第26話 撮影

 六月に入ってすぐ、梅雨入りする前に撮影は行われた。


 担当の中嶋さんとメイクさんとスタイリストさんが、衣装とメイク道具を積んだマイクロバスでスタジオ城真に迎えに来てくれることになってる。そこで撮影機材を積んで、城真さんと友華ちゃん親子がカメラマンとアシスタントとして乗り込む。

 風間兄弟とあたしも、徒歩で行ける距離なのでそこに集合した。二十人乗りのマイクロバスに、八人とその他諸々の装備だ。


 バスの中は和気藹々。八人中男性は風間兄弟と中嶋さんだけ。しかも中嶋さんは運転手だし、雑談の苦手なカオルさんは助手席に座っちゃったから、お喋り好きなメグル君を女性五人が囲んでるような状態。にぎやかにもなるというものだ。

 府中から高速道路に乗って僅か三十キロ、相模湖から山に向かって都会の喧騒から離れていく。奥相模湖のさらに奥、川沿いにキャンプ場があったりするような山の中。


 現地に到着すると、早速スタイリストさんが巡君とカオルさんに衣装を手渡す。メグル君の横でカオルさんが「俺は背景の一部なんだが?」なんて言って、スタイリストさんに「背景さんも衣装に着替えていただきます」ってバッサリやられてる。なんか伊達眼鏡かけさせられて、それがまた凄い似合ってる。

 城真さんは流石と言うかなんというか、メイクしているところからもう撮影してる。所謂メイキング用まで準備する気らしい。ロケバスの中で出番を待つ衣装たちや、メイク道具なんかの写真まで撮ってる。

 さてさて、着替えてきたメグル君……あんまり変わった気がしない。ハイカットスニーカーに後ろ向きキャップ、白いTシャツにピンクの半袖シャツを羽織って、ジーンズの裾を左右長さ違いで折り返してる。普段のメグル君そのまんま、いたずら坊主みたい。


 やる気満々の城真さんに急かされて、早速撮影開始。城真さんにいろいろ指示を出されながら、いろんなポーズをとって見せるメグル君、本物のモデルさんみたいだ……って、本物のモデルさんだった。

 友華ちゃんも凄い。城真さんに言われるまでもなく、小さな体でレフ板を高く掲げてウロウロ。メグル君の周りで太陽の位置を確認しながら、光の入り具合を調整してる。


 山をバックに一時間ほど撮ったところでお昼になった。

 中嶋さんが準備してくれたお弁当をみんなで食べながらお喋りしていると、ふと、城真さんがぼそりと呟いた。


「なんかねぇ、硬いのよ。山なのに、スタジオで撮ってるような感じ。なんでかしらね」

「すいません。僕、殆どスタジオと街中でしか撮らないんで、こういうところでどう振舞ったらいいかわからなくて」


 メグル君が申し訳なさそうに言うと、「あ、巡君のせいじゃないのよ。どうしたらいいかしら」と首を捻っている。


「お母さん、いっそ普通に遊んで貰ったらどうかな? その方が自然なカットが撮れるような気がするんだけど」


 友華ちゃんの提案に、思わずあたしは手を挙げた。


「あの! あたしド田舎で育ってます。こーんな手のひらサイズのクモが出るようなところで散々遊んでます。あたしで役に立てることがあるかもしれません」


 そしたらメグル君が口元まで運んだ卵焼きを一旦戻して顔を上げたんだ。


「じゃあ、こうしませんか。僕は綺羅ちゃんと普通に遊ぶ。それで城真さんは僕とカオルだけ撮る。綺羅ちゃんの手だけとか、それくらいなら入ってもいいでしょう? どうですか、中嶋さん」

「いいですよ、それで行きましょう。あとでトリミングもできますし」


 ということでトントン拍子に撮影方法が決まって、いざ午後の部開始。

 さあ、今度は友華ちゃんは忙しい。あたしもメグル君も全力で遊ぶから、友華ちゃん、あっちへバタバタこっちへバタバタ。城真さんも下から真横から後ろからと走り回って、バシバシ撮りまくってる。


 あたしたち三人はと言えば……撮影二の次で遊んでる!

