僕の恋を笑わないで
志麻樹
一 依頼人の懇願
一階の購買で売られているコロッケパンは、学校一の人気商品だ。噛みしめるたびにあふれる肉汁がパンに染み込むのが美味で、この味わいは僕もお気に入りだ。でも、人気商品故に入手は困難で、最後に食べたのも三ヶ月ほど前のことだった。
「なぁ、美味しいか?」
焼きそばパンを頬張り、中谷はこちらの反応を伺ってくる。僕は中谷を一瞥し、咀嚼していたコロッケパンを呑みこんだ。
「ああ。やっぱりこれが一番だな」
「だろ? 二限を終わった瞬間に購買に駆け込んで買って来たんだからな! ありがたく食えよ!」
「おう。ありがとな。金もあとで返すよ」
「いや! 金はいらない!」
待った、という風に両手のひらを向けてくる中谷に、僕は首を傾げる。
「金はいい。その代わりにな、瀬原には頼みがあるんだ」
「頼み? って、おい!」
急に身を乗り出した中谷に驚き、思わず椅子に腰をかけたまま後退してしまう。机二つの距離はいとも簡単に詰められ、このまま僕が後ずさらなければ中谷のむき出しのおでこと僕の前髪は触れてしまうところだった。
「なんだよー、いきなり」
「それはこっちのセリフだ。突然近づいてくるやつがいるか」
後ろへと倒れかけていた椅子は、ダルマのように元の位置へと戻る。それと同時に、中谷も少しだけ後退する。二人の距離は机一個分になった。
昼休みの喧騒は、机を合わせて座っている男二人の挙動などには目にもくれない。それなのにも関わらず、中谷は挙動不審に辺りをきょろきょろと見回す。そして、誰もこちらに注目していないと確信し、こちらへと小声を投げかけてきた。
「実はさ、俺さ……その、失恋してさ、」
「――失恋?」
「ああ……。って、なんでお前、ちょっとにやけてんだよ! 親友の悲報を喜んでんじゃねぇよ!」
「別に喜んでなんかいないって……。ふーん、お前、三原に告ったのか」
すると中谷の目は大きく見開かれ、頬は一気に朱に染まる。瞬間湯沸かし器もびっくりの速度である。
「な、ななななな何でお前がそれを! 他のやつにはバレてないのに!」
「さぁな」
「さてはお前、クラスの恋愛事情とかに詳しい方だな⁉」
「あーおう、そんなとこそんなとこ」
苺ミルクを飲みながら、ぎゃあぎゃあうるさい親友を軽くあしらう。そんな雑な対応が気に食わないのか、中谷はふてくされたように眉をしかめ、深くため息をついた。
「もういい……それなら話す手間が省けたってもんだ。それで、俺、失恋したんだけどな」
「お前みたいなヘタレに直接告白する勇気があったとはな」
「違う! 俺が直接告白なんてできると思ってんのか⁉」
「やっぱりヘタレじゃねぇか……」
「うるせぇ! ……その、俺さ、聞いちまったんだ。三原さんが失恋したって」
「三原も? 何、あの鉄仮面、恋とかしてたの?」
「お前、そんな言い方やめろよな! 三原さん本人がさ、言ってたんだよ」
脳内に三原の顔を思い浮かべる。腰に届く真っ直ぐな黒髪と、整っているのに無表情のせいで台無しな顔。恋とは無縁そうなイメージがあったが、人とは見かけによらないらしい。
「誰に失恋したかは分からなかったのか?」
「いや、分からなかった。俺もさ、別に三原さんに直接そのこと聞いたわけじゃねぇし」
「立ち聞きしたのかよ、たちわりぃ」
「それは……その通りなんだけどさ。三原さんが、女子と恋バナしてて、そのときにそう言ってたの、たまたま聞いちゃって」
そのときのことを思い出したのか、中谷は目に見えて落ち込む。その様子だと、まだ三原に未練があるようだ。
「で、三原には告白してないけど、三原に好きな人がいるって知って失恋確定したってか」
「ああ……。別に向こうも失恋したって言ってるから、俺がそのままアタックしちまえばいいんだろうけどさぁ……三原さん、本気でそいつのこと好きだったんだって。声聞いて、分かって」
だから、俺じゃダメかなぁって。
弱々しい声は、かろうじて聞きとれるほどのものだった。僕は中谷のこういうところが、嫌いでもあり好きでもあった。
「……頼み事ってなんだよ」
このままでは話が進まないと判断し、元の話題を持ち出す。すると中谷は、少し言いづらそうに口をもごもごさせてから、ゆっくりと話し始めた。
「俺の恋はもう死んじまったも同然だからさ、いいんだ。でも、誰が三原さんのこと振ったのか、それだけは気になる。あんな綺麗な人が失恋したって野郎を、俺は知りたいんだ」
「知ってどうすんだよ」
「知るだけでいい。そりゃ、何か文句を言ってやりたいけどさ、でもそんなの、三原さんからしたらいい迷惑だろうし……」
「ふーん」
無意識に、含んでいたストローをきつく噛んでしまう。ストローの先にわずかに残っていたミルクがじわりと口内に広がる。その甘ったるさが煩わしく、その苛立ちをまたストローへとぶつけた。
「俺、三原さんのこと知りたい。だからさ、三原さんを振ったヤツを探すの、協力してくれ!」
机に手をつき、中谷は頭を下げる。お前の頭は安いな、なんて嫌味が口をつきかけたが、すんでのところで抑える。
「頼まれても……俺、そういうの詳しくないし。誰が誰を好きとか分かるわけねぇし」
「そこをなんとか! 一緒に調査してほしいんだ! なぁ、こんなことお前にしか頼めないんだ! 明日もコロッケパン奢るからさ、な!」
……それを言われてしまうと困る。あふれだす肉汁を思い出し、僕はため息を吐き出すと共に頷いた。中谷が目を輝かせ喜ぶものだから、不満や苛立ちは複雑な気分の中に沈んで落ちていった。
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