夢見る頃を過ぎても
篠原 皐月
プロローグ~運命の出会い
最寄り駅から乗り込んだタクシーが大きな門の前で停まり、自分の父親が、運転手と運賃のやり取りをしているのを背中で感じながら、清人は開けられたドアの外の光景を、ポカンと眺めていた。
「父さん……、本当に、ここ?」
「そうらしいな」
門の大きさに見合うだけの、高い塀にぐるりと囲まれた敷地は、暗闇に紛れて見通しが悪い事を考慮に入れても、その角が見えず、その内部を想像する事もできない子供の清人は、すっかり怖じ気付いた。その様子を見た清吾が、財布をしまいながら静かに問い掛ける。
「やはりお前は、このまま駅に戻って、そこで待っているか?」
それを聞いた清人は、弾かれた様に父親の顔を見上げ、猛然と抗議した。
「ここまで来て、それは無いだろ! 僕も一緒に降りるからね!」
「仕方がないな……」
苦笑いをした清吾はそれ以上何も言わず、開けられていたドアから清人を促して地面に降り立ち、門柱に向かって無言で歩いた。そしてそこに設置してある、呼び出しのモニターのボタンを押す。
「すみませ。先程お電話した、佐竹ですが」
「お待ちしておりました。横の通用門からお入り下さい」
「失礼します」
やや硬質な声が聞こえるのとほぼ同時に、門の横からカチッと微かな音が伝わってきた。思わず清人が目を向けると、そこに人が一人くぐれる程度の扉があった。
「じゃあ行くか」
「うん」
一見、何を考えているか良く分からない、飄々とした顔の父親を見上げた清人は、大人しく扉を通って後に続いた。
そして門を入ってから屋敷の玄関まで更に歩く事になり、夜目にも綺麗に整えられた庭の様子に、ここまでくると清人の中では恐れ以上に、呆れの感情が芽生えてくる。
(何人暮らしかは知らないけど……、はっきり言って無駄じゃないのか?)
密かに感じていたそんな余裕も、使用人らしき人物に玄関から招き入れられ、広い応接間に案内されて重厚な感じのソファーに父親と並んで、腰を下ろすまでだった。
如何にも頑固そうな顔をした初老の男と、壮年の男性三人に向かって清吾が簡単に自己紹介をし、清人に相手の説明をする。その間も香澄の父である総一郎と兄の雄一郎、和威、義則は険しい顔のまま黙り込んでいたが、清吾が「ご不快な思いをさせるかもしれませんが、明日にでも香澄と入籍する予定ですので、一言ご挨拶に参りました」と頭を下げた途端、憤慨した様子で勢い良く立ち上がり、全員で清吾に殴りかかってきたのだ。
「ふざけるな! 誰が貴様の様な薄汚い野良犬風情に、香澄を渡すか!」
「香澄が世間知らずなのを良い事に、誑し込みやがって!」
「大方金が目当てだろうが、こっちが提示した金額を悉く無視するとは、どこまで金額を吊り上げるつもりだ!!」
「子連れで、無害な人物を装ったつもりか? このガキも相当根性悪だな!」
口々に口汚く罵りながら、清吾を応接セット横の空間に引きずり出し、雄一郎が拳で清吾を派手に殴り倒した後は、絨毯の上に蹲った彼に殴る蹴るの暴行を加え始めた。
一見上品に見える面々が、いきなりそんな暴挙に及んだ為、驚きのあまり固まってしまった清人だが、慌てて一番近くに居た雄一郎に組み付いて制止しようとした。
「ちょっと! 止めて下さい!」
その声に、両手で頭を庇っていた清吾が顔を上げ、強い口調で清人を叱りつけた。
「清人! お前は離れてろ!」
そう叫んだ清吾の髪を鷲掴みして頭を上げさせながら、和威が毒吐く。
「ガキの心配より、自分の心配をしたらどうだ?」
「今後一切、妹に近付かないと約束したら、止めてやっても良いがな」
「それは……、お約束、致しかねます」
床に座り込みながらも、毅然として相手を見上げつつ断言した清吾に、義則が怒りを露わにし、その胸元を勢い良く蹴り込んだ。
「なら、ちょっとは抵抗して見せたらどうだ? 無抵抗だとつまらんぞ。ほら!!」
「…………ぐっ!」
鈍い音がして清吾が胸を押さえてうずくまり、清人は瞬時に顔色を変えた。
「父さん!? 離せよ、おじさん!」
「邪魔だ、どけ!」
「ふざけるな、離せよっ!!」
自分の体を押しのけていた和威と揉み合っているうちに、振り回した腕が勢い良く総一郎にぶつかった。それに腹を立てたらしい総一郎が、老人とは思えない力で清人の肩と腕を掴む。
「邪魔するなと、言っとろうが! このクソガキがぁっ!!」
「うわっ!?」
そのまま背中から床に押し倒されそうになった清人は、反射的に片足で総一郎の向う脛を蹴り上げた。その予想外の反撃に、総一郎がバランスを崩して前のめりになる。
「おうっ! こいつ!」
(まずい、このままだと頭を!)
