第64話 打ち明ける感情、そして。

 突如始まったテトリス大会。その勝者として勝ち誇る近衛を眺めていた。

 黒ぶちの眼鏡から覗く切れ長の瞳はあえて形容するなら鷹の瞳だろうか。本気でブチギレた近衛に睨まれれば何人たりとも動じずにはいられまい。まぁそういうクールな表情を見せるところも人気の原因なのだが。

「んじゃまぁ今夜はこの辺でお開きにしますかなぁ。他に何かしたい人達は残ってゲームなりご飯食べるなりしていただく感じで。我はもう寝るでござる。天才の朝は早いのですぞ」

「なんか言ってるぞまた。んじゃちょっと散歩でもしてくる。折角浜辺の別荘なんてところに来たんだしな」

「あ、じゃあ私たちはお風呂に入ってますね。たまには女の子だけで入るのもいいですしね!」

 …気配遮断。それはシノビの奥義にしてジャパニーズニンジャの伝統芸。ならば俺にだってできるはず。息を殺し音を殺す。心臓の鼓動すら止めることは可能なはずだ。多分ぶっ倒れるけど。それはそれとして俺は影。背後に忍び寄るものでありまた同時に世界から乖離した何処にも属していない不思議な生命体――

「待て宮野。話がある」

「俺には無い」

 三十六計、逃げるに如かず!どんなに優れた策を持っていようとも困ったら逃げる以外に正解は無いのである。俺は脱兎のごとくドアを開けて外へ飛び出す。靴を履くのにかける時間は数秒。最速タイムを叩きだし(特に意味はない)、闇夜に身体を躍らせて姿をくらませた時点で俺の勝ち。やったぜ。

 …すこし肌寒いな。

 出てから思ったが、今日は比較的涼しい日らしい。連日熱帯夜が続いているこの日本だが、今夜は涼しくなるようだ。と言っても風邪をひくような寒さではないが、上に一枚羽織る物くらいは欲しくなる。

 しばらく夜風を浴びたら戻ることにしよう。

 波打ち際を海岸線に沿って歩きながらそんなことを考える。足元の濡れた砂はしゃくしゃくと子気味いい音を奏でながら俺の背後についてくる。時々生き物の姿を発見するとなんだかうれしくなったりして。お、カニだ。カニはきれいな水を好むという話を聞いたことがある。こうした生き物が生息できる環境がまだ残っていることは非常にうれしいというか、心が温まる。

 ただこうして偶然出会うことができたのも過去から連綿と連なる歴史の中にちりばめられていたファクターをつなぎ合わせた結果なんだ……って何言ってんだ俺、恥ずかしいな。

 人間に不可能はないとまではいわないが、ある程度のことはできる。この環境とか自然とかそういうのを俺達は守っていくべきなのかもしれない。

「…そういや」

 ふと思い出したことがある。俺の左ポケットの中に入っている白い紙きれ。恵からの手紙だ。さざ波の調べをBGMにその丁寧に折りたたまれた手紙を開いて文字に目を走らせる。

『急に手紙なんて渡してごめんなさい。どうしても伝えたい気持ちがあるんだけど、それを宮野クンの前で言うには私の心臓は脆すぎます。この文章を書いているだけで胸が張り裂けそう。あなたには分かりますか、断られると分かっていて、その聞きたくない答えが伝えれば返ってきてしまうと分かっていてもなお、伝えたくてたまらない感情が胸の中にあるのを。…回りくどい言い方になりそうなのでこの辺で。

 単刀直入に言いましょう。あなたの事が好きです。私のことをいつも気にかけて、困っていたらすぐに気が付いてくれるところ。ペア決めで余っていた私とさも当然かのように組んでくれるところ。貴方自身が困っているところ。嬉しそうに笑っているところ。どうでもいいことを心底楽しそうに話すところ。

