番外編 佐竹清人に関する考察~柏木浩一の場合
話は、清人と浩一の大学時代に遡る。
※※※
「毎回悪いな、清人。材料費に迷惑料を上乗せして、ちゃんと支払うから……」
「良いって。俺もせめて週一位は、かまびすしい女どもに邪魔されずに、落ち着いて昼飯を食いたいからな」
世間一般的に、昼休みに当たる時間帯。
通常であれば学生は学食で食べるなり、近所のコンビニから買ってきた物を、空いている教室で食べたりしているものだが、何故か東成大一年の清人と浩一の二人は、大学構内の芝生の上にビニールシートを敷き、重箱詰めの弁当を食べていた。
更に言えば、そこは通常立ち入り禁止の場所であるが、食事時に不特定多数の人間に纏わり付かれる事が続いてキレた清人が、学長と事務局長に直談判の末難なく丸め込み……、もとい、二人の立場への理解と芝生への例外的な立ち入り許可を得て、堂々とその様な違反行為に及んでいた。
週に一・二回、この場所で食べる様になってからは、流石に立ち入り禁止の札が堂々と立てられている場所に押し掛けようと考える強心臓の者はごく少数らしく、大抵の者は遠巻きに二人の様子を窺うのみだった。そして清人が腕を振るった弁当は、それなりに美味の筈だが、それをつついている浩一が先程の台詞に続けて、浮かない顔で呟いた。
「だけど、静かに食べられないのは、俺のせいだし……。入学以来、清人には迷惑の掛け通しだから……」
二人揃って入学してからのあれやこれやを思い返してしまったらしい浩一が、色々気に病んでいるのを見て取った清人は、浩一を励まそうと明るい口調で言ってみた。
「俺達に纏わり付いて来る女達のうち、お前の家と金と顔に群がって来る女が多いのは確かだが、そのうちの半分は顔と頭と性格が良い俺に群がって来てる女だから、そう気にするな」
「清人の場合、『性格が良い』んじゃなくて、『いい性格をしてる』部類に入るんじゃないかと思うんだが……」
うっかり浩一がそう口を滑らせた瞬間、その全身に冷たい声と視線が突き刺さった。
「……やっぱり材料費プラス迷惑料を、こっちの言い値で払って貰うか」
「悪い。口が滑った」
「卒業までには自制心を強固にしておけよ?」
「…………ああ」
容赦なく言い切られて盛大に冷や汗を流した浩一だったが、変な動悸が落ち着いてから、話題を元に戻した。
「しかし、本当に懲りないというか、次々新手が湧いて出るというか……。始末に負えないな」
それに小さく肩を竦めつつ、清人が同意を示す。
「確かにな。入学してからもう半年が経過しているのに、お前にアプローチしても無駄だって事が、どうして理解出来ないかな。ここに入ったんだから馬鹿では無いだろうが……、途方もない阿呆だって事か」
「清人にかかると、身も蓋もないな……」
おかずを口に入れて平然と咀嚼している清人を見て、浩一は思わず笑いを誘われた。しかし次の瞬間、それが苦笑いに変わる。
「本当に……、清人位、どんな人間でも上手くあしらえる力量が、俺にあれば良いだけの話なんだけどな」
その意見に、清人は無言で首を傾げ、淡々と反論を述べた。
「そうか? 人間には向き不向きってものがある。お前は適当に他人を掌で転がすタイプじゃ無いってだけの話だ。その代わり、選んだ人間とは真摯な人間付き合いが出来ているから、別に問題は無いと思うぞ?」
「そうかな?」
「そうだと思うが?」
平然と食べ続けている清人だったが、浩一は何となく照れくさくなったのを誤魔化す様に、会話を続けた。
「そうか。だけど……、本当に一年位したら落ち着くかな?」
その問い掛けに、箸の動きを止めた清人が、思案顔で応じる。
「どうだろうな……。柏木の御曹司とお近付きになりたいって考えてる輩が、そう簡単に諦めるとは思えないが……」
「親の金で何不自由なく生活出来ている訳だから、俺が文句を言う筋合いじゃないのは、理解しているんだがな……」
「理解してるだけ、お前はマシだ」
思わず溜め息を吐いた浩一を、清人が冷静に評する。そのまま少しの間何やら考え込んでいた清人は、不意に浩一に声をかけた。
「……なあ、浩一」
「何だ?」
何気なく問い返した浩一に、清人がまだ多少考え込む素振りを見せながら提案した。
「お前に纏わり付いて来る男も女も、手っ取り早く九割程度減らす方法が……、無いことも無いんだ」
「本当か!?」
嬉々として食い付いた浩一に、清人が真顔で告げる。
「ああ。俺に一任してくれるか? それに、それでもしつこい馬鹿は多少はいるかと思うが」
「それ位は、自分で対処するさ。宜しく頼む」
真剣に頼み込む浩一に、清人は力強く頷いた。
「分かった。……じゃあ早速、午後の講義が始まる前に仕掛けてみるか」
「ああ。……だけど何をする気だ? 清人」
すっかり明るい顔になって食べるのを再開しかけた浩一だったが、それも束の間、素朴な疑問が頭の中をよぎった。その問いに対し、何故か清人は目を逸らして食べる事に集中するふりをしながら、短く答える。
「お前が怖じ気づくかもしれないから、今は言わないでおく」
「……何だそれは」
「悪い事は言わん、黙って俺に任せておけ」
「ああ」
(清人の事だから間違いは無いと思うが……、教室で何をするつもりだ?)
