零れた欠片が埋まる時

篠原 皐月

プロローグ ~知られざる邂逅

 両親の通夜で、市営住宅の集会所に設けられた白を基調とした簡素な祭壇を見やりながら、その間近に制服姿で正座していた清香さやかは呆然と今の状況について考えていた。


(どうしてこんな事になってるの? 今朝までは二人とも、普通に笑ってくれていたのに……)


 中段に並べて飾られている両親の遺影を見ても、居眠り運転のトラックに突っ込まれて両親が呆気なくこの世を去ってしまった事が未だに理解できていない清香を、隣に座る喪主で、年の離れた兄、清人きよとが低い声で促す。


「清香、ご挨拶しなさい」

 その声で俯いていた彼女が顔を上げると、旧知の人物が顔を揃えて弔問にやって来ていた。


「柏木さん、倉田さん、松原さん。本日はお忙しいところ足を運んで頂き、ありがとうございます」

 清人が礼儀正しくが頭を下げる前で、父親の幼馴染として時折顔を見せていた初老の男性達が、沈痛な面持ちで声をかけてくる。


「何を言ってるんだね、水臭いぞ清人君」

「そうだぞ? しかし連絡を受けて、何か我々でできる事があればと思って取り急ぎ駆けつけてみたが、この短時間で君が万事整えていた様で安心した」

「私達としては寂しいが、二人とも安心しているだろう」

「いえ、ここの自治会の方やご近所の方にお世話して頂きました。私一人ではとても……。今後何か手に余る事がありましたら、その時はご助力をお願いします」

 再度神妙に頭を下げた清人に対し、三人は涙ぐみながらも力強く頷いた。


「それは勿論だとも。遠慮なんかしないで、幾らでも頼って来なさい」

「まだ清香ちゃんも、中学に上がったばかりだしな。あまり気を落とすんじゃないよ?」

「何か困った事があったら、すぐにおじさん達に言うんだよ?」

 引き続き自分にかけられた声が引き金になったのか、ここにきて漸く清香の目にじんわりと涙が浮かんでくる。


「雄一郎おじさん、和威おじさん、義則おじさん、ありがとう、ございま、す……」

 そんな清香の様子を見た面々は、黙って一人は頭を撫で、一人は軽く肩を叩き、一人は膝の上で固く握りしめた彼女の手を優しく握ってから下がって行った。そして彼らが集会場の片隅で、何やら手伝いの女性達と話し始めたのを涙で潤んだ目で眺めていると、突然隣の清人が立ち上がった。


「どうしたの? お兄ちゃん」

 すると清人は険しい顔つきで、出入り口に向かって足早に歩き出した。

「ちょっとだけ離れる。ここを頼む」

「え!? ちょっと! お兄ちゃん!?」

 一人にされて一気に心細くなったものの、同じ団地の知り合いが挨拶に来た為、自分まで席を立つ真似はできず、そのまま座ってお礼を言いながら頭を下げた。そしてその人物が去ると同時に、同じ棟で家族ぐるみの付き合いをしている女性が、割烹着姿で背後からにじり寄って声をかけてくる。


「清香ちゃん、ちょっと良い?」

「はい、なんでしょうか」

 するとその女性は割烹着のポケットから素早く白い封筒を取り出し、後ろに向き直った清香の手に握らせた。


「凄い仕立ての良いスーツを来た三人の方に、『葬儀では現金が手元に無いと何かと不自由です。私達からだと清人君は遠慮して受け取らないと思いますので、貴女達から後で彼に渡して頂けませんか?』って押し切られて、取り敢えず預かっちゃったんだけど……」

 困った様に囁かれ、こっそり渡された封筒の厚みに彼らの思いやりを実感して、清香はいよいよ号泣しそうになった。


「ありがとうございます。あとからお兄ちゃんに渡して、おじさん達にはお礼をちゃんと言いますから」

 それを聞いて、相手は如何にも安堵した表情を見せた。


「良かったわ。おばさん安心しちゃった。だって佐竹さんの所はご夫婦どちらも親戚付き合いが無いって伺ってたから、急に兄妹二人だけになってしまって団地の皆で心配してたのよ。勿論、清人君はもう成人して自活しているから大丈夫だとは思うけど、やっぱり頼りになる親戚の方が居れば安心でしょう? 優しい伯父さん達で良かったわね」