 …そして皮肉なことに、エレナさんと居て幸せそうにしているところ。』

「…その全てが好きです」

 声がした。気が付けば背後にぬくもりがあった。少し俺よりは小さい背丈。背中に感じるやわらかな感触は正真正銘、佐原恵のそれだった。

 声は心なしか震えているような気がした。いつだったか、叔母さんの家に泊まりに行ったときに耳にした、悲しむような切ない声音。

「…恵」

「振り向かないで。アタシは、分かってる。他の男の子と一緒にこうやって遊べば、宮野クンのことを諦められるかなって思ってた。他に大切なものが見つかれば、大切だったものなんて風化してしまうって。

 でも違った。正反対だった。好きでも無いものを好きになろうとして、いらないものを求めようとすればするほど、心が本当に欲している存在が欲しくて欲しくてたまらない。目を逸らせばその分だけ宮野クンのことだけで頭がいっぱいになる。諦めきれない、そういうのもおこがましいと分かっている。それでも止められない。

 目の前にあるのに届かない。誰よりも欲している自信があるのに伸ばす手は空を切るばかりで…っ…だいっ、すきなの…!だれにもまけないのに…っ、なんで、っ、なんでよぉ…!」

 胸が痛い。苦しい。吐き気がする。どうして自分なのか。自分が憎くて仕方がない。応えきれない想いを抱かせてしまったことが悔しいのだ。報ってあげたい。振り向いてあげたい。

 奥歯が軋みを上げる。何を考えても俺の脳内は自分を責めることだけでいっぱいになっていく。俺は最低だ。ゴミクズだ。もうこんなひどいことは――これは、妥協ではないのか。

 ふと我にかえったような心地がした。今日灯にもらった言葉が脳内で反響していた。俺が今背負っている痛みや責任はすべて自分自身から課されたものではないだろうか。こんなことを考えて俺が傷ついて、それでこいつは嬉しいのか?

 分からない。けれど俺ならば

「はじめに言っておくよ。ごめん。俺はお前の気持ちには答えられない」

 きっと俺は残酷なことをしようとしている。うら若き乙女の感情に刃を振り下ろそうとしている。けれどもそれは俺がすべき宿命のはず。そうしなければならないんだ。

 嗚咽を漏らす少女に向かって言うのは流石に迷ったが、意を決して言葉を振り絞る。

「俺はこんな風に言ってもらえる幸せ者だ。優しいだなんてのは買い被り過ぎだけれど、それでも恵にとって俺の存在がそういう素敵な人物だったならすごくうれしいよ。

 だからさ、諦めるなんて言わないで」

 少女は涙にぬれた瞳で俺を見上げた。俺の言葉の意味が心底理解できないといった表情に俺は見えた。そりゃそうだろう。自分でも自分が上手く伝えられている自信はない。夜風が俺達の頬を撫でて通り過ぎる一瞬で言葉を選んで口にする。

「きっと君の想いに、気持ちに、言葉に、行動に、感情に応えることはできない。でも、その感情は何にも代えがたいものだ。俺が言うのも変な話かもしれないし、頭がおかしい世迷言だと思うならそう思ってくれてかまわない。

 でも、もし少しでも心に届いたなら覚えていて。君の『好き』を押しつぶそうとしないで。諦めるのはいつでもできる。

 …俺はそうやってエレナに手を伸ばしたんだから。

 エレナが引っ越してから俺は結構な数の女の子から告白された。正直受けようか迷った瞬間すらあったよ。妥協して。他の人間で忘れようって。

 でもそれは違うと思った。だって俺が好きなのは他の誰でもない、エレナだったんだから」

「…ひどい人」

 そうだろう。これで俺の事を嫌いになって拒否するようになってくれれば別に俺はそれで構わない。彼女がこれ以上傷つかなくなるのであればそれに越したことは無いのだから。

「よし決めた。絶対諦めない。エレナさんなんて忘れてアタシしか目に入らなくなるくらいに魅了してあげる。今、決めた。

 だがその言葉の着地点は俺の想像と違っていて。

 彼女の瞳は苦しみや悲しみを塗りつぶす、情熱で埋め尽くされていた。

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