番外編 佐竹清人に関する考察~松原友之の場合

 話は清香が両親と死別し、清人が一人暮らしをしていたマンションに、引き取られた直後に遡る。


 ※※※


「悪いね清香ちゃん、兄妹水入らずの所にお邪魔して」

「本当にそう思うなら、今すぐこの場からとっとと消え失せろ」

 仕事帰りに清人のマンションに立ち寄り、共に夕食を取っていた友之が、斜め向かいに座る清香に笑いかけると、隣の席の清人が冷え冷えとした声で突っ込みを入れた。それを窘めつつ、清香が礼を述べる。


「お兄ちゃん、そんな事言わないで。友之さんありがとう。私がこっちに越して来たばかりだから、心配して様子を見に来てくれたんでしょう? 学校にも慣れたし、友達もできたから安心してね?」

「それなら良かった」

 にっこりと笑いかけてきた清香に、自然と友之の笑みも深くなった。


(相変わらず可愛いし、素直で良い子だな。叔母さん達が急死して心配していたが、清人さんも居るし大丈夫か……)

 密かにそう安堵した友之だったが、横から更に不機嫌そうな清人の台詞が聞こえてきた。


「……騙されるな清香。こいつは俺が一人で住んでいた頃から、何回もたかりに来ているんだ」

 それを聞いた清香が軽く目を見張り、しみじみと感想を述べる。

「そうなの? お兄ちゃんと友之さんって、随分仲良しだったのね。知らなかったな」

「ああ、実はそうな」

「違う。こいつは自分のデート代捻出の為に来ているだけだ」

「え?」

 にこやかに応じた友之の台詞を遮って清人が否定した為、清香は怪訝な顔をした。と同時に友之が苦笑する。


(確かにいつもはそうだが、今回は純粋に清香ちゃんの様子を見に来たんだが……。清香ちゃんだけでなく、清人さんへの手土産も持参するべきだったな)

 そんな事を考えてから、友之は悪びれずに清香に声をかけた。


「確かに清人さんには、これまでたびたびご飯を食べさせて貰ってるけど……、一言弁解させて貰えるかな、清香ちゃん」

「一体どうしたの?」

 首を捻って問い返してきた清香に、友之は大仰に肩を竦めてみせた。


「実は父が厳しくてね。『社会人として働くなら、実家に同居でもそれ相当の生活費を入れるべきだ』と言われて、食費・光熱費・賃貸料相当の金額を、毎月の給料から取られているんだ」

「えぇ? 意外。友之さんは一人息子だから、もっと甘やかされているかと……、あの、えっと……、ごめんなさい」

 友之の話に素直に驚いた表情を見せてから、清香は慌てて頭を下げた。それに友之が笑って応じる。


「いいよ、同じ事を良く言われるから。そんな訳で、家でかかった費用の三分の一を毎月請求されるんだけど……、あんな無駄に広くて客が多い家、維持費が結構かかっていて。しかも高級住宅地のど真ん中だから、周囲に1LDKの賃貸物件なんて有り得ないし……」

 苦虫を噛み潰す様な顔をした友之に、横で清人が笑いを堪えながら評した。


「松原さんは、例え息子であろうが自分の生活基盤は自力で確保しろと言う方針らしくてな。給料のかなりの割合を、吸い上げられてるらしい」

「そうなんだ。凄いのね……」

「大人しく毎日家で食べれば良いものを、こいつは『親の小言がうるさい』とか『根掘り葉掘り聞かれてウザイ』とか気ままを言いやがって。かといって外食ばかりだと出費がかさむし、それでこいつは残った金をデート費用に温存する為、時々食事時に押し掛けて来ていたんだ」

「清人さん……、本当に煩わしくて、毎日だと息が詰まるんですよ」

「最初だけだろう。お前は春から働き出したばかりだから、何ヶ月かしたら落ち着くさ」

「だと良いんですが……」

 心底うんざりとしながら友之が呻く様に呟くと、一連のやり取りを唖然として聞いていた清香が、ふと表情を曇らせて呟いた。


「やっぱり厳しいみたいでも、おじさまもおばさまも友之さんの事が心配なんだね? ……いいなぁ」

 どうやら死んだ両親の事を思い出させてしまったらしいと察した男二人は、しんみりとしてから黙々と食事を再開した清香から視線を逸らし、アイコンタクトを交わした。


(お前……、不用意に清香に親の事を思い出させやがったな?)

(ちょっと待って下さい。一連の話題を振ったのは、元々あなたでしょう?)

