第13話 教育的指導
「部外者は、口を出さないで貰えるか?」
「部外者だろうが何だろうが、耳障りな事を目の前で垂れ流されるのを、黙って甘受しないといけないなんて理由なんてないわ。たかが親と気まずくなった位で、いい年をした男が、年下の女子大生に愚痴なんか零してるんじゃないわよ。みっともないったらありゃしない」
「ちょ、ちょっと朋美落ち着いて、聡さんも」
聡が向けてくる、これまでの苛立ちも相俟った険しい視線を、朋美は恐れ気も無く真っ向から受け止め、吐き捨てる様に言い返した。間に挟まれた格好の清香は、ただオロオロとするばかりである。
「随分お気楽に育ったみたいだな。いつも『ごめん』の一言で何でも済ませて来れたのか? いっそ羨ましいな」
「はん! 何よ深刻ぶって。これまで親とまともに喧嘩した事がない、人間的に未成熟な人間に、好き勝手言われる筋合いは無いわ!」
「何で人間的に未成熟とまで、言われなくちゃならないんだ!?」
「その年で、親を怒らせてどうしたら良いか分からないなんて狼狽えるなら、まともに反抗期なんか過ごして無いわよ。終始親の顔色を窺う“良い子”だったんじゃない? それに当然、兄弟が居なくて一人っ子よね」
「……どうして断言できる」
見事に言い当てられ、憮然として尋ねた聡にわざと直接答えず、朋美は清香に顔を向けた。
「清香。この人に今年私が選択していて、あんたが選択してない科目を教えてやって」
「えっと……、児童心理学と行動分析学と精神発達論、です」
チラリと聡の方を気にしながらも清香が素直に答えると、朋美は語気強く言い放った。
「私に言わせればね、今時の小学生の方が、よほど鬱屈して屈折してるわよ。何? その幼稚園レベル。ひょっとして家族なんだから、時間が経てばその内自然に何とかなるとか、心の底では思ってるんじゃないの? 甘いわね」
「朋美。家族なんだから、何とかなるものじゃないの?」
黙り込んだ聡とは対照的に、怪訝そうに清香が口を挟むと、それを聞いた朋美が深い溜息を吐き出す。
「あのね、清香。血の繋がりが有る分、余計に人間関係って厄介なのよ。家族だから何でも分かり合えてたら、家族同士で保険金殺人とか、遺産相続で骨肉の争いなんか、この世に存在しないわよ?」
「……ごもっともです」
神妙に頷く清香に、朋美は苦笑しながら言い聞かせた。
「子供が社会性を身に付ける過程で、まず目の前に存在しているのは親兄弟でしょう? その人達とぶつかった上で、その人間関係をどう修復していくかの過程で、他の人間との関係を構築して行くスキルを身に付けるのよ。どこまでなら許されるのか、どうすれば許して貰えるのかって学習しながらね。喧嘩したら同じ数だけ仲直りしなきゃいけない。これ、常識だから。喧嘩したらそのままで良いとか、嫌われるのが怖いから絶対喧嘩できないなんて考えの持ち主は、精神構造がどこかいびつだって言われても、文句は言えないと思うわ」
「う……、それはそうかと思うけど。でもよくよく考えてみれば、私、お兄ちゃんと喧嘩した事ってあるのかな?」
思わず漏らされた清香の呟きに、朋美は苛立たし気に話を続けた。
「要するに小笠原さんは、経験値が殆どゼロだから《喧嘩したら相手に二度と許して貰えないんじゃないか》って喧嘩する前から怖気づく根深い人間不信型で、それが高じて積極的に人間関係を広げられない《来る者拒まず去る者追わず》の淡泊なタイプ。清香は《喧嘩する状態まで持っていかれない》過保護もしくは無関心家族型で、それが逆な方向に働いて《特定の狭い範囲だけに強固な関係を結びたがる》固執タイプってとこかな?」
そんな風にキッパリと断言されて、清香と聡は絶句した。
「なんか、随分酷い事を言われた様な気が……」
「私、そんなに固執するタイプじゃないと思うけど」
そんな控え目な抗議も、朋美はあっさり流した。
