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 そこはファストフード店のテラス席の一角だった。



 適度に清潔で、提供される食品がそこそこ安価で、入り組んでわかりにくい場所にあるが治安が悪いわけでなく、店員がフロアにいる客がどれくらいの時間そこに居座っているかなんてことを気にとめない絶好のロケーションだった。

 数人の少年少女がそこに陣取ってテキストを広げたり、他愛ない世間話に興じている様は、のどかで平和そのものだ。

 ひとりの少女が切り出した。


 ねえ、こんな噂話、知ってる? 鏡の中に現れる《黒い怪人》の話……。


 ミクリは嫌そうな顔を浮かべ、手のひらを差し出す事でその先を制した。


「やめようよ、その話は。都市伝説という形態で魔術儀式を広めた罪で、三年前に有罪判決が出てるの。覚えてない? 有名な魔術事件だったでしょう。そう、あれは――」

「わかった! わかったから! つまらなくて小難しい蘊蓄うんちくを披露するのはやめて!」


 級友たちは大慌てで知識の辞典を広げようとしている少女を止める。


「別につまらない話をしようしたわけじゃないけど……」

「いや。ミクリの話はときどき小難しくて長い」


 別の男友達までもが、うんうんと頷いて同意を示す。


「そんなことないよ。これでも、自分の話を楽しく聞いてくれる人もいる――と自負しているんだよ。たとえば、ヒナガ先生とか」


 ミクリが自信満々に挙げた名前から人物を導き出した級友たちは、テラス席から青空をしばらく見上げて首を横に振った。

 安易に噂話をしようとした女子生徒の名前がファセリア。

 運動部所属らしく、隣にやたら大きなカバンを置いている。

 その横に座っている、ちゃらちゃらしたアクセサリーを耳や首につけた男子生徒、ヒヨスは不満そうな表情で言う。


「あの人は例外だろ。たぶんそれ、こっちに来て間もないから情報収集として聞いてるだけっつーか……。それより、いつの間に親しくなったんだよ」


 それぞれが薄気味悪そうな顔で言葉を口にする。

 隣にいるメガネをかけた少年、ティアレも、黙ってはいるが気持ちが悪そうに顔を背けていた。


 教師の悪口と噂話。


 それは、どこにでもごく普通に存在する放課後の学生たちの風景だった。


 ……まあ、ファストフードにしては価格帯が少し高めで、他校の制服に着替えて偽装しているがどことなく育ちの良さがうかがえる集団ではある。

 そんでもってクラス内の序列も上のほうだと推理できる。

 なぜなら男女が入りまじった集団だからだ。

 カースト下位の集団で男女が入りまじることはほぼないからな。

 彼らは、日本にいた頃であれば、羨望の眼差しで見つめることが多く、接触には多大な緊張と配慮を伴う集団だったはずだ。


「お邪魔するよ」


 そう言って、ファセリアとティアレの間にある空席を引き、腰かける。

 ヒヨスはぎょっとして後ろにひっくり返りそうになっていた。

 ファセリアとティアレも似たり寄ったりな反応だ。

 今の僕は、リア充を恐れる男子高校生ではないので、堂々と割り込んでいける。

 何しろ、僕は《教師》なのである。

 いつでも彼らを監督し時に興醒めさせることのできる立場なのだ。わーっはっはっは。……それが、大体の問題の元凶なわけで、笑ってばかりもいられないのだが。


「あら! 先生、ちょうどいいところにいらっしゃいましたね」

「お礼を言っておくよ。イブキが裏ルートで校内戦の写真を捌いてるって情報提供と、顧客のふりをしてその現物を手に入れてくれたことについて、どうもありがとう」

「こちらこそ。お役にたてて嬉しいです」


 僕が本来ならば近寄りたくないリア充グループに接触した、ただひとつにして最大の理由が、《真珠イブキ》だ。

 彼女は、例の血みどろの《校内戦》の最中、ドサクサに紛れて盗撮という最悪な商売に手を染めていた。

 写真は闇のルートで売り捌かれて、回収はもう絶望的だ。

 それで、せめて取引されている写真の現物を入手するために、校内戦を通じて知り合った普通科生徒、ミクリに頼みごとをしたというわけだ。


 はじめて彼女という存在を認識したときも思ったけれど、ミクリは騎士でも魔術師でもないのに、異常に肝が据わってる。

 実際、写真の入手を頼んだときの手際は舌を巻くものがあった。

 彼女は裏で取引される写真を買い取った際、イブキが買い手の素性に疑いを持ち調べたとしてもミクリに辿りつかないよう、課題のレポートを代行することで雇い入れた無関係の学生数名を間に挟んで商談に望んだのである。


 普通そこまで、するか?


