第27話『好きな顔』
僕を元気づけるためにやってきたという浅利部長と三好副部長。
入部した部活の2年上の先輩だし、特に部長の方は伊織にとっての目標の人でもあるので、色々と相談されているかもしれない。
「伊織から……何か話を訊いていますか?」
僕がそう訊くと、部長と副部長はクスッと笑った。僕、何かおかしいことを言っちゃったのかな。
「ごめんなさい。ただ、千尋君は伊織さんがとても好きなんだと思って」
「千佳ちゃんも同じことを思った? てっきり、学校では自分がどう言われているのかを訊くんだと思っていたんだけれどね」
「僕がどう言われているのかも気になりますけど、それよりも伊織のことが気になるんです。僕がカミングアウトしたとき、とても思い詰めていた様子でしたから。彼女には気持ちを整理するために距離を取ろうとは言いましたけど、彼女が気になって仕方ないです」
「……そうですか。伊織さん、千尋君に愛されていますね……」
そう言うと、部長は優しい笑みを浮かべる。
「質問に答えなければいけませんね。昼休みに、伊織さんが私のクラスにやってきて、千尋君のことで相談を受けました。いつもお昼は朱里ちゃんと食べるので、彼女も一緒に」
「そうだね。伊織ちゃんと話す前に、千尋君の心が女の子だって話をクラスメイトから聞いていたよ。そのときは半信半疑だったけれど、伊織ちゃんの話を聞いて本当だって分かった。千尋君は悪くないのはもちろん分かっているけど、トラウマが影響して、どうやって千尋君と向き合えばいいのかどうか分からないって言っていた」
トラウマっていうのは、きっと伊織が中学時代に受けたいじめのことだろうな。その影響で、伊織は女性に対する恋愛感情を抱くことが恐くなった。
それに、僕は体が男で、心が女。そういう意味でも、どういう風に向き合っていけばいいのか分からなくなってしまったんだろう。
「千尋君ならゆっくり待っていてくれると思うから、落ち着いて考えればいいんじゃないかって言っておいたよ」
「そう……でしたか。僕が言っていいのか分かりませんが、それでいいと思います。焦らずにゆっくりと、落ち着いて考えることが大切だと僕も想っています。でも……良かった。先輩方に相談していて」
1人で抱え込まずに、誰かに悩みを打ち明けることができたんだ。それだけでも、ちょっと安心できた。
「朝礼前に千尋君は早退してしまったので、千尋君の家に行く話になり、放課後になって朱里ちゃんと一緒に、詩織先生のところに行きました。先生なら千尋君の家の住所を知っていると思いましたし、伊織さんも千尋君が先生にもカミングアウトをしたと言っていましたから」
「先生に千尋君のカミングアウトの内容や、伊織ちゃんが中学生のときに受けたいじめの話とかを聞いて……それを知った上で、ここに来て何か話せればいいなと思って」
「そうですか……」
きっと、部活での様子を見て、浅利部長と三好副部長なら大丈夫だと思って、僕の家の住所を教えたんだろうな。
「ちなみに、このこと……伊織には伝えているんですか?」
「はい。私から朱里ちゃんと2人で行くと電話をしました。千尋君のことをとても気にされていたので、行ってほしいと言われました」
「そうですか」
伊織の方から頼んだのなら安心だ。
伊織は今頃、どうしているんだろうな。家でゆっくりと休んでいるのか。好きな場所に行って、少しでも楽しい時間を過ごしているのか。僕を忘れてくれていてもいいから、少しでも穏やか時間が過ごせているといいな。
「今、伊織ちゃんのことを考えていたでしょ」
「えっ? どうして分かったんですか?」
「素敵な顔になっていたからだよ。茶道部で伊織ちゃんと一緒にいるときのような顔だったからね」
「……そうですか」
想像の中だけでも、伊織の楽しげな顔を思い浮かべると心が温かくなる。だからこそ、カミングアウトをしたときのような悲しげな顔を見たときはとても辛かった。
「千尋君が素敵な笑顔を持っている人なのは、クラスメイトのみんなだって知っているはずなのにね。どうして、心と体の性別が違うだけで心ない言葉を言えちゃうんだろうね。珍しいとは思うけれど、気持ち悪くないよ」
「朱里ちゃんの言う通りですね。千尋君の性別のことも、伊織さんの同性愛についても……少数かもしれませんが、一つの立派な個性なのだと思います。大多数の人と違うからといって、貶したりするのは間違っています」
「そうそう。とりあえず、まずは千尋君にひどいことを言った人達全員を捕まえて、頬に一発叩いてやりたいよね。殴り込みでもいいけれど」
「……その気持ちは分かりますけど、叩いたり、殴ったりはしないでくださいね」
僕も心ないメッセージを送ってきた人達に仕返しをするつもりは今のところない。クラスメイトについては、天宮先生が適切に対処してくれていると信じよう。
「分かってるって。ところで、千尋君。さすがに……明日は学校を休む予定だよね」
「……そうですね。まだ、学校に行く勇気が出ません」
カミングアウトをした内容が広まったら、いったいどうなるか想定はしていたけれど、いざ実際に色々と言われてしまうと、その言葉が心の中に座り続ける。思い出したら怖くなってきた。
「ごめん、千尋君。行かないだろうとは分かっていたけれど、千尋君の気持ちを確認したかっただけなんだよ」
