隅の川(女子)工業高校
BOW
1学期
第1話 ハレの入学式?
満開の桜の花が咲く、うららかな春の日に迎えた高校の入学式。それは、意にそぐわぬ高校とはいえ、一応、俺にとってはハレの日のはずだろう。
それなのに、いつもと変わらぬ我が家の風景。
大事な一人息子の入学式だというのに、ウチのクソババアは毎朝恒例の二日酔いとやらで布団から顔を出そうともしない。
部屋は酒臭く、クソババアの脱ぎ散らかした服を拾い集めながら、俺の苛立ちは頂点に達した。
「おいっ! 入学式だってのに、朝飯も無いのかよ!」
「・・・テーブルの上にミスドの残り、あるでしょ?」
「一週間前からあるヤツじゃねーか! そんなの食えねえよっ!」
「えー、一週間前? 全然問題ないよぉ。だって、おとといの夜、あんたがおいしそうに食べてたケーキ、あれ二週間前にお客さんからもらったやつだよ? おなか、全然平気だっだんでしょ? だったら一週間前のドーナッツなんて、むしろ新鮮じゃん?」
「ク、クソババアッ! 入学式を控えた息子に、何てモノ食わせんだよっ!」
「もー、大きな声ださないでよぉ、頭ガンガンするぅー! 早く、学校にいっちゃいなさいよ!」
俺の名前は
今日から高校生、本当ならドキドキとワクワクを胸に新しい舞台へと踏み出すはずが、朝から母親と不毛な言い争い。布団の中から手だけ出してペラペラと振る、 そんなクソババアの姿を横目で眺めつつ、俺は溜息を洩らすしかない。
「おめでとう」の言葉くらいあっても、バチはあたらないんじゃないか?
クソババア、それは残念ながら俺の母親の事。
もしも、世の中の母親がすべてあんなものだとしたら、母性に失望にした人類はすでに滅亡している事だろう。俺は、もしもダメ母世界選手権などというモノがあるとしたのなら、世界一位の栄冠は俺の母親にこそ相応しい!、と誇りを賭けて答える事が出来る。
こんな事で誇りを賭けたくもないが・・・。
俺は心なしか腹に痛みを覚えつつ、入学式へと向った。
俺の母校となる高校は歩いて十五分程にある、近いというだけが取り柄の、近隣では悪い噂ばかりが飛び交う工業高校だ。俺がそこに通う事になったいきさつについては、おいおい話せねばならないだろう。
朝から気分の悪い思いをした事もあり、足取り重くその学校へと向かう道すがら、俺はふと不安を覚えた。高校へ向う通学路に、新入生はおろか在校生と思しき姿も一人として見かけない。
バックから入学式の案内通知のハガキを出し日時を確認する。うん、今日で間違いない。それでも俺の不安は大きくなるばかり。
仕方なく、まだ朝早いせいか閑散とした商店で唯一開いていた豆腐屋のおばちゃんに尋ねてみる事にした。
「すいませーん。隅の川工業高校へはココまっすぐでいいんですよね?」
「隅の川? スカ工なら、まあ、ココまっすぐだけど。あんた、何しに行くの?」
「何をしにって、入学式、ですが?」
「あれ? あそこ、確か一昨年、他の高校に統廃合されて廃校になったって聞いたけど」
「へ? は、廃校!?」
俺の頭の中には過去のイヤーな記憶がグルグルと回り、猛ダッシュでその商店街を駆け抜け学校へと向かった。商店街を抜け時T字路を右に曲がり、程なく学校らしき建物を見つけると、その校門には堂々と<隅の川工業高校>の文字があった。 ホッとしたのも束の間・・・。
「ひ、人がいねえぞ・・・?」
そう、校門から見える校舎の中はおろか、校庭にも人っ子一人いない。あってもよさそうな、<入学式>と書かれた定番のアーチもない。俺はあわてて腕時計を見る。ドンキで買った¥680の時計だけど、昨晩までは確かに動いていた。今何時だ? 8時30分、大丈夫だ、入学式は9時からだから、きっと早過ぎるのだろう。だから人がいないに違いない・・・はず。
そこで俺は、ハッと思い当たる。
あのババア、もしや昨晩、俺が寝ている内に時計を狂わせたんじゃないか? あ、ありうる、ヤツならそれくらいの事、するはずだ!
や、やられたっ! どこまで俺の邪魔をすれば気が済むんだーーっ! 俺が怒りに地団駄を踏んでいると、全身から無気力感を醸し出したような爺さんが俺に声を掛けてきた。
「君、新入生だろう? そろそろ入学式始まるから」
入学式!? あ、あーー、よかったーー、大丈夫だったんだ!
それでも俺は若干の不安は抱えたまま、その爺さんの後を付いてテコテコと体育館へと向かった。その途中で通りかかった校舎にはやはり生徒も先生の姿も無く、きっと入学式の日は在校生は休校なんだ、と自分に納得させるよう呟く。
それでも、入った体育館には数人の生徒の姿があり、そこでようやく俺は安心する事ができた。
しかし、広い体育館置かれた椅子はわずか8脚、1席を残し、すでに新入生と思しき生徒たちで席は埋まっている。そして壇上の椅子は2脚。
な、何か少なくないか? 色々と?
困惑する俺を気にも留めず、爺さんは壇上へと上りマイクを手にとった。
あれ、爺さん、何する気だよ? 用務員のおっさんが駄目だろ、勝手に壇上に上がっちゃ?