「まあ、他人がどうこう言う事じゃないけど。小笠原さんはぶつぶつ愚痴ってる暇が有るなら、もっときちんと謝る事ね。何か物を壊したなら代わりになる物を。それで代替えできない思い出とかなら、それ以上に楽しい思い出を作ってあげられる様に努力する事。そして家族なんだから、思った事はきちんと口にして正面からとことんぶつかる事。何かを始めるのに遅すぎるって事は無いのよ? ヨボヨボの爺さんになって死ぬ前に『ああしておけば良かった』と後悔するより、はるかに良いと思うけど」
「確かに」
最早、苦笑するしかないといった表情の聡から、朋美は清香に視線を移した。
「前から一度言いたかったんだけど、清香は何でもかんでも清人さんに任せっきりにしないで、色んな事柄や物をきちんと自分で選ぶ事。あまり物事に執着しないのは美点かもしれないけど、度が過ぎると周りが見えなくなるわよ?」
「私、そんなにお兄ちゃんに依存している様に見える?」
不満げに訴える清香を、朋美は鼻であしらった。
「判断基準が何でもかんでも《お兄ちゃん》じゃない。お兄ちゃんが好きな髪型、お兄ちゃんが好きな服装、お兄ちゃんが好きな料理、お兄ちゃんが好きな場所。他にも、これまで色々聞いたけど? 別にお兄ちゃんの言う通りにしなかったからって、あの人はあんたを放り出したり、あんたの前から急に黙って消えたりしないわよ」
「そんな事……、思って無いわよ」
何やら微妙な空気を察した聡が、思わず清香の顔をまじまじと覗き込もうとした時、学食の正面入り口付近から女性の声が響いてきた。
「ちょっと朋美! 見つけたわよ!?」
「あんた、さっきのメールは何なの?」
急な打ち合わせ日時の変更を一斉にメール送信した為、当惑した彼女達が自分を探していたと瞬時に察した朋美は、清香達に不審に思われない様に慌てて立ち上がった。
「あっと、ごめん清香。ちょっと真理子達と話があるから、ここで待っててくれる?」
「うん、良いわよ?」
断りを入れて級友の元に駆け寄っていく朋美を見送ってから、清香は黙り込んでいた聡に、幾分心配そうに声をかけた。
「あの、聡さん、気を悪くさせてしまったらすみませんでした。朋美は思った事をストレートに口にするタイプで。でも基本的に世話焼きの、優しい子なんですよ?」
自分に気配りしつつも、ちゃんと友人をフォローする清香に、聡は強張っていた表情を緩め、優しく笑いかけた。
「いや、気にしてないから。俺が情けないのも結構子供なのも、言われてみればその通りだし。寧ろ目が覚めて良かったよ、もう少し頑張ってみる」
「そうですか? それなら良いんですが」
そこで聡は苦笑混じりに呟いた。
「本当に……、清香さんの顔を見たら気分が良くなるかも位の、軽い気持ちで来てしまったんだけど」
「う、ごめんなさい」
「え? どうして清香さんが謝るの?」
予想外の反応をされて聡が戸惑うと、清香が如何にも申し訳無さそうに呟く。
「だって聡さん、気分転換にポニーテールを触らせて貰いに来たんですよね。それなのに私、今日はバレッタで留めてるだけですし」
「は?」
そう真顔で告げられた聡は反射的に清香の髪型を確認し、今日彼女に会った時から感じていた微かな違和感の正体に、漸く気がついた。そしてどれだけ自分が失調していたかを自覚すると共に、自分の中から笑いが込み上げてくる。
(俺って、彼女の中では、とんでもないポニーテールフェチだとでも思われてるのか? しかし自分に会いに来たとは、微塵も考えない所が、なんとも笑える)
そんな事を考えて笑いを堪えていた聡は、ふとある事を考え、早速それを実行に移した。
「ねえ、清香さん。じゃあ俺に気分転換させて、慰めてくれる?」
「それは……、できればそうしてあげたいですが」
「じゃあヘアブラシとシュシュを買おう。駅前まで行けば小物は幾らでも売ってるよね。今日のお詫びに、清香さんの気に入った物を買ってあげるから」
「え? あの、まさか……、それで私にポニーテールにしてくれとか……」
自分の腕を軽く引っ張りながら立ち上がった聡に、清香は若干引き攣った顔であまり考えたくない可能性を口にしたが、聡は笑顔であっさり肯定した。
