第44話 清香流、矛の収め方

 夕方になって期末試験は無事に全日程を終え、清香と朋美は連れ立って校舎から出て歩き出した。


「はぁ~、やっと終わったわね。あと少しで春休みだわ。嬉しい~」

「……そうね」

 何となく心ここに有らずといった風情で、朋美と並んで歩いていた清香だが、ふと気がついて横に顔を向けながら尋ねた。


「ねえ、朋美。朝話していた店に帰りに寄って行くなら、西門の方が近いのに、どうして正門の方に行くの? 遠回りじゃない」

 それを聞いて、朋美が些か慌てた様に答える。


「……え? そ、そうかもしれないけど、ちょっとこっちを回って行きたいなあって」

「だからどうして」

「だって、皆一斉に校舎から出てくるし、西門に向かう通路って狭いでしょう? ゴチャゴチャした人込みを、歩きたくないのよ」

「……ふぅん? まあ、良いけど」

 不思議そうな顔をしたものの清香は取り敢えず頷き、朋美は密かに安堵の溜め息を吐いた。そして二人揃って歩きながら、無言で考え込む。


(全く……、変な指示を寄越さないでよね? 第一、聡さんとの事がどうなってるのか、気になってしょうがないわ)

(流石に今朝は聡さん、マンションの前にも居なかったみたい……。だけど、まだ納得できないし、腹を立ててるんだから!)

 そうして校舎間を通り抜けて、真っ直ぐ正門へと伸びる道に入った所で、朋美がいきなりその足を止めた。清香は少し遅れてそれに気付き、二・三歩先に進んでから立ち止まった朋美を振り返る。


「どうしたの? 朋美。こんな所で止まって」

 その問い掛けに、朋美は前方から清香に視線を移し、何とも言えない微妙な顔付きで口を開いた。


「……あのね、清香。私、初めて聡さんに会った時に、何となく清人さんと似ている気がするな~、と思ったんだけど」

「はぁ? あの二人の、どこら辺がどう似てるって言うのよっ!」

 一連の事を口にすると怒りがぶり返す為、週明けから聡と清人に関する事は一言も漏らしておらず、当然二人の関係性を知らない筈の朋美にそんな事を言われて、清香は本気で苛立った。


(何? 無関係の朋美にも分かる位、あの二人って端から見て似てるわけ? それなら全然気が付かなかった、私の妹としての立場は!?)

 そうして半ば八つ当たりしながら、朋美の次の言葉を待った清香だったが、続く台詞で目が点になった。


「どこら辺って……、その、二人とも頭が良い筈なのに、時々もの凄くお馬鹿さんな所?」

「……何、それ?」

 思わず胡乱げな視線を向けた清香に、朋美が冷静に尋ねる。


「清香、聡さん、車持ってるよね?」

「うん」

「黒だよね?」

「そうだけど」

「外車っぽいよね?」

「うん、確かにBMW……。でも、どうしてそんな事を知っているの? 私、話した事があったっけ?」

 不思議そうに問い返した清香に、朋美が些かげんなりした様な顔付きで、ゆっくりと前方を指差した。


「現物が、目の前にあるから」

「え?」

 そして朋美が差し示した正門方向へ、素直に顔を向けた清香は、そこにとんでもない物を発見して固まった。


「ななな何あれっ!?」

 絶句して固まった清香の背後から、容赦無く駄目出しをする朋美。

「……どこからどう見ても、聡さんだよね」

「それは分かっているけどっ!!」

 清香が驚愕したのも当然で、正門のど真ん前に停められた黒のBMWの前に、一抱えほどもある大きなピンクのバラとかすみ草で作られた花束を抱えたスーツ姿の聡が、キャンパス内の方を向いて立っていた。

 当然中から続々と出てくる、周囲の学生達の好奇心に満ちた視線や、聡の行為を咎める目線が彼の全身に突き刺さっていたが、当の本人は一向に気にする素振りを見せていなかった。


