第九十七話

「グロウスって……まさか? だけど二百年以上前の人物だよ。同名の別人ってことは……ないよね」


 ヴァイツが疑うのも無理はない。だが、本家ではこの名は禁忌となっており、俺も父に一度しかこの名を聞かされたことはない。

 だから俺も今まで忘れていたほどだ。思い出したのは、ミコトを倒すために究極奥義を体現させるべく、父との修行の際の会話から連想したからだ。


「恐らくだが……あの男と無関係ではあるまい。単に名を騙っただけの偽物にしては、あの男の強さは尋常ではない。陛下に比肩し得る強さだ。本人かは分からないが、あるいはその血筋に連なる者かもしれん」


 俺の言葉を聞いたヴァイツとノルンは、何も言えなくなってしまった。

 だが、そんな二人を余所に、俺は記述を一通り読むと、本を閉じた。


 ――この男の復讐に備えよ、と。


 本の中には、ただそれだけが強調されて書かれていた。

 一族最強の男が本家の者の前にいずれ姿を現す、その可能性を畏れよと。


「手間をかけさせたな、俺が気にかかっていたことは、これで一先ず晴れた。明日一番で船を出港させよう。あの男、グロウスを追って俺達も北の地へ向かう。だが、その前に……」


 俺は手にした本を本棚に戻すと、二人に向き直って言った。


「当たり前だが、この散らばった本の数々を片付けてしまわないとな。さあ、お前達も手伝ってくれ、ヴァイツ、ノルン」


 足元に散らばる足の踏み場もない程の本の山に、二人とも気が滅入るような表情を見せたが、俺が率先して片付けを始めると、やがて二人も続いた。

 そして片付けが終わると、俺達は解散し、各々の夜を過ごすことにした。

 だが、俺が自室に戻ろうとしたその時、背後からノルンの声がした。


「アラケア様、お時間はよろしいでしょうか?」


「どうした、ノルン? 何か用があるのか?」


 しかしノルンは何やらもじもじしている。

 何やら言いたいことがあるが、言いにくそうな様子が見てとれた。


「航海では何が起きるか分かりません。だから、明日を迎える前にこれをアラケア様に、と。どうか受け取って……ください」


「これは……指輪か? なるほど、お守り代わりと言う訳だな。ありがとう、ノルン。これは有り難く貰っておく。大切にしよう。では明日また会おう。朝一番で陛下の元に向かうから、遅れないようにな」


「……は、はい!」


 ノルンはそう言うと、俺が紅い宝石がはめられた指輪を懐にしまうのを見届けないまま、そそくさと走り去っていった。

 だが、俺はノルンのその様子を特に気に留めずに、自室のドアを開けると、寝間着に着替えて、ベッドに横になった。


「いよいよ明日、か。俺の一族の悲願が、ようやく達せられるかもしれない大きな第一歩。父上、歴代当主の方々、俺は必ず貴方達の望みを叶えてみせる。たとえグロウスの正体が何であろうと、俺はあの男を倒し、災厄を打ち払い、そして……世界に平穏を取り戻してみせます。どうか見ていてください」


 俺は逸る気持ちと胸の高鳴りを抑えながら、毛布に包まると、やがて微睡みの中へと落ちていった。



 ◆◆



 翌朝、俺は支度を整えるとヴァイツ、ノルンを始めとした黒騎士隊を屋敷前に勢揃いさせた。

 これから航海に向かう前に、欠員がいないか点呼を行うためだ。

 怖気づいて辞退する者がいたなら、無理強いさせることはする気はなかった。

 一人ずつ順に名を呼んでいった俺だったが、最後の名を呼び終えた所で、黒騎士隊の全員がこの場にいることを俺は確認した。


「……そうか、それがお前達の決意と言う訳か。俺は嬉しく思うぞ。皆既日食からも生き残った、総勢二百十六名の勇気ある黒騎士隊隊員達よ。この先、お前達の命は俺が預かる。決して無駄死にはさせないと誓おう」


 そして一息ついて、俺は更に続けた。 


「だが、無駄に死を恐れるな。危険が迫る航海で、陛下や騎士団の面々をその身を挺して守るのが俺とお前達、黒騎士隊の役目だと思え。そのために俺達は黒い霧が立ち込める外海を航海する訓練を積んできたのだ。ではゆくぞ、まずは王城で陛下に今日の出港をお伝えするため、出発する!」


