんだが母には感謝すべきだな。それにしてもこの皆の目線、やはりかなり目立っている。
勢いで思わず学校に来てしまったはいいが、こんな目立つ事になるくらいなら今日来る必要はなかったんじゃないかと今更になって後悔し始める、全部母さんの言った通りだ…。
「沢良木君ね、了解。せっかくだし、この時間を使っちゃって自己紹介してもらおうかな」
「ええ…」まさかのリクエスト、まずい…言葉が出て来ない…。ていうかいきなり自己紹介だなんて何なんだこの教師は、こっちは心の準備というものが全くできてねえっつーの!
まあ良い、とにかく名前だ、名前を言えばなんとかなる。
「え、えと沢良木です…俺の名前は沢良木雄輝」
あまりにあっさりしてたからか、生徒、先生もろとも戸惑った表情をしていた。この目はまさかこれで終わりじゃないだろうな…そんな目であった。くっ、こうなると期待に応えなければならない、という謎のサービス精神が染み付いていたため、懸命に何が良い案が無いか思考を練る…一体何を言えばいいのやら。
「えと…趣味は満喫に行くことと腹いっぱい駄菓子を食べることですねぇ…」
自信が無くなるたびに声のトーンが段々と沈んでゆく。趣味を言ってみたのは良いが、何も反応がない。教室にいる女子全員と先生はまだ戸惑ったような表情をしているみたいだ。
くっ…欲張りめ、とは思ったがこのクラスに男子が一人混ざるのだ、ここで期待に応えなければ一年ずっと根暗な奴と思われるぞ、俺…。
「あ、えっと~特技は口笛を吹くことっすね、なんだったら吹きましょうか今?」
「い、いや結構よ、どうもありがとう」
教師は自分から振ったくせにやけに冷たい態度だ。無理に作ってる笑顔を一発で見抜いた俺は心理学者の才能があるのかも…いやそんな事を考えてる場合じゃない。
俺の自己紹介は盛大に滑り、一年間自己紹介の奴というレッテルを貼られ続けながら学園生活を歩むのだ、地獄である。誰とも顔を合わせたくないので下を向いていた時、教室のど真ん中に座っている一人の女子生徒が急に席を立ち始める。
「あ、えと、よろしくね!沢良木くんだよね?そっちの席空いてるからきっとあなた用だと思うよ」
「え?あ、ああどうも」
彼女が席を立ち、そう言うと謎の拍手が喝采する。彼女が俺に話しかけた後、周囲からは「よろしく、よろしく」との声が聞こえてきた。どうやら緊張してると思った俺に彼女は助け舟を出してくれたんだろう。そしていつの間にか周囲の視線は俺ではなく彼女の方に向かれていた。
紅色の鋭い釣り目の瞳に、同色の短髪の髪、周囲を見渡してもそんな鮮やかなカラーをした髪の女の子はごくわずかしかいなかった。
「彼女の言った通りあなたの席は窓側の一番奥よ、それと私は今日からあなたの担任だから。南明子よ、南先生って呼んでね、これから一年よろしく」
「は、はい、どうも」
何にしても助かったと思い、一呼吸してから席につくことができた。この一年、声を発することなく終えなくて良かった~っというのが本音である。席は扉側から離れた左側最奥の窓側で一番後ろだ。
名前の事もあって、いつもど真ん中の席ばかり座らされていたので、この最奥窓側の席はとても落ち着けそうな場所である。それにこの不吉な状況なら尚更そう感じる事が出来た。鞄からノートと筆箱、教科書を取り出して机に置き、黒板に書いてある内容をノートに写すことにした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます