第百五十話
機先を制し、先に仕掛けたのは俺の方だった。
大上段からルーンアックスが黄金色のオーラを放ちながら、凄まじい衝撃音と共にネロへと振り下ろされる。だがっ!
「――っ!?」
俺自身、これでネロを殺せると思った訳ではない。
渾身の力は込めたが、あくまで力量差を測るための小手調べに過ぎなかった。
だが、それでも……俺の目に飛び込んで来た結果は燦々たる有様だったのだ。
「ふふっ、うふふふふっ! 猿が! 猿がさあ、アラケアァ! ずいぶん可愛い攻撃をしてくれるね。やっぱりお前も……グロウスと同じ運命だよっ!」
何とネロは、ルーンアックスの刃を片手で軽々と掴んで受け止めていた。
しかもそれをどんどん俺の方へと押し返していくと、込められる力が強まり、いよいよ刃部分に亀裂が入り始めた。
「ちっ……!!」
形勢不利と見た俺は右手でルーンアックスの柄を掴んだまま、左手だけで印を結ぶように高速で動かすと、中指と人差し指を揃えて天に向かって突き出した。
すると俺の足元から影が高速で伸びていき、巨大な手を形成していったそれは、ネロを勢いよく飲み込んでいく。
「へえっ……ふふふっ、うふふふふっ!」
瞬く間にネロの全身を包み込んだ覇王影はぎりぎりとその身を締め付け出すが、その間に俺はルーンアックスを奴の手から取り戻すと、再度の攻撃を試みる。
だが、その瞬間っ……覇王影の内から凄まじい殺気が膨れ上がるのを感じ取り、それに気圧された訳ではないが、即座に後方に飛んで大きく距離を取った。
「……間違いない。今、後退しなかったら、ただでは済まない反撃を受けてた。 しかも妖精鉱から作り出されたこの斧に亀裂を入れるとはな。迂闊に近づいては危険……かと言って、攻めねば勝機はない、か」
俺が現状の分析をする間にも、ネロの笑い声と共に覇王影はたちまち内部から破壊され、周囲へと飛び散って地面に染み込むように消滅してしまった。
だが、俺は冷静に努めて正眼にルーンアックスを構えて、攻撃の機を窺うが、ネロは一歩また一歩と、ゆっくりとした足取りで俺との間合いを詰めてくる。
「気に入らないなぁ、アラケアァ。母さんはどうもお前に気があるみたいだね。それくらい見ていれば分かるよ。さっきから僕じゃなく、お前の方を心配して加勢のタイミングを計ってるみたいだし……」
ネロから笑みが消えてノルンの方をちらりと見てから、再び俺に視線を戻した。
そして俺を見据えた顔には、再び狂気の表情が浮かぶ。
「……まったくさあっ。何でお前みたいな劣等種の猿なんかに母さんがっ……。かなり許しがたいけど……でも、俄然やる気が出てきたよ! だって、これはきっと通過儀礼なんだっ! お前を殺して、母さんを取り戻すためのさっ!」
大きく吠えたネロの姿が、残像を残して掻き消えた。
と、思った時には俺の目前に現れて、鳩尾にその拳が叩き込まれていた。
「ぐっ、うおおっ!!」
堪らず仰け反った俺を押し倒して、ネロはその拳で俺の顔面を打ち据え始めた。
何度も何度も。それにより、たちまち俺の顔は流血で赤く染まっていく。
「猿がっ! 猿がさあっ!! 僕からまた母さんを奪うなよ! 下等で下賤なっ! 劣等種の分際でさあっ!! けどっ、あははははっ! 生意気にお前みたいな猿でも血は赤いんだねっ!?」
力量差は明らかだったが、俺も無抵抗のままやられてやるつもりはなかった。
まだ余力が残っている内に、さほど効果があるとは思わなかったが、俺は殴られ続けながら手にした短剣でネロの腹部を突き刺し、反撃に転じようとした。
……だけのつもりだったのだが、俺にとって予想外の結果が訪れた。
「痛いっ……この、猿があっ……よくもっ!!」
意外なことに短剣は易々と刺さって、ネロから血を流させていたのだ。
渾身のルーンアックスや破壊力抜群で殺傷力の高い、覇王影で掠り傷の一つも負わせられなかった、ネロの皮膚装甲がである。
「なるほど……どうやら完全無欠と言う訳でもないようだな。現時点では、まだその仕組みは分からないが、お前の防御には何か秘密があると言う訳か」
俺はネロの体を蹴り上げて吹っ飛ばすと、立ち上がって再び構えを取った。
そしてネロもまたすぐに体勢を立て直し、俺を真っ直ぐに見据えた。