「この場合さぁ、聡さんがあそこで待ってるの、絶対あんただよね?」

「ま、待っててなんて、言った覚えは無いわよっ!!」

「うん、まあ、そうだろうけどね。聡さん、捨て身もいいとこだよね~。あんた達、土日に一体、何があったのよ?」

「なっ、何も無いってばぁぁぁっ!」

 生温かい目で朋美が見やると、清香は半泣きになりながら弁解したが、朋美は躊躇う事無く清香を切り捨てた。


「じゃあ、私、西門から帰るから。さよなら清香、また来週」

「ちょっと待ってよ朋美、私も西門から帰るっ!」

 踵を返した朋美の腕を捕まえつつ清香が叫んだが、朋美は冷静に言い聞かせた。


「清香……。聡さん、あんたが出てくるまで、あそこでずっと待ってるわよ。賭けても良いわ」

「そそそそんな事、私知らないから!」

「あんた、意外に血も涙も無い女ね。聡さんをあのまま晒し物にして平気なんだ」

「だ、だって、恥ずかしいわよ、あの中に行くのは! 皆何事かと思って、遠巻きにして見てるじゃない!!」

「車もねぇ……、いつからあそこに停めているのか知らないけど、早く移動させないと、大学の事務局から警察に通報されて、持っていかれるんじゃない?」

「………………っ!」

 わざとらしく溜息を吐きながらの朋美の台詞に、清香が最近の話題を思い出して盛大に固まった。それに朋美が、追い打ちをかける。


「まあねぇ、今後金輪際、無関係って言うなら? 無視して帰ってもどんな仕打ちをしても、一向に構わないと思うんだけどねぇ」

 それを聞いた清香は、聡の方を睨みつけながら盛大に呻いた。


「うぅぅ……、どうして私の周りって、こう面倒くさくて非常識な人間ばかりなのよ! 朋美、私、今日はこっちから帰るから。さよならっ!」

「さよなら。色々頑張ってね~」

 文句を言ってから自分に別れを告げ、勢い良く正門に向かって走り出した清香の背中に、朋美は間延びした声をかけた。そして小さく噴き出す。 

「一応、清人さんに経過報告しておこうかな?」

 そうして携帯電話を操作しつつ、朋美は西門の方へ向かって歩き始めた。


 一方の聡は全身に突き刺さる視線をものともせず、正門で立ちつくしていたが、道の向こうから猛然と駆けて来る人物を認めて、思わず笑顔になった。そして息を切らせて自分の目の前に立った清香に、何も言わせず花束を押し付ける。


「やあ、清香さん。試験お疲れ様。良かったらこれを貰ってくれる?」

「うえっ、ちょっと」

「それで、試験の出来はどうだった? 勿論清香さんの事だから、心配は要らないと思うんだけど」

「どうだった? じゃあないでしょう! こんな所で一体全体何をやってるんですか!?」

 顔の前に押し付けられた大きな花束を、反射的に受け取った清香は、それを横にずらしつつ聡に向かって吠えた。それに対して聡が平然と答える。


「試験期間中は集中したいって気持ちは分かったから、終わったらじっくりと話をさせて貰えないかなと思って、誘いに来ただけなんだけど」

「一昨日までは連日朝に押しかけてたくせに、何を白々しい事を言ってるんですか」

 思わず清香が白い目を向けると、聡が苦笑いで応じた。


「まあ、それは置いておいて、車に乗ってくれないかな?」

 さり気なく清香の腕を掴んだ聡が促したが、清香は黙り込んだままピクリとも動かなかった。しかしそれはある程度予想された事だった為、聡は穏やかに笑いながら再度清香を促す。


「言っておくけど、乗ってくれるまで、ここから動かないから」

 それを聞いた清香は、ヒクリと顔を引き攣らせて静かに凄んだ。

「……あのですね、手を離して頂けませんか?」

「申し訳ないけど、それは駄目かな?」

 笑顔の聡と仏頂面の清香の間に静かな緊張感が満ちたが、それに音を上げたのは清香の方だった。


「ああ、もう!! 分かりました! 乗ります! 乗りますから、さっさとここから移動して下さい! 駐車禁止の標識の目の前で停めてるなんて、車を持って行かれますよ!」

「あれ? うっかりしてた。それは気が付かなかったな」

(白々し過ぎる……)

