第七十八話

「いてててて……」


 先ほど目を覚ましたヴァイツが軽く体を起こすが、激痛が走るのか顔を歪ませた。

 そんなヴァイツの側には、ノルンが寄り添って手当てをしている。


「ほら、ヴァイツ兄。男なんだから、少しくらい我慢して頂戴。今、包帯を巻き替えてあげてるんだから」


「……分かってるよ。みっともなく声を上げて悪かったね。それよりノルン、包帯を巻いたら僕もすぐに黒甲冑を着込みたい。いくらアラケアだって、この少人数だけじゃ黒い霧の中で無尽蔵に現れる魔物ゴルグ相手に、いつまで戦い続けられるか分からないよ。僕だって、早く戦線に復帰しないと」


 俺は停車している馬車の御者席から周囲を凝視し、僅かな動きも見逃すまいと警戒しながら、背後のヴァイツを振り返ることなく告げた。


「いらない心配だ。お前はしばらく休んでいろ。今の今まで気絶していたお前は知らないだろうが、ここまでの道中はノルンが奮闘してくれていたんだぞ。忘れたか? お前の妹が持っている魔物ゴルグを退ける特殊な力のことを」


 俺の言葉にヴァイツが気付いたかように大きく声を上げる。


「あっ、そうか。ノルンの歌か! じゃあ久しぶりに使ったんだね、あの切り札を!」


 ノルンがヴァイツの問いにこくりと頷きながら、額に汗を滲ませている。

 今の今までぶっ続けで歌い続けたため、ノルンは体力を消耗させているのだ。

 だから今後の道中を考えて、ノルンのために、俺達は先ほど休息に入った。


「ええ、黒い霧の内部でも私の歌の効果は絶大だったわよ、ヴァイツ兄。残る道中も、これなら何とかなりそうだって、アラケア様も言っておられたわ。だからヴァイツ兄は、今は何も気にせずにしっかり休んでて頂戴」


「そうか、お前には助けられたね。さすが僕の自慢の妹だよ」


 その真っ直ぐに自分の顔を見つめながら言った、ヴァイツの褒め言葉にノルンは思わず、照れ臭そうに顔を紅潮させた。


「もう……褒めても何も出ないわよ、ヴァイツ兄。さっ、包帯は巻き終わったから、後は安静にしてて頂戴」


 ヴァイツはノルンの反応に満足したかのように、また横になった。

 そこへ周囲の見回りに出ていたシンシアや竜人族の戦士達が戻ってくると、再び俺が影の檻で覆った馬車の付近に、魔物ゴルグの気配はないことを告げた。


「何も問題はなかった。しばらく休息してノルン殿の疲れが癒えたら、すぐにでも出発した方がいいだろう。皆既日食を終えても魔物ゴルグ達が妖精鉱を恐れもせず、襲撃を仕掛けてくる事態は我々も経験したことがない。一刻も本国に戻って、客人である貴殿らの身の安全を確保したいのだ」


「ああ、同意見だ。幸いにも妖精鉱が指し示す光が強くなってきている。デルドラン王国が所有する標石である妖精鉱に反応している証拠だ。道中はすでに半分は過ぎたということだろう。もうひと頑張りでデルドラン王国に到着と言うことだな」


 それから俺達は一時間ほどの休息を挟んだ後、再び馬車を発車させた。

 影の檻を解除し、地面へと崩れ落ちていくと同時に、ノルンが全身から淡い緑の光を放ちながら、歌を歌い始める。


「神は最も最初にヒタリトの民をお作りになった……続いて我らの手足としての人間をお作りになられた……さあ、歌おう。未来永劫、我らヒタリトの民の繁栄を願い、そして、世界の隅々にまで遍く歓喜の光を」


 走り行く馬車の周辺から、魔物ゴルグ達が苦悶の声を上げているのが、聞こえる。

 大サイズの妖精鉱にも怯まない魔物ゴルグにも、ノルンの歌は効果絶大であった。


「しかし見事なものだな。このような術は、我が国でも見たことがない。もし可能なのであれば、彼女の歌がどんな原理なのか調べたいものだ。解明さえ出来れば、人が黒い霧に対抗するための大きな力となるだろうに」


 シンシアが興味深そうに、歌い続けるノルンを眺めている。

 それを見て、俺は答えた。


「そう考えたのは貴方だけではない。実際に以前、陛下が学者達を集めてノルンの歌の仕組みを、解き明かそうとしたことがあったのだ。しかしそれは失敗に終わっている。誰一人として解明する所か、その取っ掛かりすらも見つけられなかったのだ。今も熱心な学者がたまに訪ねてくるが、血脈に流れる力ではないかと憶測の域を出ないことを言っているぐらいだ」


「……なるほど、それは惜しいな。しかし魔物ゴルグを退ける力を抜きにしても美しい音色の歌だ。これほどの歌が歌えるノルン殿はさぞ殿方達から人気が高いのだろうな」


 そのシンシアの言葉を聞いたヴァイツは、思わず失笑を漏らした。

 その顔はおかしくて堪らないと言った表情だ。


「まさか! 男どころか同性の友達もいないんですよ、妹は。いつもむすっとした顔してるから、皆から避けられちゃって、兄として心配してるくらいです。ああ、早く彼氏の一人でも作ってくれれば僕も安心するのにな~」


 そう言いながらヴァイツは、ノルンと俺の顔を交互に笑いながら見ている。

 その様子を見たノルンは、歌は依然、歌い続けているものの、あからさまに不機嫌な顔でジロリとヴァイツを睨んだ。


「ごめんごめん、ノルン。お前のその歌が、今は僕らの命綱だもんね。気を逸らすことは言うべきじゃなかったよ。兄としてお前の片思いの恋が実ることを祈ってるから、絶対にその歌を中断しちゃ駄目だぞ」


 素直に謝るヴァイツだったが、ノルンは頬を僅かに紅潮させて、ぷいとその顔を背けてしまった。

 シンシアも自身の発言がノルンを動揺させるきっかけとなったことを反省したのか、すぐさま話題を変えた。


「デルドラン王国についたら、貴殿らをまず王城に案内しよう。そこでポワン陛下と話し合って、今後のことを決めるといい。それでもあの方との交渉は、難航することになるだろうがな……」


「ああ、世話になる、シンシア殿。カルティケア王との交渉が、上手くいけばいいが、決裂もあり得るだろう。だが、その万が一の場合、俺達もそのような所で死ぬ訳にはいかない。その時は俺達も武力行使を辞さないつもりだ。あくまで身を守るためだけに留めたいがな。それを予め断っておく」


「……そうか、承知した」


 俺の言葉にシンシアはただ一言だけ答えると、その後は黙して何も語らず、ただ俺と同様に、馬車の走る方向を見つめていた。

 それは……これから向かう、かつて1度だけ訪れた俺の第二の故郷。

 その地で再び、俺達を過酷な運命に引きこむ事態が待ち受けているような……何か嫌な事が起こるような気がしてならなかったからである。

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