 そして清人の睨みに屈した友之は、溜め息を吐きながら思案を巡らせた。

(仕方が無いな。何とか話題を変えるか)

 そこで友之は、一口食べてから徐に口を開いた。


「ところで清人さん」

「何だ?」

「清人さんも、俺の親に負けず劣らずシビアですね。俺が来る時は食材の質を下げているでしょう?」

「……何?」

 箸の動きを止めて顔を向けてきた清人だったが、友之は臆する事無く話を続けた。


「ご馳走になっている身で厚かましい事を言っているみたいですが、以前あの団地にお邪魔した時に食べさせて貰った物より、ワンランク下がっている気がしていたんです。……デビュー二年目で余程手元不如意なのかと思って、今まで黙っていましたが」

「そんな事は無いが?」

 ひんやりとした声にテーブルの向こうで清香が顔を引き攣らせるのが分かったが、友之は見ないふりで話を続けた。


「そうですか? それなら男相手に腕を振るうのがかったるくて、微妙に手を抜いていたとか」

「食い物に関しては現時点で最大限の努力は惜しまず、妥協や手抜きはするなと、父に言われていたがな」

「ああ、そうなんですか。じゃあ単に、清人さんの料理の腕が落ちただけなんですね。納得しました。良かったです、この間結構悩んでいましたので」

「………………」

「と、友之さんっ! あ、あの、お兄ちゃん! 今のは、そのっ! 悪気は無いと……」

(動揺させてごめん、清香ちゃん。だけどこれでさっきまでの話と空気なんて、どこかに飛んで行っただろう?)

 へらっと笑って言い切った友之に、清人が眉間に皺を寄せて黙り込み、清香は焦ってあわあわとしながら取りなそうとしたが、咄嗟に適当な言葉が浮かばなかったらしくプチパニックの様相を呈した。それに友之が心の中で謝っていると、地を這う如き清人の声が室内に響き渡る。


「……俺に向かってそこまで言えるようになったとは、成長したな? 友之」

「ありがとうございます。これでも就職して、色々揉まれたもので」

 真っ正面から清人の威嚇を受け止めつつ、友之が殊勝に頭を下げると、清人が獰猛な笑顔を見せる。


「確かに美味いものを食べ慣れているお前にしてみたら、この近辺で入手可能な食材で作った料理なぞ、口に合わんと思うがな」

「清人さんの調理した物なら、どんな料理でも俺の口の方を合わせますよ?」

 サラッと言ってのけたその一言が、決定打となった。


「……俺の腕が鈍っていないのと、男相手だと材料費をケチる様なせこい人間じゃ無い事を、証明してやろうじゃないか。今週の土曜日、もう一度飯を食いに来い」

 断定、しかも命令口調でのそれに、友之は最早笑う事しか出来なかった。


(はは、これは完全に怒らせたかな? 少しはご機嫌を取っておかないと、後が酷いだろうな)

 苦笑いをしつつ素早く考えを巡らせた友之は、清人に神妙な顔つきで申し出た。


「せっかくですので、お相伴に預かりますが……。俺が失礼な事を言ったのは理解していますので、お詫びに食材購入にかかった費用は、全て俺が持ちます。後から請求して下さい」

「……ほう? それは殊勝な心がけだ。俺が食材にかける金をケチる様な男では無いとは、認めて貰っている訳だ」

 かなり皮肉を込めた口調にも臆する事無く、友之が話を続ける。


「失言でした。最上級の食材で、いつも通り作ってみて下さい」

「分かった。違いを分かり易くする為に、今日と同じ料理にするぞ?」

「お任せします。……じゃあ清香ちゃん、今度の土曜日にまたお邪魔するからね?」

「あ、は、はい。お待ちしてます!」

(半ば捨て身だったが……、ちゃんと話題を逸らす事は出来たみたいだな)

 急に話し掛けられて動揺する清香を微笑ましく思いながら、友之は続けて夏休みのバカンス会の話を持ち出し、それからは最後まで和やかに会話が交わされた。



 そして土曜日の夜。

 再び清人達のマンションを訪れた友之の前に、前回と見た目が変わらない料理を並べた清人は、全ての料理に口を付けた友之に、静かに問い掛けた。


「どうだ?」

 それに友之が半ば唸る様に感想を述べる。

「……清人さんの料理の腕も、食材の質も流石です。この前の物とは全く見た目が同じなのに、鮪の刺身も、海老すり身入りの厚焼き卵も、貝柱のサラダも、鯛の香草蒸しも、この前の物とは完全に別物です。食材の質が良くても、料理の腕が悪ければここまで素材本来の旨味を引き出せません」

「当然だ」

 殆ど手放しでの賞賛を受けた清人だったが、素っ気なく応じただけだった。しかしその様子を見た清香が、心底ほっとした様に声をかける。


「……よ、良かったね、お兄ちゃん」

「ああ」

 そこで友之は清香の異常に気がついた。


「清香ちゃん、どうかしたの? 何となく顔色が悪いような気がするんだけど」

「う、うん……、大丈夫、だよ?」

「そう?」

(それにしては、何となく笑顔が強張っている気がするんだが)