 必死で訴えたのにしれっと言い返されて、清香は呆れ果てた溜息を漏らした。そして周囲から様々な視線を受けながら、二人で車に乗り込み、その場を後にした。

 そして少しの間車内は無言だったが、発進させた車が車道の流れに乗り、スムーズに走り出した所で、幾分申し訳無さそうに聡が口を開いた。


「その……、今日は変に目立つような事をして、悪かったね」

 その台詞に、運転席の方に向き直りながら、清香が盛大に噛み付く。

「当たり前ですよ! 週明けに、私が正門前でアッシーを待たせてたなんて噂が広がってたら、どうしてくれるんですか!?」

「そうだな……、責任を取って、毎日送り迎えをする?」

「ふざけないで!」

 そこで聡が我慢できなくなったという様に、笑いを零す。


「ごめん、今週ずっと無視されてたから、清香さんが普通に喋って文句を言ってくれるのが嬉しくて」

「怒られて喜ぶなんて、おかしいです」

「うん、そうだね」

 憮然として文句を言った清香に、聡は笑顔のまま頷いた。そして顔付きを改め、前を見たまま再度口を開く。


「俺と兄さんの関係を黙ったまま清香さんに近付いたのは、本当に悪かったと思っている」

「当然です」

「当人である母さんと兄さんの意思も立場も、まるで無視した独りよがりな行動だったし」

「……本当に、良識のある大人の行動とは思えません」

「確かに最初はあの兄さんが溺愛してる、血の繋がらない義理の妹がどんな人間か、興味本位で近付いた事は認めるけど」

「認めなかったら、投げ飛ばしてます」

 殺伐とした声で淡々と言い返された聡はここで一瞬怯んだが、表面上は動揺を見せずに話し続けた。


「清香さんと知り合ってから、もっと君の事が知りたくなった。いつも明るくて元気で、その笑顔に見惚れて、いつの間にかこの笑顔を見る為には、どうすれば良いかと四六時中考える様になってた」

「何か際限なく、考え無しに笑ってばかりみたいじゃないですか……」

 ぼそっとひねくれた感想を述べた清香に気を悪くした風情も見せず、聡が話を続ける。

 

「今は、そうじゃないだろう? だから必死に考えてるよ。最初はどうあれ、いつの間にか母さんと兄さんの事は二の次……、と言うか、もう殆どどうでも良くなっていた」

「そうは見えませんでしたが?」

 些か皮肉っぽく横目で睨んだ清香に、流石に聡も苦笑する。


「……正直、兄さんに関しては、どうしても避けて通れない関門だったから、嫌でも考えなければいけなかったけど。それはあくまで清香さんの兄という立場で、自分の兄って事は殆ど意識していなかったし。……逆に、あの容赦の無い人と、あまり血が繋がってるとは思いたくない」

「………………」

 これまで清香にとっては唯一無二の自慢の兄であった清人だったが、これまでの経過を洗いざらい吐かせられた時に、聡に対する嫌がらせの数々も素直に自白した為、清香の中で一時的に信用が失墜していた。今現在ではかなり回復していたものの、聡のその感想を全面的に否定できなかった清香は、何とも言えない顔で黙り込んだ。

 そして沈黙の中、聡が再び口を開く。


「一連の事で、清香さんの中で、俺の信用がガタ落ちだって事は分かっている。だけど君に付き合ってくれと言ったのは、便宜上とか口先だけの事とかじゃなくて、俺なりに本気で考えた上で申し出た事だから。……だから俺にもう一度、チャンスを貰えないかな?」