「では、みんな揃ったようなので、そろそろ入学式を始めましょう。ほら、君も空いている席に座って。えー、私は校長の鈴木です」
えーーっ、あんた、校長だったの!? 俺はあわてて空いていた席に座る。
でも、ちょっと待てよ。他の先生は? 来賓は? あ、一人いるみたい。でも在校生は一人も出席しないんだ、ここの入学式。
で、新入生はというと、えーと8人? 何なのこれ、マジ? 男子は・・・俺1人かよ?
俺はキョロキョロと周りを見回してみる。しかし、どう見ても他の席に座っているのは女子ばかり。服装は自由との事だったので着ているものもマチマチ。
なんと1人なんて、驚くほど品の無いブタの刺繍のはいったジャージを着ている。ヤンキー? 今時? やっぱり、こんな出来の悪い工業高校だ、こんなヤツがいてもおかしくないよな。それにして、幾らヤンキーでも入学式にジャージはないだろう?
壇上を見上げてみれば、唯一の来賓らしいおっさんが、しきりに満面の笑顔で新入生席の1人の子に手を振っている。その新入生も「パパー」と答えながら、嬉しげに手を振り答える。
親娘? マジかよ・・・。場違いな親娘のスキンシップに腹がたったが、娘の見た目は、思いの外、カワイイ。
校長は、黙っているといつまでたっても珍妙な親子の茶番が終わらない事に気がついたのか、やたらご機嫌な様子の来賓のおっさんに声を掛けた。
「えー、ではまず、来賓の林様、お言葉をいただけますでしょうか?」
「あ、はい。えー、ただ今ご紹介に預かりました、林精密代表取締役、林幸樹と申します。まずは新入生のみなさん、ご入学おめでとうございます。あなたがたは、ウチのミリちゃんと同級生となるという幸運に恵まれ、これから三年間、ありがたくも羨ましい高校生活を送る事になりました。ミリちゃんを我が娘として天より授かってから16年、私たちはまさに天使の様なミリちゃんのお陰で、本当に幸せな日々を過ごしてきましたが・・・」
「パパーァ、わたしの事はいいよぉー」
「ゴメン、ゴメン、パパ、あんまり嬉しくてついつい・・。えー、失礼しました。ミリちゃんは、お菓子が大好きで可愛らしく、本当に、本当に、すっごくイイ子なので、どうかみなさん、よろしくお願いします!」
「・・・」「・・・」「・・・」「・・・」
「林様、ありがたいお話ありがとうございます。それでは、最後に・・」
おいおい、何なんだよだよ、このおっさん? 何がありがたいんだよ? って、もう最後かよっ! 入学式、始まったばかりじゃねーか! 何もしてねーだろ!?
すると新入生席、俺の右前の席に座っていた、例のジャージ姿のヤンキー女がピッと手を挙げた。ショートカットで割と整った顔立ちが印象的だ。ただし、なにせ品の無いジャージ姿のヤンキー、良く見ればやっぱりと言うか目付きも悪い。顔はまぁまぁだけに、残念過ぎるぞ、お前。
そのヤンキー女子、ガンをトバすように周りの新入生をグルリと見回すと、こう言い放った。
「いいか? オマエたちはここに遊びや勉強するために来たわけじゃねー。ここは一応学校だけど、黙って人から何かを学べるような場所だと思ったら大間違いだ。ここでは無駄な学問は一切無用、みんな自分の思いのまま好きにやっていい。けど大事な事を一つだけ忘れんなよ。好きにヤルって言っても、金を稼げなきゃ、意味が無ぇから! 働いて金を稼ぐ。それがココで学ぶという事、それを忘れないで、ガンガン稼いでほしい。アタシらには、それが出来るから」
はぁ? なんだって? なんで新入生のコイツが偉そうに語ってんの? もしかして今の新入生総代の挨拶とか? てか何、学問は不要って、金を稼ぐって?
唖然としてヤンキー女を見つめる俺など捨ておき、校長はさっさとシメに入ってしまった。
「まあ、そういう事のようですので、終わりとしましょうか。みなさん、これからがんばってください。授業は明日からですので。では今日は解散」
「ち、ちょっと待って下さい! これで終わりですか? 教科書販売とかクラス発表とか・・」
「クラスって、だって8人しかいないんだよ? クラスなんて必要ないでしょう? 教科書は、えーと、あるのかなあ?」
「えっ! 8人、本当に新入生、8人しかいないんですか? きょ、教科書・・あるのかなあ? あるのかなあって、センセー、普通あるでしょう教科書くらい?」
「普通はあるよ、うん、普通ならね」
「え・・・?」
「まあ、詳しい話は明日にしようよ、面倒くさいし。では」
おいっ! 今、言ったろ! 面倒くさいって言っただろう! 大いなる不安が俺を襲うが、ちょっと待て、少し冷静になって考えてみよう。
そういえば俺の入った学科って、確か特実科とかじゃなかったっけ?
そもそも、こんな高校に通う派目になってヤケ気味だったから気にも留めなかったが、もしかしてそれは特進クラスのようなもので、他の生徒とはまったく別のカリキュラムとかで、別々に入学式を行っているのかもしれないぞ?
うん、これなら合点がいく。校長自ら俺を案内してくれたのも、期待の表れと言えよう。そもそも俺はこんなバカ学校に来るべき偏差値では無いんだ。これから俺には選ばれた者としての、特別なカリキュラムが待っているに違いない!
無理にテンションを上げ自らを鼓舞する俺は、アホのようにガッツポーズを取りながら体育館に一人ポツネンと残されている事に気が付くと、あわててそこを後にした。
開式から僅か5分足らず、未来への希望もヤル気も感じられない、嘘ような入学式はこうして幕を閉じた。
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