 密かに首を捻った友之に、清人がどこからか取り出した封筒を差し出した。


「それじゃあこれが、今回の請求書だ。一週間以内に、同封しているメモに書かれた口座に振り込んでくれ」

「分かりました」

 それを友之は素直に受け取ってから、清香の様子を窺いつつ清人の料理に舌鼓を打った。

 そして無事食べ終わると、清人が食器を重ねつつ立ち上がる。


「食後のお茶を淹れてくるから、待っていろ」

「ありがとうございます」

 軽く友之が頭を下げると、清人はあっさりとキッチンへ消えた。そして何となく手持ち無沙汰になった友之が、先程渡された請求書を思い出し、封筒から中身を引っ張り出してみる。


(さて、どれ位請求されたのかな? まあ一食分なら大した事は……)

「………………」

 しかし請求書を目にした友之は、そこに書かれた金額を目にして固まった。そこで恐る恐ると言った感じで、清香が声をかけてくる。


「友之さん、どうかしたの?」

「清香ちゃん、ちょっと聞いても良いかな?」

「……うん、何?」

 控え目に尋ねた友之だったが、何となく質問される事を予想していた様に、僅かに清香が目を泳がせた。

「今日の食材、どれだけの量を購入したか知っている?」

 その問い掛けに、清香はダラダラと冷や汗を流しながら話し出した。


「あの、ね……。今日の午前中、管理人さんにここのマンションの五十戸全部屋に連絡を入れて貰って、集会室で無料配布会をしたの……」

「何、それ?」

 何となく次に続く内容が想像出来た友之だったが、一応尋ねてみた。すると清香が物凄く言いにくそうに続ける。


「お兄ちゃんが『両親が急逝して、自分が引き取った妹を慰めるつもりで、物知らずで馬鹿な従兄弟が、食材を大量に送りつけてきて困っているんです。腐らせるのも勿体ないので、宜しかったら皆さんで好きな物をお持ち下さい』と言いながら配ったの。学生時代に魚屋でバイトして捌き方は分かっていたし、その時に知り合った仲買人の人に、最上級の物を築地で競り落として貰ったって……」

「へぇ……、そうだったんだ……」

(物知らずの馬鹿って言うのは、俺の事ですよね?)

 思わず遠い目をしてしまった友之に、清香が説明を続ける。


「配る前に一番良い所や物はうちでより分けて、他を集会室に集まった人達に、豪快に配ったの。全世帯から誰か一人は参加していて、これまでに隣近所の人とは顔を合わせていたけど、一気に顔見知りが増えちゃった。おばさん達からは『お兄さんに話しにくい事があれば、いつでも相談に乗るからね!』と言われたし、同じ中学の三年生のお姉さんも居て、『いじめられたりしたら、相手を締め上げてあげるから、遠慮なく言いなさいよ?』って仲良くなったの」

「……それは良かったね」

「でも……、鮪は丸々一匹を机の上にビニールシートを敷いて解体しちゃうし、他の食材も全部大きな発砲スチロール箱に入っていて……。後からお兄ちゃんに聞いたら、予算度外視で競り落として貰ったって言ってたから……。最終的にどれ位かかったの?」

 ここで如何にも心配そうな顔を向けられた友之は、清香が負担に感じないように、精一杯笑顔を取り繕った。


「いや、大した事は無いよ? 払えない金額ではないから、そんなに心配そうな顔をしないで、清香ちゃん」

「そ、そう?」

「ああ。清香ちゃんの御披露目代としては妥当だよ。親切そうな人達と、知り合いになれて良かったね」

「うん、ありがとう友之さん」

 ここで清香は漸く心からの笑みを浮かべ、友之も(まあ、仕方がないか)と諦めながら笑い返した。


 ※※※


「結局、月給ひと月分以上の請求をされてしまったから、サラ金で借りるのも馬鹿らしくて、父に事情を話して立て替えて貰って、毎月少しずつ返済した。おかげで父には『勝てない相手に喧嘩を売る奴があるか』と説教され、母には『あなたの鼻をへし折るのは、やっぱり清人君位のものよね』と笑われたんだ」

 それを聞き終えた周囲の者達は、口々に慰めの言葉をかけた。


「相手が悪かったな……」

「どれだけ大枚を払って購入したのよ。マンション中に清香ちゃんを効果的に紹介する機会だからって……」

「やっぱりあの人の辞書には、限度と節度って言う言葉は無いな」

「本当に手段を選ばないし、金に糸目をつけない人だよな?」

「いや、清人さんは金勘定については五月蠅いぞ? 今の話は友之さんに、無制限で請求が回せる状況だったからだ。自腹を切るとなったらこうはいかない。うちが良い例だ」

 しみじみと修が語った内容に、他の面々は有る事を思い出した。


「ああ……、お前、開店費用を、清人さんに出して貰っていたっけ……」

「当時、奈津美さんの事もあって、色々揉めたしな」

「今も返済中ですよね?」

「兄さん……、ひょっとして、清人さんに何かえげつない事でも言われたのか?」

 明良が幾分気遣わしげに次兄に問い掛けると、修は深い溜め息を吐いてから、ある事を話し出した。

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