ウィル 2-4 狩りの獲物


 息を殺し、足音を殺しながら、ウィルたちはレムトの後に続いた。

 目的地はこの先にある沼地だというが、明らかに迂回している。木立の隙間を抜ける空気の流れを感じ、風下を選んで歩いているのだと気づいた。

 レムトの動きは一見無造作で、するすると驚くべき速さで進むので、ついていくのも必死だった。それでいて物音ひとつたてることもなく、視界の外にある障害物にひっかかったりもしない。まるで周囲のすべてを把握しているかのようだった。


「うえ、なんだこれ」


 途中、ニッカが一本の木を見あげて顔をしかめた。

 十数メートルはあろうかという枝の上に、ズタズタにされた動物の死骸が乗っていた。


「ビークの仕業だ」

「ビーク?」


 はじめて聞く単語に、ニーニヤが目を輝かせる。


獣竜ビースト・ドレイク――略してビーク。とりあえずそう呼んでいる。これから俺たちが狙う獲物だ」

「ほう」

「仕留めた餌を、他の獣に取られないよう、ああして木の上にひっかけておくんだ」


 死骸は、人間大のリスに似た動物のようだった。頸椎を折られたうえに、内臓もすこし喰われた無残な有様だったが、ニーニヤはしげしげとそれを見つめていた。止める人間がいなければ、登って観察しようとしていたかもしれない。


「あれだ」


 さらにすこし進んだところで、レムトは前方を指さした。

 沼のほとりで、美しい獣が水を飲んでいた。

 皮膜のある翼を持ち、たくましい二本の足で身体を支え、尾は丸太のように太い。長い首に、ねじくれた二本の角。鳥の嘴を思わせる甲羅に覆われた顔。

 姿かたちは翼竜ワイバーンにも似ているが、身体は目の前の水面をすこし明るくしたような、深みのある青い毛に覆われている。


「毛皮、翼、角、爪……どこをとっても高く売れるだろうよ」


 レムトとよく組んで仕事をするという、四角い顔の傭兵が言った。おお、とニッカとサタロが期待に顔を輝かせる。


「凶暴な奴だ。素早くて力も強く、空まで飛ぶ。まずは――」


 なるほど、とニーニヤがペンを走らせる。こんなときでも記録とは、見あげたものだと思わないでもない。だが、後にしろ。

 レムトが作戦を伝え、確認と準備のためのいくつかのやりとりを終えると、全員がそれぞれの配置についた。ウィルとニーニヤは基本的に狩りに参加せず、やや後方で待機する。万が一の場合には救援を呼びにいくという役割もあった。

 ビークがこちらに気づいたようすはない。水を飲み終え、羽繕いを始めたところで、鳥の声を真似た合図が響いた。

 三人の傭兵が、すこしずつタイミングをずらして網を投射する。繊維に針金を仕込んだ特別性で、ちょっとやそっとでは破れない。ひとつ目はかわされたが、ふたつ目、三つ目の網は見事ビークに命中した。


「ギュラゥロロロロゥゥ……ンン……!」


 怒りの声をあげ、ビークが暴れまわる。だが、動けば動くほど網は絡みつく。こと、身体から長く突き出た翼には。

 まずは飛行能力を奪い、空へ逃げられないようにする。初手にして、狩りを成功させるための絶対条件。無事クリアだ。

 息をつく間もなく、ラムダたちが突進する。ニッカとサタロは槍、ミツカは鎖のような武器を持ち、ラムダはなんと無手だ。だが、彼にはあの力がある。

 ラムダが右腕を突き出すと、掌中に光が生まれた。使い手の冷徹な心を映すかのように、青白く燃える炎の光――それがかたちを変え、一本の剣となる。


 居住区のダンジョンのひとつ、豺狼洞穴の深奥には、ふれた者の精神の力を引き出す魔石、〈天啓の詞フルール・クルーレ〉を祀った祭壇がある。

 そこでラムダが手に入れたのが、炎を生み出し操る力。

 ぎり……とウィルは奥歯を噛みしめた。あんな能力が、自分にも発現していれば。

 しかし、そうはならなかった。


(ならなかったんだ。ちくしょう……!)


 ラムダたち四人はビークを取り囲んだ。ビークは鉤爪の生えた腕や尻尾を振り回して応戦するが、投げ網でバランスが狂っているせいで精彩を欠いている。

 大振りの攻撃をかわしつつ槍を立てて牽制、隙を衝いてラムダが懐に飛び込む。炎を恐れ、ビークが退がる。さらに死角から鎖が襲う――一糸乱れぬ連携はさすがだ。そうやって、徐々に沼から引き離していく。空に続いて、水に飛び込むという退路も潰す。

 頃やよし、とばかりにサタロが石突で地面を叩いた。ビークの足許がぬかるみに変わり、巨体を大きく傾かせる。体勢を整えようともがくも、見えない壁にぶつかってうまくいかない。こっちは、ニッカの仕業だ。

 フルーリアン――〈天啓の詞フルール・クルーレ〉によって潜在的な力を解放された者をそう呼ぶ。

 ウィルもかつて、他の子供たちといっしょに豺狼洞穴に潜った。モールソン一家の役に立つ人材か否かを判別する、一種の通過儀礼のためである。

 だが、どんな能力に目覚めるかは、本人の資質と運に左右される。

 ウィルとはちがい、モールソンの幹部が認めるだけの能力を手に入れたラムダたち四人は、こうして異世界の魔物と渡りあうことで、己の価値を証明していた。

 頭ではわかっていたが、こうして目の前につきつけられるとさすがにキツい。

 なんで、こんなものを見なければならない?

 思わず、ニーニヤのせいにしてしまいたくなる。コイツがついていくなんて言わなければ――でも、それは不毛な責任転嫁だ。その程度の良識は、まだウィルにも残っている。


 うなりをあげてミツカの鎖が舞う。彼女だけは能力を使っていないが、出し惜しみしているというわけではなく、使いどころの問題なのだろう。

 実際、能力なしでもミツカは充分に戦えている。鎖で背中を打ったり、動きを封じたりと、援護役として堅実な働きを見せていた。


「やった!」


 鎖が両脚に巻きついて、ビークが転倒した。ラムダが炎の剣を振りあげる。


「いくぞ……! 我らモンモン!」

「「「モールソン!」」」


 四人は呼吸を合わせ、一斉に攻撃をしかけようとした――そのとき。


「耳をふさげ!」


 レムトが叫ぶと同時に、ビークの喉が風船のようにふくらんだ。

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