 という疑問はあるものの、払った労力に対しては、礼を述べるべきだと思う。


「なんだよ、ミクリ。こいつ、お前が招待したっていうのか? 俺たちの憩いの場に……」

「うん、ヒヨス。実は、そうなの。というのも、今度の私の働きにより、先生にお願いごとができないかな、と思って」


 ミクリは、申し訳なさそうな、遠慮がちな目つきで、こちらをちらりと見た。

 もちろん、形ばかりの謝礼ですまないかもしれないとは思っていたが、けっこう展開が早い。


「手持ちが少ないから、あまりご期待には添えられないと思うけど」

「いえ、ほしいのはお金のことではありません。ぜひ、わたしたちの同級生について、相談に乗ってほしいんです」

「同級生?」


 なんだか、厄介なことになってきた。

 もちろん、なんの報酬も考えていなかったわけではないけれど……。


「それならなんとか。お手柔らかにお願いします」

「えっと、その……私たちの友達で、アマレという男子生徒がいるんです。でも最近、学院に登校していないみたいで……」


 ミクリが切り出したとき、場の空気が少し変わった。

 ティアレとファセリアは納得した、という顔。

 あからさまに僕を鬱陶しがっていたヒヨスですら、うるさい口を挟んで来ない。


「どうか、その子の様子を見にいってくれませんか?」


 ミクリの表情はかなりシリアスだった。


「えーと……不登校の生徒の様子を見に行く、それだけでいいの?」

「はい。できれば、問題がないかどうか確認して、登校を促していただければ、と思うのですが……難しいでしょうか」

「難しい? どんな頼み事をされるかとヒヤヒヤしてたから、ちょっと拍子抜けしちゃったくらいだよ」

「では、お願いしてもよろしいでしょうか」

「もちろんだよ」


 快く引き受けた。

 いまの僕には、金一封包め、と言われたほうが困難だ。

 ただ、依頼の内容に少し疑問があることも確かだった。


「……でも、それって僕が行っていいものなのかな。担任の先生か、君たちクラスメイトが行ったほうが流れとしては自然だし、その子も学校に行こうって気になるんじゃないかって気がするんだけど」

「もともと、俺たちも仲が良いってわけじゃないんだよ」


 ヒヨスが口を挟む。

 彼が主張するところによると、そのアマレという生徒は元々、魔術学科の生徒だったらしい。それが、何かの折に普通科へと転科してきた。

 ミクリはアマレと同じ部活動に所属していたこともあり、何かと不慣れなアマレに積極的に声をかけていた。

 すると同じグループであるヒヨスたちも、必然的にアマレに関わることになる。


「俺は、アマレのことはなんか気に入らないっつーか……なあ」


 ヒヨスはティアレに話を振る。ティアレは「うーん」と言葉を濁しながらも、否定はしない。


「あたしも」とファセリアが応じる。「あいつ、普通科の生徒をどこか見下してる感じだったしさ」


 三人は理由を口にしないまま、押し黙る。

 それは故意に黙っているというより、部活動という共通点からほかの三人より関わりがあるミクリに気を遣っているようでもある。

 ひと口に秀才が集まる魔術学院といっても、個人の集団である以上、そこには序列が生まれる。

 翡翠女王国は魔術禁止の国家で、卒業後は魔術を使えなくなるとはいえ、魔術学科は歴史の一番長い科だ。普通科よりも競争率が高く、家柄が良いか、それとも相当成績が優秀でなければ入学できない。

 アマレは魔術学科の生徒である自分に、自信を持っていたに違いない。


「実は、私も。部活のときも、アマレ君とは全く接点がなくて。あんまり話したこともなかったんです」


 ミクリはそう言って、少しだけ苦い笑みを浮かべた。

 彼女はただ、クラスメイトである、という理由から、アマレに親切にしていたようだ。個人的な繋がりは、ここにいる全員と薄いのだろう。


「それで、僕の出番、というわけか……」


 見下していた生徒たちより、魔術学科の教官の端くれである僕のほうが適切、というミクリの判断は、あながち的外れとも言えなさそうだ。

 何にせよ、様子見をしに行けばいい、というのは気楽なものだ。

 不登校だっていうのは少しだけ重たい理由だが、今回は竜も魔術も絡んでいないわけだし。

 気楽なものだ……と思ってた。


「それに、私たちがなかなか、気軽にアマレ君に会いに行けない理由もあるんです。その、つまり――《星条アマレ》君に……」


 ミクリが、おずおずとその名を出すまでは。

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