横長のソファーに挟まれる形で置かれていたテーブル間近で揉み合った為、自分の背後にそれが有るのを思い出した清人は、咄嗟に蹴り上げた右足をそのまま戻さず、更に左方向に振り上げてバランスを取って斜め後ろに落ちる様にした。そのおかげで後頭部をテーブルの縁に強打する事は避けられたが、そのまま一緒に倒れ込んだ総一郎が押さえていた左肩と腕の間を、その縁に激突させられる羽目になった。
しかも圧し掛かった総一郎の体重と変な方向に押された事で、子供の骨は呆気なく鈍い音を立て、通常ではありえない形になる。
「うわぁぁぁっ!!」
「清人!?」
凄まじい悲鳴を上げた清人はそのまま右肩から絨毯の上に落ち、動揺した清吾の叫びを耳にしながら、左腕を庇いつつ半回転して倒れ伏した。
(痛い痛い痛いっ!! ……だけどこんな奴らの前で、泣き喚いてたまるかっ!)
痛みと悔しさを、清人が唇を噛みしめて何とか耐えていると、片膝を付いた総一郎が恐る恐るといった口調で、彼の頭上から声をかけてきた。
「お、おい、坊主。大丈」
「何をやっているんですか、お祖父様!!」
そこで突然バタンと荒々しくドアが開けられる音と共に、重厚な応接間には不似合いな、甲高い叫び声が響き渡った。清人が何だろうと思いつつ顔を上げる間に、スタスタと近付く軽い足音がして、清人と総一郎の間に、先程声を発したらしい人物が割り込む。
(……え? 女の子?)
自分よりも若干背が高いと思われる、長い髪の少女の後ろ姿を、清人は一瞬、腕の痛みも忘れて見上げた。
「ま、真澄っ! これは、その」
中腰のまま弁解しかけた総一郎は、その「真澄」と呼んだ少女に、そこで容赦のない平手打ちを食らい、呆気なく床に転がった。そして清人を含めたその場にいた全員が唖然とする中、真澄の叱責の声が響く。
「一人をよってたかって、袋叩きにするだけでは飽き足らず、いい大人が子供に怪我をさせるとは何事ですか! 恥を知りなさい!!」
「う、五月蠅いわ! そもそもこのクソガキが、儂らの邪魔をするのが」
「仮にも一流上場企業のトップが、ご自分の立場も弁えずに自宅で乱闘騒ぎだなんて、恥ずかしいにも程があります! ……第一、これを入院中のお祖母様が知ったら、間違い無く即刻離婚ですよ?」
総一郎が腹立ち紛れ、孫娘を怒鳴りつけようとしたが、真澄は凄味のある声で脅しをかけてきた。その内容に、今まで激高していた面々が瞬時に動きを止め、ギョッとした顔で真澄を見やる。
「ちょ、ちょっと待て、真澄っ!?」
「勿論、仔細を包み隠さず、私の方から明日朝一で、報告させて頂きますので、お父様達もそのおつもりで」
冷え切った口調で最後通牒を突き付けた真澄に、柏木家の男達は揃って蒼白になった。
「真澄! それは勘弁してくれ!」
「冗談でなく、還暦手前で離婚になるぞ!?」
「母さんは普段はおっとりしているけど、一度怒り出すと厄介なんだ!」
「自業自得です」
「……………………」
冷たく切り捨てられて黙り込んだ面々を、真澄は呆れた表情で眺め回してから、冷静に指示を出した。
「そういう事態を回避したいなら、さっさと私の言う通りにして。まずお父様と叔父様達は、この耄碌ジジイをここから引きずり出して、離れに軟禁。私が顔を出すまで、一歩も外に出しちゃ駄目よ? 勿論、自分達も引っ込んでいる事!」
「なっ、なんじゃとぅっ!? 真澄、無礼にも程があるぞっ!」
その言い草に、総一郎は顔を真っ赤にして怒ったが、息子達は困った様に顔を見合わせてから、自分達を眼光鋭く睨みつけている真澄の指示に従った。
