閑話『賢者と女性社員』

「あの、ここいいでしょうか……?」


 この会社に通い始めて1年が経とうとしたころのこと。

 私がいつものように社員食堂で昼食をとっていたところ、ひとりの女性社員が相席を求めて声をかけてきた。


「……他に空席もあるようだが?」

「あの、やしろさんにお話があるんです」


 その女性社員は少し怯えた様子ではあったものの、目には強い意志が表われていた。

 どのような思惑があるのか走らないが、話くらいは聞いてもいいだろう。


「どうぞ」

「ど、どうも……」


 席についた女性に視線を向ける。


「失礼だが……?」

「松村です。松村仁美といいます」

「そうか。私はやしろだ。やしろたかし


 まずは食事を、ということでお互い無言で食事を済ませ、一段落ついたところで彼女が切り出した。


「あの、ウチの課がなくなるって、本当ですか……?」

「ふむ?」


 そこで松村君は、社内でまことしやかに囁かれている噂について簡単に説明した。


「課長に問題があって、それで、ウチがリストラされるんじゃないかって、……」

「君のところの課長は……、金山君だったか」


 私がそう呟いたところで、彼女はテーブルに手をついて頭を下げた。


「おねがいしますっ! 課がなくなるのは仕方ないかもしれませんが、できれば他の課に異動という形でもいいので、クビにしないでください」

「お、おい、君……」

「私はいいんです! でも、田中さんは育児休暇あけたばっかりだし、村本さんはお父さんが病気で大変なんです。他にも――」

「松村君、落ち着きなさい」


 早口でまくし立て始めた彼女の肩をポンと叩き、黙らせる。


「あ、あの……すいません、私ったら……」

「君は少し勘違いしているようだな。いや、君に限らずだが……」

「勘違い、ですか?」

「そうだ。そもそも君はリストラをなんだと思っているのかな?」

「えっと……、いらない部署をなくしたり、その……役に立たない社員を、クビに……」


 話している内に、松村の表情が曇り、声が小さくななっていく。


「ペレストロイカという言葉に聞き覚えは?」


 少々空気が重くなったようなので、私はそれを払拭するように少し明るめのトーンで問いかけた。


「えっと、たしかロシアの……」

「そう。どん詰まりだったソ連の政治を改革するために、ゴルバチョフがグラスノスチとともに提唱した政治改革運動だな。その結果、ソヴィエト連邦は崩壊しロシア連邦が生まれたわけだ」

「は、はぁ……」

「それが良かったのかどうかは今となっては――、というよりはもっと時間が経ってみないとわからないかもしれないが、少なくとも当時はお祭り騒ぎだったな」

「そうですか……」


 ソ連崩壊と言われても松村君にとっては生まれる前の出来事であり、一応教科書で習ったもののあまり興味はない、といったところか。

 ただ、ペレストロイカという言葉対して悪い印象はなさそうだ。


「グラスノスチは情報公開、そしてペレストロイカは再構築という意味を持つ言葉だ」

「はぁ」


 私の意図が読めず、彼女はただ生返事を返す。


「リストラ、すなわちリストラクチャリングとは、ペレストロイカを英訳した言葉だ」

「えっ?」

「つまり、リストラとは単に再構築を意味する言葉であって、なにも人員や不採算部門の整理など、ダウンサイジングを伴うものばかりを指す言葉ではない、ということだな」


 そう言って、私は少しだけわざとらしく口元を緩めた。


「松村君はいつも社員食堂を?」

「えっと、はい。少し前から」

「なぜかな?」

「あの、昔はお弁当だったんですが、ここのご飯が発芽玄米に変わったから――」

「それもリストラの成果だ」

「ええーっ!?」


 元々この社員食堂では、白米と胚芽米はセルフサービスでおかわり自由という制度だったのだが、少しでも社員の健康状態を改善すべく、白米は有料、胚芽米はこれまで通り無料でおかわり自由というふうに変更した。

