お題箱『スタバ』(登場:白夜、南、針間)

 愛長医科大学病院本日の診療は午前で終了――そんな土曜日だった。ここで働く看護師の白夜と南は一週間分の疲れた心と体を癒すため、最上階にあるスタバまで珈琲を飲みにやってきた。ちょっと遠いがこの大学病院内にあり、見晴らしもよい。大病院の外来というのは診察やら検査やら、とにかく待ち時間が長いので、時間潰しの患者でいつもここは賑わっている。また、入院患者も気晴らしに来るようだ。今日は土曜日ということもあってか、見舞い客もいて盛況だった。それから、医学生や看護学生がガリガリと勉強をしていたりもする。

 コーヒーとサンドイッチを受け取った白夜と南は、奥の席について一息つく。

「いやあ、まったく、針間先生が外来担当じゃない曜日ってのは本当に平和だな」

 つつがなく終えることができたため、こうして無事昼食にありつけているというわけだ。

「ですね~」

 南もほっとため息を漏らして頷く。

「泣かされる患者も、看護師もいないし」

「コーヒー買いに行かされることもないですしね~」

「だからそれはちゃんと断れっての」

「うう、そう言われても難しいです……」

「もう少し強くならないとな、南は」

「はい……」

「ま、俺も針間先生を反面教師にして、頑張るからさ」

 白夜がそう言って決意を新たにした時だった。

「誰が反面教師だって?」

 噂の人物の不機嫌そうな声が天から降ってきた。声の主を振り向くと、やっぱり――

「うわっ……針間、先生」

「いたんですね……」

 掻き上げた髪の下、眉間に皺が刻まれた男――針間俐久その人だった。ブラックコーヒーに刺さった黒いストローをがしがし噛んでいる。白衣は着ていないが、夜勤明けだろうか。

「さ、さーて南、そろそろ俺達行かないとな……」

「そ、そうですねそうですね!!」

 その時だった。

「うーっ」という突然のうめき声が背後から上がる。

 白夜ははっとして振り向き、腰を浮かせる。見れば、若い男性が口元を押さえて、もがき苦しんでいた。ゴウゴウと犬が吠えるような妙な咳をしている。

(急病人だ――!)

 彼の前にさっと出てきたのは針間だった。

「どうした」

 急病人の背中をさすってやりつつ、顔を見ながら問いかける。男性は苦し気に顔を赤くしながら、テーブルの飲みかけのドリンクを指さした。

「アレルギーか」

 激しく首を縦に振る。

「おら南、アレルギー詳しいドクター呼んでこい。いれば宮越ドクターを、いなければ誰でもいい。とにかく内科に行け、急げ」

「はっ、はい!」

 患者ごとERに担ぎ込みたいところだが、あいにくここは病院と大学の狭間にある棟の最上階で、そこへ行くまでに患者が死ぬかもしれない。ここで緊急措置を行う以外に選択の余地はなった。

「白夜はこっちきて手伝え。エピペン持ってんだろ」

 エピペンとは注射剤のことだ。重篤なアレルギー持ちの人間は、緊急用の自己注射を常に携帯している。白夜は予期してすでに病人の鞄をあさっていた。だが、それらしいものは見当たらない。

「ありません!」

「なに?」

 針間は舌打ちして急病人を睨む。

「てめぇアレルギーの自覚あんだろクソガキ常に持ち歩け馬鹿!!」

 既にアナフィラキシーショックを起こして苦しんでいる患者にそんな暴言吐いたところでどうしようもない。どころか、涙目になってますますパニックになってるじゃないか。

 すると別の患者らしき人が駆け寄ってきて、

「あっ、あの! 僕も、アレルギー持ちで、僕のこの薬使えないですかね!?」

 未開封の自己注射器を差し出した。

「貸せ!」

 受け取ったまま但し書きをじっと見つめる針間。精神科の針間にはもともと専門外だ。そこへ進み出るものがまた一人。

「私は薬剤師です! 私が一緒に確認します」

「そうしてくれ」

「はい……。この量で問題ありません!」

「よし。打つぞ」

 薬剤師が量を確認している間に安全キャップを外して打てるばかりにしていた針間は、そのまま急病人のふとももに突き刺した。すぐに急病人の容体は落ち着いてきた。

 いつの間にかできていた人だかりの中には、救命措置に興味津々な勉強熱心な学生もたくさんいた。

 そうして間もなくしてアレルギー科の医師が駆け付け、病人は南の励ましの元無事に病棟に搬送されていった。

「おつかれ」

 針間の一言で、集まっていた人々はそれぞれ元いたテーブルに戻っていく。医師も看護師も外来患者も入院患者も薬剤師も学生も見舞い客も。元の喧騒に変わっていく。それは不思議な現象だった。


 ここ、愛長医科大学病院内スタバは、時々即席の救急科にもなる。

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