SEASON

うさみかずと

プロローグ〜始まりのSEASON 〜

第1話

世界が違って見える。

おじいちゃんはいう。

あのマウンドに立って投球モーションに入るときになあ、だんだんと周りの声が静かになって、微かにキャッチャーのミットまでのボールの軌跡がひかって見えるんだ。道みたいに、それをたどるように投げるとズバッと決まる。

キャッチャーミットにおさまってバシーって音が鳴り響くと風がスーと感じる。未来が見えてるのかって。いやそうじゃないいつもは見えない。けどそれが見えたときには必ずバッターのバットは、空を切る。まぁたまたまかもしれないんだけど

私にも見えるかなとたずねるとニコッと笑っておじいちゃんはいった

そうさなぁ久留美が大きくなって正しい努力と真摯な心を持つことができたら野球の神様がご褒美をくれるかもわからないけどなぁ


幼い頃の記憶

まっさらなマウンドに真新しいグローブとスパイクに身をまといキャッチャーミットを構えたおじいちゃんに夢中になって投げ込んだ。

ナイスボール久留美。

その顔は少年のように輝いていて嬉しそうにいう

久留美はいいピッチャーになるぞ


朝が来たうっすらと目がさめる

「またあの夢か」

ベッドの上でつぶやく

 今日は、4月21日大学一年の春、時刻は6時35分目覚まし時計が鳴る5分前。

 身体を起こすとカーテンの隙間から差し込む朝日が目に入りまぶしさにめをそらす。

「軌跡か」

 自分の投じた一球が朝の日差しのようにひかって見えるのだとおじいちゃんは教えてくれた。その光が見たくて長らく野球をやってきたけどわたしには、見えなかった。

「結局、女のわたしには無理なのかな」

 冗談ぽくわらってみる。苦笑いにしかならなかった。泥にまみれて白球を追いかけるくらいなら料理のひとつくらい覚えた方がいい。おじいちゃんは、甲子園にエースとして出場して準優勝をした。

 大学進学後も野球を続け神宮球場でも投げた。肩を壊してプロには行けなかったが、社会人野球で打者として活躍した。野球に愛された人生を送った人だった。

 私はそんなおじいちゃんの孫だ。父は野球が得意じゃなくておじいちゃんの経歴のプレッシャーから逃げるように勉強に打ち込んで某有名企業の重役だ。

 私は野球が好きなのだろうか。

 すぐに好きといえない自分がいる。

「限界なのかな」

 ふと視線は部屋の奥へ向けられる。そこには机があって教科書や参考書とならんでメダルやらちいさなトロフィーやらが無造作に置いてある。中学生のときシニアリーグに入った私は、全国の最優秀投手に選ばれるほどの活躍をした。でも高校生になった頃、私は努力ではどうすることもできない壁にぶつかった。周りの男の子は、どんどん身長が伸びてごつごつしたたくましい身体になっていくのに対してわたしの身体はどんどん丸みを帯びていった。日に日に突き出てくる胸が恨めしくなった。

 机の横には大きなスポーツバックがある。ジッパーは開いていて使い古したグローブがこちらを覗いていた。べッドから降りて恐る恐るグローブを手に取ると。夢の余韻でおじいちゃんの幽霊が出てきそうで震える。グローブをはめて狭い部屋の中で投球モーションにはいる。軌跡は見えないそんな奇跡が起こるはずもない。試合じゃないのだから当たり前なのか、それともわたしには見えないのか。

「おじいちゃん。わたしにはやっぱり見えないよ」

 目覚まし時計が狭い部屋に鳴り響く。


 光栄大学の入学式は、二週間ほど前だった。貴重な青春をすでに二週間無駄にしたことになる。時間の流れが速いのか、自分がのろまなだけなのかいずれにせよ面白くないと感じていた。

その他の学生なら七日間もあればどこかしらのサークルに所属するのがふつうだ。

私はというと、心が決まってないほんの一部の人間に含まれていた。


 講義が終わるといつも無意識にグランドのほうに引き寄せられる。

バックネット裏にある少し離れたベンチに座り隠れるように硬式野球部の練習を見学していた。

マウンドから投げるピッチャーの姿を見ると、止まっていた心臓がきゅうに動き出した感じがした。そして同時に底ぬけな不安を感じるのだ。実戦練習が始まる頃にはわたしは逃げるようにグランドをあとにして帰宅する。

どうしたらいいかわからなかった。

 すっぱりやめてしまえば楽になる気もする。

 まだまだあがき続けたい気もする。

 どちらを選んでも満たされないのだ。だから今日も気がつけばグランドのそばをふらふらしている。混沌の迷路に迷い込んだみたいに暗い道のなかを手さぐりで出口を探している。

 カン

 ナイスバッティング

 甲高い声と気持ちの良い木の音が聞こえた。ピタッとあしを止める。

「男子じゃない」

 わたしは思わず一歩踏み出す。さっき聞こえたこえは、おそらく女の人の声だ。バックネットに近づくにつれ音はおおくなっていく。 しっかりグランドをのぞいたのは、それが初めてだった。