 劇的な変化を求めたわけではなく、ちょっとした健康状態の改善と意識改革を狙ってのことだったが、何故かこのことで社長の健康志向に火が付いてしまった。


やしろ君。いっそのこと、玄米にしてしまってはどうかね?」

「ふむう……、しかし玄米は味のほうが……」

「健康のために多少味が落ちるのは仕方あるまい?」

「いや、玄米を食べるくらいならと、有料で白米を求められては意味がありませんからね。せめて発芽玄米であれば味の方もそこそこいけるのですが」

「発芽玄米か……。あれ、高いんだろ?」

「玄米から自作できますけどね」

「なんと? では早速!」


 多少の試行錯誤はあったものの、社員食堂で発芽玄米を安定して提供するという施策は成功した。

 これまでのようにおかわり自由とまではいかないが、大盛り無料くらいであれば提供できたので、ご飯のおかわり自由制度廃止に対する不満の声はそれほどあがらなかった。

 さらにメニューも社長の影響を受けて健康志向に移っていったことで、これまで弁当持参が大半だった女性社員が社員食堂を使うようになり、従業員同士の交流が深まったおかげか、業績が多少良くなったのだった。

 その他にも、私はこれまでこの会社で行ってきたこと、今後何を行うのかということを、一般社員に話せる範囲で話した。


「リストラとはいらないものを切り捨てるのがすべてではない、ということはわかってもらえたかな?」

「はい、すごいです!!」


 どうやら松村君の不安は無事払拭されたようだ。


**********


「ところで、なんでやしろさんはリストラ賢者って呼ばれてるんですか?」


 それは私と松村君が初めて食堂で話してから1年ほど経ったある日のこと。

 あの直後、社内で顔を合わせればお互い挨拶する程度の仲になり、やがて彼女のほうから積極的に声をかけることが多くなった。

 なかなか熱心な社員だ。

 感心感心……。


 現状、時間があるときなどは会社帰りに駅近くの喫茶店でお茶を飲むくらいのことが、月に2~3度ある。

 勉強熱心な彼女のために、私もできるだけわかりやすく経営や経済について話をしているのだが、松村君はいつも楽しそうに私の話を聞いてくれる。

 いつしか彼女と話すのが少しばかり楽しみになっていた。


 しかし、よりにもよってあだ名の由来に興味を持つとは……。


「その呼ばれ方は、あまり好きではないのだがなぁ……」


 私はこれまで経営アドバイザーとして、多方面で活動していた。

 そして、いつしか私がリストラをおこなった人たちから『リストラ賢者』と呼ぶようになっていた。

 彼等の呼び方からして、敬愛を込められているということは一応わかって入るのだが……。


「あ、すいません……、気になったので、つい……」

「いや、まぁ別にいいんだが、それほど大した話ではないぞ?」


 多少申し訳なさそうにはしているものの、興味津々といった様子を隠しきれていない彼女の視線を受けて、私は諦めたようにため息をついた。


「私の姓名『社賢』を入れ替えれば『賢社』となるだろう? 読み方を変えれば『けんしゃ』。で、それをもじって『けんじゃ』、というのが私の学生時代のあだ名だ。その頭にリストラ、と誰かが付け始めて、気がつけば微妙に定着してしまった、といったところかな」

「そ、それだけですか……?」

「だから言っただろう? 大した話ではないと……」

「あ、はい、すいません……。じゃあ昔から『けんじゃ』と呼ばれるのは嫌だったんですか?」

「そうでもないかな。『けんじゃ』イコール『賢者』と考えれば、多少仰々しいような気もするが、悪い気はしない」

「なんで『リストラ賢者』は嫌なんです?」

「ふむう……。以前、リストラには悪い意味ばかりじゃないと言ったのを覚えているかね?」

「はい! もちろんです!!」

「おそらくだが、私を『リストラ賢者』と呼んでくれる人たちは、好意的な意味でそう呼んでくれているのだとは思うんだよ? いい意味でのリストラ執行人とでもいうのかな」

「だと思います。たぶん、ですけど」

「しかし、現状日本では、やはりリストラという言葉に対して、いい印象を持っている人は少ないと思うんだよ」

「そう、ですね……」

「それで、だな。『リストラ賢者』と呼ばれると……」


 そこで一度言葉を区切った、私は少し照れたような表情で頬をポリポリとかいた。


「悪い意味でリストラされた賢者というふうに聞こえないか?」

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