唐突に受けた腹部の負傷による動揺は消え失せ、またも狂気の笑みを浮かべて。
「ふふっ……うふふふふっ、単に攻撃に我を忘れて油断しただけだよ。だけど……もう不覚は取らない。また仕掛けてくるんなら好きにするんだね、アラケア。今度も僕はそれを耐え切って、お前を殺すだけだからさあっ」
「ならば、試してみる必要があるようだな。俺の最高奥義にて、な!」
そう言い放った俺は、ルーンアックスに黄金色のオーラを流し込み、アーチを描いた光が斧の先端と柄の末尾を結んで、俺の手の中で光の弓矢を形作った。
グロウス戦では芳しい結果は出せなかったが、魔女ベルセリアを討つために俺が新たに編み出した、光速分断波・輝皇閃に代わる現在の最高奥義である。
「究極奥義を除けば、これが俺の最大の火力を誇る奥義だ。この一撃を繰り出した結果によって、恐らく少しは分かるはずだ。お前の秘密がな」
余裕の体でこちらをただ黙って見ているネロに狙いを定めると、光の弓を力強く振り絞っていった俺の全身から強烈な黄金色のオーラが舞い上がった。
「ふふっ、うふふふふっ……やるなら早くしてみなよ、無駄な足掻きをさあ!」
ネロは自身の防御に絶対の自信があるのか、微動だにせず、防御をするために身構える様子もなく、ただただ愉悦を湛えていた。
だが、その余裕を見ても、それでも俺はこの奥義を放たねばならなかった。
倒すためではなく、奴の防御の特性を見極めるために。
「いくぞ、災厄の王ネロ! この一撃でお前の秘密を見極めるっ!」
俺が引き絞った弓から巨大な光の矢が、俺の叫びと共に放たれていった。
そしてそれは無防備に佇むネロの肉体を確かに捉えて、完全に直撃っ……!
目を開けることもままならない、強烈な光が周囲を照らし出し、そして鼓膜の奥まで轟くような 鳴動の後、ネロがいた場所を中心として爆発が巻き起こった。
しばらく後、俺は咄嗟に塞いだ耳から手を放し、目を開いて爆心地を見た。
「さて、果たしてどうなったか……」
見据えた先からは、猛烈な熱気が吹き込んでやって来る。
あれほどの大爆発だったと言うのに部屋内は崩れる様子もなく、人知を超えた技術の高さを物語っていた。
だが、立ち込める煙の中で、その気配は次第に着実に……より大きく。
「ふふ……うふふふふふっ……ひひひひひひひっ、ひひゃはははははははっ!! ひひゃははっ、ひゃへははははははっはははぁっ!!」
奥から聞こえたのは、狂気に満ち満ちた災厄の王ネロの高めの少年の声。
そして晴れ上がり始めた煙の中から、ネロが悠々と姿を現した。
「やはり、駄目だったと言うのかっ!」
先ほどと違うのはネロの顔に黒い傷跡が走っており、刻印のようだったこと。
だが、それが俺の攻撃により出来たものではないことは理解出来た。
俺の攻撃はほとんど奴にはダメージを与えられてはいなかったのだから。
「うふっ、あはははっ! 効かないよ、そんなもの。たとえお前があのグロウスを倒した時に見せた、究極奥義とか言うのを使ってみせたとしてもさあっ。……けど、そろそろ時間切れみたいだね。もう一人のあの男が到着する前に、お前を殺しておきたかったんだけどなぁ」
「……何?」
疑問の声を呈した俺だったが、ネロの言葉の意味はすぐに知ることが出来た。
この虫の集合体である黒竜の空間内に、もう一人の侵入者がやって来たことを俺の時と同様に、まるで水面から飛び出したような音が知らせてくれたからだ。
そして壁から飛び出して床に着地したその人物は立ち上がり、こちらを見た。
「ふむ、どうやら正解だったと言うことでしょうか。あの巨大な化け物の内部から貴方達の話し声が聞こえたので、もしやと思い飛び込んでみたのですが」
その男は俺にとっても因縁の相手だった。
これまで幾度も死闘を演じた、閉じた右目の瞼に三つの傷がある長身の男。
そして数えきれない武勇から鬼神などと呼ばれている。
「カ、カルギデっ!!」
そう、そこに現れたのは恐らく魔女を退けてここまでやって来たのであろう、更なる強さの高みに辿り着いたカルギデ・クシリアナだった。
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