 その聡の話をフロントガラスの向こうを凝視したまま聞いていた清香だったが、ここで聡の方に顔を向けて頼んだ。 


「少しだけ、どこかに停めてくれませんか?」

「分かった。ちょっと待ってて」

 清香の求めに応じ、聡は前方を見渡して車道の幅に余裕がある所を見つけ、路肩に寄せて静かに車を停めた。そして助手席の清香に向き直る。


「清香さん、ここで良いかな」

 そう言った途端、聡の左頬に派手な衝突音と共に鈍い痛みが走った。平手打ちされたと分かった聡に、清香がまだ固い表情のまま告げる。


「……お祖父ちゃんもこれで済ませましたから、これが妥当でしょう」

「ありがとう、清香さん」

「あと一つ……、条件があるんですけど」

「何? 遠慮なく言ってみて?」

 まだ緊張が残る顔で聡が促すと、清香は逆に表情を緩め、如何にも申し訳無さそうに言い出した。


「その……、怒りに任せて、携帯に登録していた聡さんのメルアドと携帯番号と家電番号を、着信拒否にした上でアドレス帳から全部消去しちゃったんです。ですから、また教えて貰いたいんですけど……」

「それは構わないよ。家に帰る前に、どこかでお茶していこうかと思っていたからちょうど良い。だけど……」

「どうかしましたか?」

 怪訝な顔付きで言葉を濁した聡に、清香が幾分不安そうな表情で問い返した。それに聡が淡々と答える。


「登録拒否設定にしたアドレスや番号を、アドレス帳に復帰させた上で、設定を解除すれば良いだけの話じゃないのかな?」

 不思議そうに言われた内容を頭の中で考えた清香は、花束の中に顔を埋める様にして、がっくりと項垂れた。


「私の馬鹿…………。お兄ちゃんに知られたら『だからお前はまだまだ子供なんだ』って馬鹿にされる……」

 本気で落ち込んでいるらしい口調の清香を、聡は笑いを堪えながら宥めた。

「兄さんには言わないから、安心して良いよ」

「本当に?」

 思わず顔を上げ、縋る様な眼で見つめて来た清香に、聡が優しく笑いかけながら請け負う。


「ああ、それにこれからは兄さんの代わりに、俺が色々教えてあげるから」

「ありがとう、聡さん」

「どういたしまして。じゃあそろそろ出すから」

 そうしてブレーキを踏み込みつつ、ギアに手をかけてドライブモードにした時、視界の隅に鮮やかなピンクの物が映り込み、強い香りと共に左頬に僅かな柔らかい感触を感じた聡は、思わずそのままの姿勢で固まった。

 そして一瞬遅れて、左手をギアから離し、頬を軽く押さえながら、呆けた様な表情を助手席に向ける。


「……え?」

 その視線を受けた清香は、逃げ場が無い助手席で難儀そうに片手で大きな花束を抱えつつ、片手で口許を押さえながら真っ赤な顔で喚いた。

「ああああのっ! この間の事は、ちょっと自分でも大人げ無かったと思いますし、結構思ったより強く叩いちゃったみたいですし、ちょっとしたお詫びですっ! こんなの、お嫌かもしれませんけどっ!」

 それを受けて、聡が些か呆然自失状態で呟く。


「いや、嫌じゃないよ。嫌じゃないけど……」

「な、何ですか?」

 不自然に言葉を濁した聡に清香が恐る恐る声をかけた所で、何故か聡は視線を逸らし、両腕をハンドルに持たれかけさせて突っ伏した。そして清香に聞こえない程度の声で、忌々しげに呟く。


「まさかこうなる事まで予測して、門限を十九時設定にしたわけじゃないよな、兄さんは……」

「え?」

 そこで盛大に溜息を一つ吐いてから聡は顔を上げ、自分の反応を窺ってビクビクしている清香にいつも通りの笑顔で笑いかけた。


「何でも無い。じゃあ、ちょっとお茶してから、十九時前には家に送って行くよ。兄さんが清香さんが頑張ったご褒美に、清香さんの好きな物を作って待ってるって言っていたから」

「本当?」

「門限を守ったら、俺にもお相伴させて貰えるそうだし」

 途端に目を輝かせた清香に、聡が苦笑気味に付け加える。それを聞いた清香は一瞬目を丸くし、次いで笑って断言した。


「それじゃあ、遅刻できないですね」

「ああ、そう言う事。……ちょっと残念だけどね」

 その聡の台詞に清香は僅かに首を傾げたが、聡は笑って前方に視線を戻し、車を再度発進させた。

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