第14話 アルトリアの過去
第二・五章『アルトリアの過去』
イングランドのロンドンから西に二〇〇キロ先にあるウェールズという国がアルトリアの生まれ故郷だ。農業には向かない山と森に囲まれたウェールズ人たちは狩猟をしたり、果物を採集することで生計を立てており、貧しくとも健やかな生活を送っていた。
だが彼らウェールズ人の生活が一変する事件が起こる。デンマークからやってきたヴァイキングたちである。ウェールズには奪うような金銀財宝はないが、容姿の優れたウェールズ人たちがいた。彼らを捕まえ、奴隷として売れば、質の悪い宝石を手に入れるよりも大きな価値があった。
そんなヴァイキングたちの奴隷狩りから仲間を守るために戦い死んでいったのが、アルトリアの両親であり、彼女が天涯孤独の身となったのは五才の時であった。
アルトリアにとって、両親が死んでしまった現世は、ただの地獄でしかなかった。身寄りのない彼女を引き取った叔母は、アルトリアの母親を恨んでいたために、彼女に辛く当たったのだ。固くなったパンと水だけを与えられ、寝床がないため馬車小屋で眠り、服は襤褸衣一枚だけ。いっそ死んでしまいたいと思う現実に彼女の心が折れなかったのには理由があった。
アヴァロン。ウェールズ人たちが信仰していた森の精霊たちが住まう理想郷である。そこにはウェールズにとっての善き民が死後住まう場所とされており、六世紀初めにウェールズをサクソン人の侵略から守り抜いた軍神アルトリウス公(アーサー王伝説のモデルになった人物)が治める場所だと伝えられていた。
アルトリアの両親もヴァイキングたちから仲間を守るために戦い亡くなったのだ。必ずアヴァロンにいるはずである。亡くなった両親に会いたいアルトリアにとって、アヴァロンに到達することだけが生きる希望になっていた。
しかし生きたままアヴァロンへ行く方法は容易ではない。アヴァロンに住む精霊たちの王たる軍神アルトリウス公が、ウェールズを守るために復活した時、その一助を成したものだけが生きたままアヴァロンへ迎え入れられると言い伝えられていたからだ。
アルトリアは来る軍神アルトリウス公復活の時に備え、叔母に隠れて武芸の腕を磨いた。彼女には実力さえ身に付けばアヴァロンへ迎え入れられるという確信があった。それは若さ故の根拠のない自信ではなく、彼女がアルトリウス公の血を引いているからであった。
軍神アルトリウス公の孫の孫。世界で唯一、軍神の血を引く存在である。さらに彼女のアルトリアという名前はアルトリウス公の名前を女性読みに変えたものだ(この時代の名前の付け方は祖先で活躍した人物から名前を頂戴するのが通例だった)。こんなにも縁ある人間を放っておくわけがない。必ず自分はアヴァロンへと招かれるはずだと、確信をもって地獄の日々をただ耐えた。
だがアルトリアの耐え忍ぶ日々は突然終わりを告げた。叔母という地獄よりさらに酷い地獄が始まったのだ。
村の嫌われ者として働きもしない叔母は、アルトリアの両親が残した遺産だけを頼りに生活していた。だがいずれ遺産はなくなる。そうなった時に叔母が取った行動は、アルトリアを奴隷として売り払うことだった。
奴隷となったアルトリアはヴァイキングの有力者に買われ、眠る時間も碌に与えられず、重労働を強いられた。さらには睡眠不足で体調が悪くなり、仕事の失敗が増えると、彼女の主人は、ムチで彼女を痛めつけた。
いつになったらアルトリウス公がアブァロンから復活し、地獄の生活から救い出してくれるのか。だが軍神は待てども中々現れず、彼女にとって、奴隷としての生活が精神的・肉体的に限界に達しようとしていた。
そしてある日、彼女の人生を変える出来事が起こる。成長したアルトリアの身体を主人が嘗め回すように視線を巡らせると、彼女を自分の寝台へと呼び出したのだ。子供を身ごもってしまえば武人としては終わりだ。意を決した彼女は手斧を持ち出し、そのまま主人を殺害した。そしてまた奴隷として別の主人の元に売り出されたのである。
アルトリアの新しい主人となった男は温厚な顔をしたヴァイキングの副首領だった。彼は彼女に優しく接してくれた。きちんとした寝台、豪華な食事、清潔な服。彼は彼女を奴隷ではなく、人として扱ってくれた。彼女にとって両親以外では初めて家族と呼べる人間ができた気がした。
他人のような気がしない主人。彼は元気の出る神の水や、食べたこともないような美味な食事を何もないところから生み出した。まるでアヴァロンに住む妖精たちのような力に、彼女は新しい主人に対して確信を抱いた。
この主人こそ、アヴァロンから自分を迎えに来てくれた軍神アルトリウス公なのだと。だからこそ血を引く自分に優しくしてくれるのだと。
アルトリアは自分の命を新しい主人に捧げることを決意した。いずれアウァロンへ招かれる、その日まで。
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