 いつも男ばかりのグラウンドに女の子が10人と少し試合形式のバッティング練習をしている。

「ツーアウト二塁一本よっつ投げてこいよ」

 そうナインにこえをかけてセットポジションからピッチャーは投球モーションにはいる。サイドハンドぎみのフォームから投じたアウトコース低めのボールをバッターは、踏み込んで右方向に打った。セカンドの頭上を越えてセカンドランナーが一気に三塁を回る。クロスプレーになる。そう思われたがランナーは、キャッチャーのタッチをひらりとかわしホームを滑った。わたしは拳をかため目を見開いていた。久しぶりに興奮していたんだと思う。

「今月2本目のタイムリーヒットだ」

 やったーと一塁ベース上でぴょんぴょん跳ね始める。

「あんまり調子に乗らないことね」

 不機嫌そうな声が答え、ぼうしを外した。長いきれいな髪が風になびく。

「いいじゃないですかー練習なんですから」

「よくない。相手に対して失礼だ。それにいまのは、少し抜けたのよ。ベストボールじゃないわ」

「打たれたからってそういうのは大人気ないでーす」

「はぁ?」

「なんでもないですよー」

 けらけら笑う小柄な子がヘルメットをとり、ふう、と赤くなった頬の汗をぬぐい、丸い瞳が何気なくこっちを見て

「あーー!」

 叫んだ。

「わっ!なにあんこいきなり」

「うわああああはははあ」

 マウンド上の女の人のこえを無視してすごい勢いでかけてきた。

「きみ一年生だよね」

 ネット越しにすごいテンションで聞いてくる。

「はい」

「もしかして入部希望だったりする?」

「え、あのちょっと見ていただけなので」

「あ、見学ね。そうだよねまず見学だよね。もっと近くで見てってよ」

「いえ、もう失礼し」

「見てって、ね」

「はい」

 強引にせめられては仕方なく頷いてしまった。わたしこの手の人苦手なんだよな。

「あ、わたし、安城こなつ。経営学部一年。あんこって呼んでね」

 半ば引きずるようにしてわたしをグランドに連れ込みながら、思い出したようにその人は言った。わたしはため息を漏らす。

「同じ学部だ」

 いやな予感しかしない。


「あんこ、だあれその子」

 なんとなくグランドに入るとさっきマウンドにいた人がゆっくりと近づいてきた。

「待望の新入部員ですよ。」

「いえ、まだ、見学だけで」

「あんこ、あんた無理やり連れてきたわけじゃないわよね」

「まさか。そんなわけないじゃないですかー。ねー」

「いや、強引に連れ込まれました」

 あんこがこっちをじっとにらんだ。言うとおりにしろ、と顔に書いてあった。なんて身勝手な。

「だめよ。無理やり入部させてもすぐ辞めるわ」

 と、ロングヘアーのさっき打たれた人。

「りかこさん。わかってますか?今年一年生わたししか入部しなかったらどうするんですか」

「べつにわたしはかまわないわ」

「危機感持ってください新入部員が一人だけだったらどうしてくれるんですか」

「ひとのせいにするなー」

 りかこっていうひとがゲンコツを振りかぶると、あんこがけらけら笑って逃げた。その光景を目にしてなんだか少し羨ましい気持ちになったのはなぜだろう。

「あなた名前は?」

 小学校の親睦レクみたいな質問だなと思う。

「咲坂久留美っていうの」

「かわいい名前だね」

「ふーんじゃあポジションは?」

 りかこさんは間髪入れずにきいてくる。気がつけば守りについてた人たちが周りに集合していた。

「ピッチャーでした。」

 ピッチャーときいてりかこさんの目つきが変わる。

「あっそ、持ち球は?」

「まっすぐだけです」

「え、なんて聞こえない」

「ストレートだけです」

 今度は、大きな声で答えた。

「はい。素人決定。さあみんな練習に戻りましょう」

「りかこさん、きついですよ。どんだけ余裕ないんですか」

「お前な・・・・・・」

 口をとがらせてプルプル震えるりかこさん。あんこは、度胸があるというか、ただのお調子者なのか。

「まさきさんがいないのにわたしにどうしろっていうの」

「とりあえず投げてもらいましょうよ。わたしユニフォームの替え持ってますから」

「ちょっとまって思い出した咲坂久留美。栄西シニアのピッチャーで数々のタイトルを獲得した天才少女。高校では名前は聞かなかったけどまさかね」

 私にとっては過去の栄光。わずらわしい過去の。

「昔のことです。それに高校では、満足な結果を出してません」

 私ははっきりと言った。

「それで過去の栄光ひきずって大学野球やろうってわけ、なめられたものね。・・・・・・でもいい機会だから投げてもらいましょう。勘違いちゃんに現実をわかってもらうのも大切よね」

 りかこさんは、ベンチにある予備のグラブを手渡した。

「大学野球は奥が深いわよ。天才少女」

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