 カオルさんが小さな実を見つけたと言って蔓を引っ張り、メグル君が「ナニナニ?」って覗き込む。カオルさんの指先とメグル君の顔と小さな実のアップ。メグル君は身長が百八十にちょっと足りないくらいで、カオルさんはその十センチくらい上に頭の天辺がある。だから一緒に写っても口元しか入らない。


「綺羅ちゃん、この実って何?」

「あーそれ、アケビ。まだ小っちゃいけど、秋になったら十センチくらいになるよ。見たことない?」

「無い」


 マジか……。山に行けばどこにでもあるのに。


「綺羅ちゃん、ここ見て。面白い花が咲いてる」

「それ、ホタルブクロ。白いのもあるんだよ」

「おい、綺羅」


 今度はカオルさん。カオルさんまで本気で遊んでる。


「この葉っぱ、なんか変だぞ。葉っぱの真ん中に実がついてる」

「ハナイカダですよ。葉っぱの真ん中にお花が咲くの」

「へええええ!」


 何故かカメラマンやメイクさんからも驚きの声が。都会の人ってほんと何も知らないんだなぁ。


「あ、ねえねえ、そこ、ヘビ!」

「えっ!」

「どこだ」


 メグル君の目が輝いて、カオルさんの腰が引けたのがわかる。なんだか可愛い。ヘビは無理だったけど、トカゲを捕まえて見せてあげたら、メグル君は面白がって覗き込んでくる。カオルさんはソッコーで戦線離脱だ。生き物系は苦手らしい。


 散々遊んだら、ちょっと休憩を挟んで(カメラマンのための休憩だな)、衣装をチェンジする。今度は川だ。なんだかもうボトムから既に短いんですけど。

 そんな予感はしたけど、案の定メグル君は早速川に入って遊びまくってる。当然城真さんも負けじと川に入り、友華ちゃんもその後を追う。心配する中嶋さんに、「最初からそのつもりで着替え準備してきた」って友華ちゃんが説明してる。見上げたカメラマン根性だ。


 川の中で魚を追い回すメグル君を、川縁に腰を下ろしたカオルさんの肩越しに撮影したり、いきなりカオルさんに水をぶっかけて喜ぶメグル君を撮影したりしてる間に、城真さんもビショビショ。

 袖で顔の水をぬぐうカオルさん、反撃するカオルさん越しの逃げ回るメグル君、どんなカットもあの二人が被写体だというだけでうっとりするほど決まる。


 そして個人的な感想を述べるなら、ウェーヴのかかった前髪から水を滴らせるカオルさんの恐ろしいまでの色気。メイクさんが「カオルさんの色気って、抱かれたいとかそういう俗っぽい思考が飛んじゃう神々しさがある」ってバスの中で言ってたのを思い出す。ほんとそんな感じだ。そして、その相乗効果でメグル君がますます可愛く見える。全くズルい兄弟だ。


 そんなこんなで順調に進み、夕方には楽しい撮影も終了してあたしたちは帰途についた。

 帰りのバスの中では、疲れ果てたメグル君が友華ちゃんと仲良くグーグー寝ている。メグル君の大ファンだって言ってた友華ちゃん、今日は凄い頑張って疲れたんだろうな。メグル君の肩にもたれて寝てるのが可愛い。そんな二人を、城真さんが撮ってる。どこまでもカメラマンだ。


「綺羅、大丈夫か?」

「え、あ、はい?」


 いきなりカオルさんに声を掛けられておかしな返事をしてしまった。


「さっき川で濡れたんじゃないか?」

「大丈夫です。濡れたのは上着だけだから、脱いじゃえば平気」

「だから、それを脱いだら半袖だろう。寒くないかって聞いてるんだ」

「ちょっと冷えてきましたね、夜だし。でもすぐ着いちゃうから」

「これ着とけ」


 カオルさんが自分のカーディガンを脱いであたしにかけてくれる。あったかい。カオルさんの温もりの残ったカーディガン、あたしが着たら手なんか全部隠れちゃうほど袖が長くて、おしりも全部隠れちゃうほど大きくて。なんか、全力で守られてる感じがする、カオルさんに。


「カオルさん、寒くないですか?」

「俺は大丈夫。シャツも長袖だ」


 確かに。この人寒がりだから、あたしたちが半袖でいても常に長袖着てる。


「それに、大事なアシスタントに風邪をひかれたら困る」


 ずきん。

 そこ、『どきん』とするとこであって、『ずきん』とするとこじゃない。なのになんであたし、心の奥がこんなに痛いんだろう?


 あたしはカオルさんの事が好きなんだろうか。メグル君のことが好きなんだろうか。一番ズルいのはあたしだ。メグル君の気持ちを知っていながら、こうしてカオルさんに甘えてる。カオルさんに、そばに居て欲しいと思ってる。

 アイナに……って思ってる。


「ん? どうした?」

「えっ、あ、いえ、なんでもないです。あったかいです」


 メグル君と違って、カオルさんはあたしに指一本触れない。それはアシスタントだから。『大事な綺羅』じゃなくて『大事なアシスタント』だから。

 何か物足りない。誰よりも満たされている筈なのに。

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