一瞬不安になったものの、清人のする事だからそう酷い事にはならないだろうという信頼の方が勝った為、それからは浩一も気分良く弁当を味わう事に専念した。
そして無事食べ終えた二人は後片付けを済ませ、午後最初の講義が予定されている教室へと足を向けた。
教室後方の出入り口から入り、机の間の階段を降りて中央の教壇に向かいつつ、清人が満足そうに浩一に囁く。
「……ああ、やっぱり良い感じに集まってるな。高瀬教授はちゃんと講義に出席しないと、単位をやらないって評判だし。これなら一回で済みそうだ」
「だから一回って、何がだ?」
しかし二人並んで歩いているのを目ざとく見つけた女性達から次々声がかけられ、忽ち静かに話をするような環境では無くなった。
「あ、柏木君、佐竹君!」
「こっち空いてるわよ?」
「あら、こっちの方が余裕が有るわよ!」
その途端、横に居る浩一にだけ聞こえる程度の舌打ちをした清人が、愛想を振り撒きつつ穏やかに断りを入れた。
「ありがとう、でも今日は良いから」
「今度ね」
浩一も調子を合わせて軽く手を振りつつ清人の後に続き、どこまで行くのかと思っていたが、何故か清人は最前列の机の横を通り過ぎ、教壇に上がってしまった。
怪訝に思いながらも浩一が続いて教壇に上がると、清人は自分の荷物を講義用の机の上にドサッと乱暴に置き、教室全体を見回しながら背後のスライド式の黒板を力一杯殴りつけて怒鳴った。
「おい、お前ら! 目ぇ見開いて、良~く見とけよ!?」
午後の講義開始間近の時間で、教室に集まっていた同級生達は驚いて清人に視線を向けたが、目の前の浩一も同様で、慌てて清人に詰め寄った。
「…………清人? お前一体何を……って!? ……っ!」
すると清人はいきなり浩一の胸元を掴んで自分の方に体を引き寄せ、両手を浩一の背中と後頭部に回して力強く固定した挙げ句、有無を言わせずキスしてきた。
(衆人環視の前で、いきなり何するんだ、お前はっ!?)
思わず荷物を取り落とし、浩一は清人を引き剥がそうとしたが、清人はなかなか顔を離さず、微かに教室のあちこちから主に女性の悲鳴とどよめきが伝わってくる。それでも何とか臑を蹴りつけて清人が怯んだ隙に体を引き剥がした浩一だったが、抗議の言葉を口にする事もできず、ただ絶句するのみだった。
そんな浩一をよそに、清人は小さく不敵に笑ってから、再び学生達に向かって机を拳で殴りながら威嚇する。
「いいか!? 頭の足りない奴の為に、ここではっきり言っておくが、浩一は俺の男だ! それでもちょっかい出す気なら、俺にボコられる覚悟で来やがれ!! 勿論、その時は男だろうが女だろうが容赦しねぇからな!」
「……………」
そう叫んだ瞬間、教官が出入りする教壇横の出入り口から、バサバサッと何かが落ちる物音が聞こえた。無意識に清人と浩一が目を向けると、謹厳実直で知られたこれからの講義担当教官である高瀬教授が、固まって持参した資料その他を取り落とした物音だと分かる。それを認めた清人は、教授に小さく頭を下げ、愛想良く笑いかけた。
「ああ、高瀬教授、お騒がせしました。今退きますので、どうぞ講義を始めて下さい」
そうして机から荷物を取り上げ、教壇を降りようとした清人だったが、浩一が微動だにしないのを見て、怪訝な顔で声をかけた。
「ほら、浩一、何ボケッと突っ立ってんだ。さっさと座るぞ。講義の邪魔だ」
あまりの出来事に、茫然自失状態で教壇に立ち尽くしていた浩一に清人がそう促すと、浩一が何やらぼそりと呟く。
「……ふっ」
「ふ? 何が言いたいんだ? 浩一」
不思議そうに清人が、浩一の顔を覗き込む様にしながら声をかけたが、次の瞬間浩一が清人の胸元を掴み上げ、見事な右ストレートを繰り出した。
「ふざけんな! この大馬鹿野郎がぁぁぁっ!!」
その絶叫と共に浩一の拳は清人の顔に命中し、派手に倒れた清人は勢い余って教壇から転がり落ちた。その時の浩一の鬼の形相に、教室内は再び静まり返ったのだった。
※※※
「……そうして、俺が清人の恋人だって噂が、クラス内や学年、更には学部中に、忽ち広まったんだ。俺が清人を殴り倒したのは、あの時一回きりだな」
地を這う様な声で説明してくる浩一に、その場が不気味な位静まり返っていると、浩一に負けず劣らずの物騒な声音で、真澄が口を挟んできた。