「……いえ、あの方達は父の幼馴染で仲良くして頂いただけで、親戚じゃないんです」

「え? あ、そうだったの?」

「父は確かに天涯孤独ですが、母には親兄弟が居るらしいですね」

「らしいですねって……。清香ちゃん? その人達に連絡は取ったの? それらしい方はまだお見えになっていないみたいだけど……」

 何故か急に俯き、暗い声で呻くように告げた清香に、若干たじろぎながらも相手は控え目に問い質したが、そこでいきなり清香が激昂した。


「だれが連絡なんか取るか! あの人で無し野郎どもにっ!!」

 その怒声に集会場内が静まりかえり、先程挨拶して帰りかけていた三人組と、それと入れ替わりに目立たぬ様に集会場に入ろうとしていた一人の老人の動きが止まった。


「おばさん!」

「なっ、何っ!? 清香ちゃんっ!」

「おばさんが結婚してここに住み始めたのは、私が産まれた後だから知らないと思うけど、母の家族っていう人達はね、お金持ち特有のもの凄く選民意識に凝り固まったどうしようもない連中なの! 一人娘が結婚しようとしている相手が十五も年上のバツイチ子持ち男だと知るや、その職場に圧力掛けて首にさせ、借りていたアパートの大家に金を掴ませて無理やりたちのかせ、ここに住み始めてからは人を雇って悪質なデマビラを撒き散らして子供が学校でいじめられる様にしむけ、何度電話番号をかけても無言電話を掛けまくる様な、非常識かつ不見識な人間の集団なの! お母さんから洗いざらい聞いてるし、昔から居る団地の主だった人達は、皆知ってるんだから!」

「そ、それはなかなか、大変だったのね……。全然知らなかったわ」

 思わずドン引きになりながらも相槌を打った相手に、清香は泣き叫びながら畳み掛ける。


「お父さんは間違っても人の悪口なんか言わない人だったから、その話を聞いている横で『子供に向かってそんな事を言うのは止めなさい。それにそれだけ大事な一人娘を奪ったんだから、当然の仕打ちだと思っているから』って笑っていたけど、お母さんは未だに怒ってたんだから。結婚の許しを得ようとお父さんがお兄ちゃんを連れて自分の実家に挨拶に行った時、よってたかってお父さんをボコボコにした挙げ句、お兄ちゃんの腕まで折った事!」

「えぇ? そんな事があったの?」

「ああ、三木本さんもここに来てから十年以内だったから、知らなかったのね」

「ここの団地内では有名な話よ?」

「その頃、清人君は小学生だったのに、酷過ぎるでしょう?」

「本当に、幾らなんでも人間性を疑われるわよ」

 奥まった給湯室でお茶出しをしていた他の女性達も騒ぎに驚き出てきたが、清香の話を聞いて揃って顔を顰めつつ同意を示す。その声に重なる様に、清香が声を振り絞って叫んだ。


「そんな人達、焼香に来たって一歩たりとも上げさせるもんですか!! どうせ『それみた事か、こんな貧乏暮らしの上早死にするなんて馬鹿な奴だ』とかなんとか、せせら笑う為に来るに決まってるんだから! もし来たら頭から灰を撒いて、叩きだしてやるわっ!!」

「清香! 何を騒いでるんだ!?」

「お兄ちゃん!」

 その時、どこに姿を消していたのか慌てて集会室に入って来た清人が清香に駆け寄ると、とうとう緊張の糸が切れたらしい清香が抱きついて盛大に泣き出した。


 その自分の腕の中にすっぽりと埋まる小さな体を抱きかかえ、背中をさすってやりながら、先程断片的に聞こえてきた清香の叫びの影響を考え、清人は小さく溜息を吐いた。そして部屋に駆け込む時にすれ違った何人かの人間に、肩越しに視線を向ける。

 案の定全員が、未だ蝋人形の如き表情で固まっており、その者達にほんの僅かの罪悪感を覚えた清人は、謝罪の気持ちを視線に乗せ、清香を抱きかかえたままごく軽く頭を下げてみせた。

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