「……分かった。後は頼む」
「さあ、お父さん。一緒に行きましょうか」
「母さんに離婚されたくなかったら、大人しくしていて下さい」
「こら! ふざけるな、その手を離せ! 和威、義則! 儂の命令が聞けんのかぁぁっ!!」
喚き立てる総一郎を、三人掛かりで引き連れて行くのを見送りながら、真澄は続けて開け放ったドアの向こうから様子を窺っている、使用人達に大声で指示を出した。
「松波さん。大至急、救急車を呼んで! 怪我人が二名居る事を忘れずに伝えるのよ?」
「畏まりました!」
「滑川さん、濡れタオルを持ってきて!」
「はい!」
「お母様、手持ちの現金をありったけ出して来て頂戴!」
「分かったわ。ちょっと待っていて」
そしてバタバタと走り去る足音が遠ざかっていくのを聞きながら、真澄は溜め息を吐きつつ背後を振り返った。
「さて、と……」
そして清人の前で膝を付いた真澄は、未だに倒れ込んでいた清人に手を貸して上半身を起こした。そして至近距離で相手の顔を見る事になった清人は、思わず息を飲む。
(凄い、綺麗な女の子だ……。髪が香澄さんと同じ、サラサラの綺麗な長い髪だし)
そんな事を考えながら固まっていると、何を思ったか眉を顰めた真澄が、スカートのポケットからレースで縁取りされた白いハンカチを差し出してきた。
「何をやってるの。唇が切れて血が出てるわよ? これで押さえておきなさい」
「え? あの……、でも、汚れる……」
すっかり怖じ気づいた清人に、真澄は構わずそれを押し付ける。
「良いわよ、あげるから。ほら、さっさと押さえて止めなさい。血が服にまで垂れてシミになったりしたら、格好悪いわよ?」
「あ、ありがとうござ」
「だけど、こんな所にノコノコ来るなんて、君、判断力無さ過ぎね」
「……え?」
恐る恐る礼を言おうとした清人だったが、真澄にそれをぶった切られ、ハンカチを手にしたまま固まった。
「家出娘の実家に『お嬢さんを下さい』なんて馬鹿正直に乗り込んだら、親兄弟から袋叩きに合う事位、普通なら予想がつくでしょう? こういう時は付いて来いって言われても、大人しく引っ込んでるものよ? ほら、さっさと押さえなさいったら!」
半ば叱りつけられながらそんな事を言われ、清人は何とか弁解しようとした。
「と、父さんは、香澄さんと一緒に大人しく待っていろって言ったんだけど……。ここの人達が結婚を許さないのは、連れ子の僕が居るのも理由の一つだから、僕も一緒に頭を下げようと思っ」
「それでお父さんの足手まといになった上、怪我をさせられたら救いようが無いわね。第一男なら、受け身の一つ位取って、颯爽とかわして見せなさいよ。情けなさ過ぎるわ」
「…ぅ」
その容赦の無さ過ぎる指摘に、思わず清人は泣きそうになった。
(どうして怪我をさせられた上に、こんな事まで言われなくちゃならないんだろう)
そこで二人の背後から、苦笑気味の低い声がかけられた。
「真澄さん、だったかな。その辺で、勘弁してやってくれませんか? 清人が怪我をしたのは、きちんと言い聞かせられなくて同行させた、私の判断ミスですから」
振り向くと清吾がゆっくりと体を起こし、手近のソファーにもたれかかる格好で座り込む所であり、清人と真澄は慌てて側に寄った。
「父さん! 大丈夫?」
「佐竹さん……、でしたね? 香澄叔母様から、名前だけは聞いていました。叔母様は今、佐竹さんの所に居るんですね?」
「ええ」
問い掛けに清吾が端的に答えると、真澄は心から安堵した様に微笑んだ。