「へぇ……、あのとんでもない噂、あんた達が一緒にいるから自然発生した噂かと思っていたけど、そんな裏事情が有ったの。今の今まで知らなかったわ……」
「やっぱり、姉さんの耳にも入っていたんだ……」
「当時は笑い飛ばしていたけどね」
「…………」
無言で項垂れた浩一を幾らかでも慰めようと、玲二が慌ててフォローを入れてみた。
「あ、あのさっ! でもそれで、兄貴に言い寄る人間がかなり減ったんだよな?」
「ああ……、確かに減った」
未だ暗い表情ながらも肯定してきた浩一に、周囲の皆も幾分強張った笑顔を見せる。
「それは良かったですね」
「それで全く変わりが無かったら、本当に救われないよな~」
「そうだろ? やった甲斐はあったよな」
安堵しながら玲二が溜め息を吐くと、そんな弟に浩一が淡々と補足説明を始めた。
「確かに並みの人間は一気に減ったんだが……、手段を選ばない、タチが悪い、色々な意味で濃い人間は残った」
「濃いって……」
「手段を選ばないって……」
「……浩一さん、顔が怖いです」
ただならぬ兄の雰囲気に玲二が絶句すると、周りの人間達も微妙に怖じ気づきながらジリジリと浩一から距離を置き始める。
すると浩一はビールの入ったグラスを掴み、その手をプルプルと僅かに震えさせながら、怒りを内包させた口調で続けた。
「『私が柏木君の目を覚まさせてあげるわ!』と言う勘違い女や、『柏木君達なら、絶対そうだと思っていたの!』と嬉々としてガン見しながら何かの原稿を作っていた腐女子や、『あんな優男よりも俺の方が良いぞ?』と言い寄るゲス野郎どもだけになった」
「……………………」
もう誰もフォローする事などできず、黙り込んで様子を窺っていると、浩一は急に声を荒げて言い出した。
「そんな連中相手に、俺が一々手加減とか配慮なんかしてやる必要がどこにある!? 微塵も遠慮せず、片っ端から強制排除しまくってやったんだ。俺はその時、心の底から合気道を修めておいて、良かったと思ったぞ!!」
そう叫んで手にしていたグラスの中身を一気に煽った浩一は、座卓にダンッとグラスを置きながら、忌々しげに吐き捨てた。
「けっ! 胸糞悪い事まで思い出したぜ!」
そして座卓を見下ろしながら、何やら悪態をブツブツ呟き始めた浩一を、周りの皆は気の毒そうに見やった。
(浩一さん……、人格が変わってます)
(兄貴……、何か大学に入ってから一時期やさぐれてるなと思った事があったけど、そんな事が……)
(大学時代に、性格がどこか一皮剥けたとは思っていたが)
(教室でなんて……。清人さん、あんた鬼だ……)
(やっぱり一番手段を選ばないのは、清人さんだよな)
(良く未だに、親友付き合いしてるよな)
そのまま少しだけ沈黙が満ちたが、玲二が気を取り直して新たな質問を繰り出した。
「それで……、清人さんも、兄貴と同様の目に合ったわけだよね?」
「同様ってわけでは無いな。あいつは元からその手の誘いは適当に対応してたし。『本命は浩一だが、俺はバイだから遠慮いらないから』とか公言して、自称『佐竹君の彼女』達から敵視されまくった」
それを聞いた玲二はもうどうにもフォローできず、他の人間の意見も一致した。
(やっぱりあんた最低だ……、清人さん)
そこで疲れた様に溜め息を吐いてから、しみじみとした口調で真澄が声をかける。
「浩一。あんた良く、彼と長年、親友付き合いしてるわね」
その場全員が思ったであろう内容を告げると、浩一は苦笑いで返した。
「もう腐れ縁っぽいな。色々諦めてるから、今はもう大抵の事は平気だし」
「本当に彼って、普段は必要以上に細やかな配慮ができるのに、時々もの凄く無神経よね」
そう苛立たしげに真澄が口にした瞬間、二人のやり取りを傍観していた者達は勿論、浩一すら真澄に意外な顔を向けた。
「無神経って……、姉さん。一体どうしてそう思うのかな?」
「俺達に対してならともかく、真澄さんに対して無神経とか気が利かないとか言うことは……」
「あの清人さんに限って、そんな事は有り得ないでしょう?」
「そうだよな。清人さんは筋金入りのフェミニストだし」
そんな風に顔を見合わせて断言する弟や従弟達に向かって、真澄は渋い顔をする。
「…………そうでも無いわよ」
如何にも面白く無さそうに呟いた真澄は、そのまま過去の、ある出来事について思いを馳せた。
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