お題箱『エアコン、ぬいぐるみ、沼』(登場:椋谷、伊桜、春馬)
炎天下の中、一条家の日本庭園を通過して少しばかり涼んで
「はー……。ったく、やっと
わがままお嬢様の手が少し離れたなと感じたのも束の間のことで、今度は問題児お嬢様となって二週連続でご父兄学校呼び出しである。父兄といえば普通は両親のどちらかが出向くものだが、多忙につき代役として一条家使用人である椋谷が駆り出されるのだ。
裏口から入って使用人通路を行き、地下の休憩室へ。
少しくらい休憩したっていいだろう、と椋谷は木椅子に腰を落ち着けた。
「おかえり椋谷くん。お疲れさま」
そこへ使用人仲間の
「サンキュ。いやー……やれやれ参った」
今回の呼び出しは、伊桜が小学校にぬいぐるみを持ち込んでおり、やめさせてほしいのだとかだった。
「こんな暑いのに、あいつ、よくあんな人形を抱きしめてるもんだよ」
「あはは、そこー?」
春馬は楽しそうに笑っている。のんきなもんだ。
「……教師も教師で、そんなことで俺を呼び出すなって。こっちも忙しいんだ。そっちでなんとかしとくれーって思うっての」
先週の呼び出しは、伊桜が「前にならえ」を絶対に意地でもやりたくないらしく集団行動を乱しているとのことで、なんとかしてほしいという内容だった。これまで一年生、二年生と伊桜は背の順で一番前の位置だったため、腰に両手を置くポーズだったために問題がなかったらしい。あほか。
「いやまあ、一条家のご息女様だよ? 寄付金だってものすごい額してるんだろうし、まあ、ガツンとは言いづらいよねえ」
春馬は椋谷の隣に腰を下ろし、完全に愚痴に付き合ってくれる態勢だ。椋谷はありがたく甘えて、ぶつぶつ続ける。
「でも、逆にそんなお家柄の父兄を気軽に呼び出すか? 普通……」
「使用人さんが来てくれるなら、ね。しかも、椋谷くんの言うことなら、伊桜ちゃんも比較的よく聞くし」
「……そこかよー……」
がっくりとうなだれる椋谷。
それにしても汗が止まらない。暑い。
「なんか、暑くねー……?」
「エアコンがね、最近効きが悪くて」
「まじかよー。故障?」
低い天井を見上げる。低い天井に無理やり取り付けたエアコンは、飛び出たようにしてひどく不格好だったが、涼しいから気にしていなかったのに。
「ここにあるものはほとんど一条家のお下がりだからね。旧型だし、そろそろガタが来てもおかしくはないね」
元は天井に埋められているタイプの物で、それを掘り起こしてここに移設したのだ。かなりブサイクになっている。
「あー……もう……。じゃ、上行くかー……」
「そろそろ伊桜ちゃんも帰ってくる頃じゃない?」
椋谷とは違い、伊桜は車での送迎付きのため、そんなもんだとは思う。
「まったく、あいつ帰ってきたら、まーた一発叱らないといけないし……はあ、上のエアコンは大丈夫だろうな?」
重い腰を上げ、椋谷は汗を拭きながら玄関ロビーへと向かう。その姿を、春馬は複雑そうに見つめていた。
一時間後、椋谷はズボンの裾を膝上までたくし上げ、長靴で庭園の溜め池の中にいた。
椋谷にきつく叱られた伊桜が腹いせに、持っていたものをぽんぽんと池の中に投げてしまったのだ。給食係のエプロンはぽーんと綺麗な弧を描いて池のど真ん中に落ちて見えなくなったし、学校に持っていくほど大事にしていたぬいぐるみも池に沈んだ。怒髪天を衝く椋谷のげんこつで伊桜はギャン泣き退場。椋谷も泣きたい気分で、苔だらけの沼のようなぬるい溜め池に足を踏み入れ、底も見えないほど濁る闇の中に素手を沈めて落とし物を手繰り寄せながら、「この給食エプロンとぬいぐるみ、これから元通りになるまで殺菌・洗浄するのにどれだけ時間がかかるのだろう……」と暗澹とした思いを噛みしめる。春馬が庭師であることを理由に捜索に名乗りを上げてくれたものの、この事態を招いた自分に責任がある気がして椋谷は固辞した。
(はあ……。伊桜……。俺を困らせたいのだろうか……)
嫌われることには慣れている。と、思っていたが、もしそうだとしたら……? と考えたとき、ぐさっと傷ついている自分の心に驚いていた。
自分が投げ捨てた品々を、汗と泥だらけになりながらも椋谷が必死に回収している。空調の効いた二階の自室で、春馬にアフタヌーンティを給仕させながら、伊桜は彼の働く姿を眺めていた。
やっとのことで回収が成功したようだ。給食エプロン袋とぬいぐるみは、どろどろになって見るも無残な姿。
あんなに汚れたものを、これから椋谷は手で洗って綺麗にするのだろうか? 伊桜のために?
想像するだけで、胸がきゅんとした。
今日は学校でも椋谷に会えた。
椋谷を独り占めするためなら、叱られることも、げんこつを食らうこともへっちゃらだ。
大事なぬいぐるみを池に落とすことも。
(また、叱られる?)
ゆっくり紅茶を啜りながら、伊桜は叩かれた額のたんこぶにそっと指を触れさせるのだった。
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