泣き虫兵器ベルタ
ますだじゅん
プロローグ
私はその日も、彼女の元を訪れた。
携帯端末にガンガン入ってくるメールを無視して、もう若くはない体を引きずり、クルマを飛ばした。
記念館は、青くさびしげに輝く太平洋のそばに建っている。ガラス張りの二階建てで、事件の巨大さを考えれば驚くほどささやかなものだ。
駐車場にクルマを入れて、警備員に頭を下げる。白髪頭の警備員は私の顔を覚えていた。
入場券を買って記念館に入る。
土曜日の昼間だというのに、人影は少ない。年配の客が三、四人がいるだけだ。当然だと思う。この記念館には娯楽性がない。陳列ケースの中に並んでいるのは「事件」の再現模型、当時のニュース映像、それから「事件」で死んでいった人たちの遺品や、書き残した遺書。そんなものばかりだ。はっきりいって暗い。説教くさい。
だが私はここに来るたび、心の奥底に炎を灯すことができる。日々の生活で緩んでしまった心のネジを、ギチギチに締めなおすことが出来る。
彼女がいるから。
私は一つ一つガラスケースに頭を下げながら、二階の奥へと向かった。
彼女はいた。二メートルほどもあるガラスケースの中、海を背景にして。
体すべてが真珠のように白く輝く、全裸の少女。重厚なブロンズの台座に乗っていた。
スレンダーな体つきだ。腰も太腿も未成熟でほっそりとしている。両の乳房はおわんを伏せたよりも小さい。短い髪を激しく乱し、台座の上に横すわりして、丸顔に真剣な表情を浮かべ、いまはもう何も映さない瞳を上に向けている。右腕が肘のところで断ちきれていた。残った片方の手を空中に伸ばしている。天に救いを求める宗教者のようでもあり、叩きのめされてなお立ち上がろうとあがく闘士のようでもあった。
腕だけでなく、体のいたるところに傷があった。それでも彼女はまなじりを決して天を仰いでいる。
私は彼女の真正面にしゃがみこんだ。一メートルの距離から、顔をじっと見つめる。
愛らしい顔だ。広い額、ふっくらとした頬、幼さを感じさせる大きな垂れ眼。
その瞳に秘められた決意を、もちろん私は知らない。
私の人生が彼女と交差したのはほんの一瞬だ。あとはずっと、はるかに生ぬるい世界を生きてきた。たかが数百数千の言葉を交わしたくらいで「彼女を知っている」などとは語りたくない。
だが、それでも思うのだ。
彼女がここにいる限り、私は逃げたくない。弱音を吐きたくない。
彼女は戦ったからだ。戦う義務などありはしなかったのに。
私は、手袋に覆われた拳を固く握りしめた。
(私は、逃げていないか?)
(彼女の想いに、私はいま応えているか?)
小さな声で彼女に呼びかけた。
「……ベルタさん」
目頭が熱くなった。だが涙をこらえた。ここで泣くわけにはいかない。彼女に笑われてしまう。
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