「勿論。実は五時までには一度社に戻らないといけないから、ここにあまり長居はできないんだ。そういう事だから行くよ?」
「あの、ちょっと待って下さい! 一応朋美に断りを入れないと!」
「大丈夫大丈夫。親友なんだろ? これ位で怒らないから」
「何で聡さんが断言するんですか!」
「彼女とは腐れ縁なんだろ?」
「もっとマシな言い方をして下さい!」
そんな言い合いをしつつ2人は朋美達が立ち話をしている入り口とは反対方向の扉を目指し、朋美が話を終えて再び座っていたテーブルに視線を向けた時には、二人の姿は影も形も見あたらなかった。
「清香をあっさり丸め込んで、まんまと逃走しやがったわね? あいつ……」
忌々しげな口調とは裏腹に、朋美はどこか楽しんでいる様な表情で、清香達が出て行ったと思われる奥の出入り口を見詰めた。そして徐にバッグから携帯を取り出し清人の携帯を呼び出すと、短いコール音の後、冷静な清人の声が伝わってくる。
「もしもし、朋美さん? 何かあったのか? こんな時間に」
「ええ、ちょっと。実は大学に小笠原氏が清香を訪ねてきて、先程まで三人で顔を合わせていたんです」
そう告げた瞬間清人は電話の向こうで一瞬押し黙り、次いではっきりと不機嫌だと分かる口調で問い掛けてきた。
「……あいつは何をしに、そこまで押し掛けたんだ?」
「私に凄まないで下さいよ。一言で言えば、ぐだぐだっぷりを露呈しにですね。あれじゃあ、付き合う以前の問題でしょう。恋人なら自分の格好悪い所なんて、意地でも見せたく無いでしょうし。あ、でも……、却って気を許してるからこそ、洗いざらい話せるのかな?」
「君の見解はどうでもいい。さっさと話の内容を教えろ」
「はいはい。それでですね……」
何気なく口にした推論を完璧に無視されたが、朋美は気を悪くする事無く、薄笑いさえ浮かべながら一部始終を語った。
「……そんなわけで、清香と纏めて説教しちゃいましたよ。あのぐだぐだ男に」
肩を竦めながら朋美が語ると、電話の向こうの清人は更に不機嫌そうに問い掛けた。
「話の内容は分かった。それで? 清香とあいつはまだそこに居るのか?」
「居たらこんな電話できないじゃありませんか。あの男、ちょっと目を離してる隙に、清香を丸め込んで遁走しやがったんですよ。言っておきますけど、これは不可抗力ですからね! それ以降の事は清香が帰ったら、本人に聞いて下さい」
腹立たしく思いながら弁解の言葉を繰り出すと、予想に反して清人は微かに笑う気配と寛大な言葉を返してきた。
「さすがの君も勝手が違って油断したのか? まあ、今回は良い。その代わり、次回は宜しく頼む」
「分かりました」
当初はそこで大人しく通話を終わらせるつもりだった朋美だが、ふと悪戯心が芽生えて、自然に口から言葉が転がり出た。
「それにしても……、清人さんと小笠原さんって、似てる所がありますね」
「どこが。どんな風に」
如何にも不機嫌そうに吐き捨てた清人に、朋美は必死に笑いを堪えながら理由を述べた。
「二人とも頭は良い筈なのに、揃ってお馬鹿さんです」
「なっ……!?」
「頭が良い、イコール賢いとは一概に言えないと、前々から密かに思っていたんですが、それを実証してくれる人間が二人も現れてくれて、とても嬉しいです」
全く悪びれずに告げた朋美に対し、絶句していた清人が小さく唸った。
「俺は君と契約するに当たって、暴言を吐く事まで容認した覚えは無いんだが?」
「『暴言を吐くな』と禁止されてもいませんよね? もう三十過ぎのいい年をした大人が、ガキの台詞に一々目くじら立てないで下さい。それでは失礼します」
そう言ってあっさりと通話を終わらせた朋美の携帯には、わざわざ清人からかけ直してはこなかった。それをバッグにしまい込んだ朋美は、今後のキャンパスライフに一抹の不安と楽しい変化の予感を覚えつつ、校内を後にした。
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