僕は副部長に頭を優しく撫でられる。
「……気にしないでください。あと、しばらくは部活も……休みます」
「うん、分かった」
僕が学校にいない状態で、伊織は大丈夫だろうか。きっと、天宮先生から僕がしばらく学校に来ないと伝えられていると思うし。部活は先輩方がいるからいいとして、教室でどうなるか不安だ。緒方や天宮先生には伊織のことを頼んだし、親友の瀬戸さんもいるから大丈夫だと信じたい。
「しかし、誰が漏らしたんでしょうね。千尋君のカミングアウトの内容を。詩織先生の話ですと、先生とクラス委員の2人にカミングアウトしたんですよね?」
「ええ。クラス委員の……緒方という僕の幼なじみの男子生徒と、瀬戸さんという伊織の中学時代からの親友の女子生徒に。伊織へカミングアウトをするかどうかは考えている中、まずは僕らと親しい2人と天宮先生に話しました。先生から聞いているかもしれませんが、先生と緒方はそんな僕に好意的でしたけど、瀬戸さんはやや否定的という感じでした」
「となると、瀬戸さんっていう女の子が怪しいね」
「まあ、そう考えてしまいますよね」
やっぱり、今の話を聞いたら先輩方もそう考えるか。今朝、家に帰ろうと教室を出ようとしたとき、瀬戸さん……緒方や僕を全然見ていなかった。
「瀬戸さんが最も怪しいですけど、緒方曰く……カミングアウトをした自習室へ向かう間、複数人の女子生徒の気配がしたらしくて。ですから、その女子生徒達が僕のカミングアウトの内容をこっそり聞いて、それを広めたという可能性もありそうです。僕、入学早々に伊織と付き合うことになったので有名らしくて」
「そうでしたか。校内で有名な生徒のカミングアウトを聞いたら、広めてしまいたい気持ちも分からなくはないですが、千尋君が何を考えてカミングアウトしたのか。そして、その内容を広めたらどうなるかを考えるべきでしたね」
「千佳ちゃんの言うとおりだね。でも、分かっているからこそ、千尋君のカミングアウトの内容を広めた可能性もある。仮にそれが事実だとしても、千尋君には何にも非はないよ。罪悪感を抱く必要はないからね。……誰に対しても」
「……ええ」
聞いてしまったから、その内容を誰かとシェアしたかったのか。それとも、僕を苦しめるためにわざと広めたのか。
理由はどうであれ、学校中に噂が広まったことがきっかけで伊織の耳にも入り、僕は彼女にカミングアウトをすることになってしまった。もしかしたら、噂を広めた人間の本当の目的はそれだったのかも。
「早くお2人に笑顔が戻るといいですね」
「……時間がかかってもいいですから、また伊織の笑顔が見たいです。それが僕の一番の願いです」
多分、伊織の嬉しそうな笑顔を見ることができて、初めて僕も元の生活に戻れそうな気がする。
「私は……千尋君の笑顔が大好きですからね。……って、私、千尋君に向かって何を言っているんでしょう……ううっ」
浅利部長は一瞬にして顔を真っ赤にして、恥ずかしいのか僕のベッドの中に潜り込んでしまった。
「千尋君の噂を聞いてからずっと、千尋君が気になって仕方なかったみたいだよ」
「……嬉しいですね」
「部活の先輩としてもそうだけど、きっと個人的な意味でも……」
「……ごめんなさい。日本茶を淹れてここに戻ってきたときの話、聞いちゃいました。ただ、以前から部長の気持ちには薄々気付いてはいたんですけど……」
副部長の耳元で囁いた。
すると、副部長は驚いた表情をしていたけれど、すぐに優しげな笑みを見せる。
「そっか、気付いていたんだね。あたしも千尋君が初めて部活を見学したことを聞いてから、千佳ちゃんの表情がいい意味で変わったな……って。叶わない恋だとしても、人に好きになるのってとても素敵なだって言っていたよ」
「……そうですか」
そういえば、伊織と3人でお菓子の買い出しへ行ったとき、浅利部長は同じようなことを言っていたな。
「ほーら、千佳ちゃん。いつまでも恋人がいる男の子のベッドに入らないの」
「も、申し訳ありませんでした。つい、取り乱してしまいました。しかし、このベッド……いい匂いがしてとても落ち着きますね。お抹茶の香り以上に好みかもしれません」
「そ、そうですか」
僕のことが好きで僕のベッドを気に入るなんて。伊織と重なる部分が多いな。伊織が浅利部長を目標にしているのは納得できるかも。
浅利部長はようやくふとんから姿を現し、ゆっくりとベッドから降りる。
「ご迷惑をお掛けしました。とても……落ち着きました」
「いえいえ」
「……千佳ちゃん。伊織ちゃんにもしてあげたことを千尋君にもしてあげなよ。疚しい意味はないのは私が証言するから」
「わ、分かりました」
すると、浅利部長は僕のことをそっと抱きしめて、
「千尋君、よく頑張りましたね。とっても偉いですよ」
そう言って、僕の頭を優しく撫でてくれた。
抱きしめられることで感じる浅利部長の温もりと匂いは、伊織と同じように安らぎをもたらしてくれる。
部長は伊織にも同じようなことをしたそうだけれど、僕もいつか……伊織のことを抱きしめて彼女を安心させたい。
部長に抱きしめられながらも、伊織を思ってしまうなんて。それだけ、僕にとって伊織はとても大きな存在なのだと改めて思うのであった。
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