「良かった。それを聞いて安心しました。この三日、叔母様から全く連絡が無かったので、心配していたんです。父達はあなたの住所や電話番号を、教えてくれませんでしたし」
その横顔を見ながら、清人は改めてしみじみと思った。
(ああ……、やっぱり笑うと可愛いな……。香澄さんより、何というか……)
そして鈍い腕の痛みに思考を中断されながらも、色々考えていた清人の前で、清吾が真澄に向かって軽く頭を下げる。
「それはすみませんでした。香澄も真澄さんに会ったら、安心する様に伝えておいてくれと……、っ!」
「父さん!」
不自然に言葉を途切れさせ、胸の辺りを押さえながら小さく呻いた清吾に、あくまで冷静に真澄が声をかける。
「もうすぐ救急車が到着しますから、少しだけ我慢して下さい」
「すみません、真澄さん。ご迷惑おかけします」
そこで先程散っていた人間達が、応接間に戻って来た。
「真澄様、これを……」
「真澄、持って来たわ」
「ありがとう、滑川さん、お母様。……お顔が酷いので、ちょっと失礼します。口の中が切れたか、歯が折れましたね」
そうして真澄は母親が持って来た紙袋を横に置き、使用人から受け取った濡れタオルを清吾の顔に伸ばし、その血で汚れた箇所を拭き取り始めた。そして呆れ気味に話しかける。
「今時、無抵抗非暴力主義なんて、流行らないと思いますが?」
「香澄の親兄弟に、手を上げる訳にはいきませんよ」
「ご立派ですけど、時と場合と程度によると思います」
苦笑気味に弁解した清吾に、真澄は溜息を吐きながら応じる。
(言い方はきついけど、結構優しい人なんだな……)
横で見ていた清人がそんな事を考えていると、使い終わったタオルを再び使用人に持たせた真澄は、紙袋を引き寄せて清吾に向かって差し出した。
「それで……、救急車が来る前に話を済ませておきたいので、これを受け取って下さい」
「真澄さん?」
紙袋の中には風呂敷包みが有り、清人にもそれが札束を包んだ物である事が、容易に判断できた。僅かに目を細めてその真意を質した清吾に、真澄が小さく肩を竦めながら応じる。
「誤解なさらないで下さい。これは手切れ金の類ではありません。慰謝料込みの迷惑料とでも思って頂ければ」
「迷惑料、ですか?」
怪訝な顔を見せた清吾に、真澄が真顔で続けた。
「はい。今回の事が表沙汰になったら、柏木の名前に傷が付きます。有象無象の輩に、痛くもない腹を探られる事にもなりかねません」
それを聞いた清吾は、僅かにおかしそうに口元を歪めた。
「なるほど……、口止め料ですか」
「それに加えて……、この事を叔母様が知ったら激怒するに決まっています。これまでにうちがあなた方に仕掛けたあれこれに、相当憤慨していたでしょう?」
「……それはもう」
思わず遠い目をしてしまった清吾に、真澄が畳み掛ける。
「だからこれを知ったら叔母様の怒りが振り切れて、ここに刃物持参で乗り込んで刃傷沙汰になるとか、ガソリンを撒き散らして放火するとか、料理に殺虫剤を混入とかやりかねません。なので、あなたにはそんな事をしない様に、何とか叔母様を宥めて欲しいんです」
「いや、あの、真澄さん? 幾ら香澄でも、流石にそこまでは……」
真顔で訴える真澄に、流石に清吾は顔を引き攣らせて香澄を弁護しようとしたが、真澄はあくまで真剣そのものの表情を崩さなかった。
「今日ここに、叔母様を連れて来なかったのは、絶対暴れると思ったからではないですか? 家を出る時に腹立ち紛れに、お祖父様お気に入りの掛け軸や骨董品の壺の類を、悉く粉砕して出て行った叔母様が、先程私が言った様な事を絶対にしないと、あなたは断言できますか?」