 俺が言い終わると、黒騎士隊から大きな掛け声が上がった。

 戦意に微塵も恐れなど感じない、強い覇気を感じるその声を誇らしく思うと、俺達は王城に向けて、馬を駆って走らせた。



 ◆◆



 王城に到着した俺は城外に黒騎士隊を待機させ、俺とヴァイツとノルンで陛下に謁見の間にて、お目通りすることとなった。

 今、俺には自分の一存で出港を左右できる権限が、与えられている。

 玉座の間の扉を開き、陛下を前にして、改めてその責任の重みを噛みしめた。


「陛下、まずは謁見のご許可ありがとうございます。本日お伺いしたのは、すでに察しておられるかと思いますが、航海に際して、私達の準備が整いましたことをお知らせするためです。私はいつでも出港は可能です。ギア王国の残党達より出遅れている以上、あまり時間を置くことは出来ません。今日にでも出港しようと思うのですが、如何でしょうか?」


 陛下は俺の報告に何も語らず耳を傾けていたが、聞き終わるとニヤリと笑い、玉座から立ち上がると、言い放たれた。


「そうか、意外に早かったな。こちらもいつでも軍艦を出せるよう、用意は整っている。構わん、お前の判断に従おう。以後の指揮も引き続きお前がとれ。そうと決まったなら、時間が惜しい。ただちに港に向かうぞ」


 陛下は玉座を降り、膝まづく俺を横目に玉座の間の入口の扉へと向かわれた。

 そして膝まづいているままの俺に、背後から声をかけてこられた。


「いよいよだぞ。ワクワクしてこないか、アラケア? 今回の航海で災厄に侵されし、世界の霧を晴らすことが出来るかもしれん。それがお前の悲願でもあるのだろう? 私もその手伝いをさせてもらうつもりだ。さあ、行くぞ、アラケア。お前が先陣に立って、進むのだ」


 俺はそこでようやく立ち上がると、振り返って陛下を見た。

 ヴァイツとノルンもそれに続く。


「……はっ、仰せに従います!」


 俺達は陛下と共に王城を後にし、黒騎士隊を引き連れて、王都の西に面する海に停泊している軍艦の元へと向かった。

 そこにはすでに騎士団が軍艦に乗船しており、出港準備が整えられていた。

 俺は黒騎士隊のメンバーを十隻の軍艦に均等に振り分けると、俺自身も一隻の軍艦へと乗り込んだ。


「いよいよだね、アラケア。って、あれ……その指輪? ねえ、もしかしてノルンのものじゃないの?」


 これから出港しようかと言った際、太陽の光が照らす海を眺める俺に、やけに驚いたような表情でヴァイツが聞いてきた。


「ああ、ノルンが昨日、俺にくれたものだ。恐らくお守りだろう。俺はあまり験を担ぐ人間ではないが、これもあいつなりの思いやりだ。それを無碍にする訳にはいくまい」


「ふーん、ノルンの奴、とうとう行動に出たんだ。いいかい、アラケア。その指輪はね、ノルンがお母さんから……」


 と、ヴァイツがそこまで言いかけた時だった。

 先ほど俺が出した指示により、軍艦は港を離れ、出港していった。

 高々と屹立したマストに張られた四つの帆が風を受けて、あっという間に港が遠ざかり、見えなくなっていく。


「これで当分は、王都の景色も見納めだな。それでヴァイツ、さっき何を言いかけていたんだ? この指輪がどうしたと言うんだ?」


「……ううん、何でもないよ。僕は妹の頑張りを見守るだけからね。それにしても……ほら、後方を見てみなよ、アラケア。デルドラン王国の飛空船も、僕らの後に続いてきてるみたいだよ。あの飛空船、空と海の両方を移動できるんだって。便利なもんだよね」


「ああ、何が待ち受けているか分からない未知の海域では、彼らの力も重要になってくるだろう。俺もみすみす仲間達を死なせるつもりはないが、この旅路には危険が付きまとう。お前も覚悟しておけよ、ヴァイツ」


 俺は航海の途中、誰もが死ぬ可能性があると警鐘を鳴らしたつもりだったが、ヴァイツは深刻な表情を見せるでもなく、離れていく港を見つめていた。


「分かってるよ。でも、それが僕ら黒騎士隊の仕事なんでしょ? さっきも皆の前で言ってたじゃないか。だから僕は君の判断に従うだけさ。その結果、どうなろうと……僕はそれを受け入れるつもりだから、心配する必要はないよ、アラケア」


「そうか……」


 帆が順調に風を捉えて船足をあげていく中、俺もヴァイツの隣に立ち、徐々に小さくなっていく王都を眺めていた。

 船は着々と黒い霧が及ぶ、外海に向かって進んでいくが、何事も起きていない、今のこの穏やかそのものの風景は、まるで……


 ――これから訪れる嵐の前の静けさなのは確かだった。

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