「…………」
清吾は勿論、まだ紹介されてからの期間が短い清人でも、たびたび香澄の突飛な行動や予測不能な思考回路に振り回されていた事もあり、男二人で顔を見合わせて黙り込んだ。そこに真澄の声が重なる。
「と言うわけで、これには事を穏便に収める為の、叔母様の説得料も含んでるんです。…………寧ろ、それの意味合いの方が大きいかも」
そう言って盛大に溜息を吐いた真澄の姿に、思わず清吾は失笑し、軽く頷いてみせた。
「分かりました。そういう事なら、ありがたく頂戴していきます。正直、骨が折れそうですが。……ああ、もう折れていますから、今更ですね」
それを聞いた真澄と、その後ろでやり取りを窺っていた雄一郎の妻である玲子が、思わず緊張が解れた様に笑いを漏らす。
「あら、お上手ですこと」
「まあ、お顔に似合わず楽しい方ね」
そこでドアから使用人が駆け込んで来て、新たな来訪者を告げた。
「奥様、真澄様! 救急車が到着しました!」
「こちらにお通しして。君は自力で歩けるわね?」
「は……、はい」
おどおどと頷いた清人の前にストレッチャーが運び込まれ、清吾が何人かの手を借りてそれに横たえられた。そして清人と共に動き始めたそれの横に付いて歩きながら、いつの間にか使用人から渡されたメモ用紙とボールペンを片手に、真澄が声をかける。
「佐竹さん、叔母様に連絡を入れないといけないので、連絡先を教えて貰えますか? 病院から連絡がされたりしたら、それだけで叔母様が沸騰しそうなので」
「分かりました。お願いします」
頷いて清吾が口にした電話番号を手早く手元に記載し、救急車の隊員と幾つかのやり取りをしてから、真澄はストレッチャーごと車内に乗せられた清吾に声をかけた。
「それでは叔母様に、搬送先の病院名を伝えておきますので……。申し訳ありませんが、後の事を宜しくお願いします」
「任せて下さい。迷惑料分は頑張りますよ」
「頼りにしています」
そうして真澄が挨拶し終わると同時にドアが閉められ、救急車はサイレンを鳴らしながらゆっくりと動き出した。
清吾が、一通り状態などを隊員に聞き取りされている間、横に座らされていた清人は、それが終わってから、静かに父親に声をかけてみる。
「父さん……」
その声と心配そうな視線を向けられた清吾は、横たわったまま苦笑してみせた。
「はは、失敗したな。香澄をどう説得したものかな」
「そうだね」
それは清人も心配な事柄ではあったが、次に口から出た言葉は、話の流れからは多少外れた内容だった。
「さっきの子、真澄さんって言ってたよね?」
それに意外そうな表情を見せてから、清吾が聞かされていた内容を思い出しつつ頷く。
「ああ。香澄から聞いていなかったか? 香澄の一番上のお兄さんの長女で、確か……、今十二歳の筈だな。香澄とは十一しか年が離れていないから、妹みたいに可愛がっていたそうだ。しっかりしていて、流石名家のお嬢さんだな」
「うん……」
どことなく心ここに有らずと言った風情で頷いた清人に、清吾は静かに告げた。
「まあ、こんな騒ぎになってしまったし、今後ここに足を踏み入れる事も無いだろうから、もう会う事も無いだろうが」
「……そうだね」
(柏木真澄さん、か……)
父親のその予測に同意しながら、清人は口許を押さえていたハンカチを外し、その赤く染まってしまった箇所を、何とも言えない表情で暫くの間無言で見下ろしていた。
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