第27話 迎えの馬車
「帝国軍の騎士が来たっ!」
ロイスの一言で、ジルフォードの表情が変わる。ロイスの後ろから現れたのは、金髪の美しい青年騎士、テッドだ。黒の騎士服も、彼が纏えば優雅で美しく見える。根っからの貴族なのだろう、彼からは気品が溢れている。
「やあ、お姫様。約束よりも少し早かったかな?」
行方不明の皇女を連れ戻しに来たにしては、あまりに軽い挨拶だった。窓の外を見ると、薄青色の空が見えた。まだ、陽は昇っていない。手紙には『明日』とあった。一応日付は変わっているが、まさかこんなに早く来るとは思わなかった。
「約束などした覚えはない。今すぐ帰れ」
友人相手にも関わらず、ジルフォードの物言いは恐ろしく冷たい。ジルフォードの背にかばわれているエレノアには、その表情は確認できないが、きっと彼はものすごく怒っている。ジルフォードの放つ空気がいつもとは違う。
「あれ? 手紙読んでない?」
しかし、テッドはジルフォードの態度にも怯まずに普通に会話を続けている。
「あんな一方的なもの、約束とは言わない」
「だけどねぇ、もう限界だよ」
「知るか。どうにかしろ」
「どうにかしたいのは山々なんだけどねぇ……」
そう言って、テッドはちらりとエレノアに視線を向けた。彼の目は、とても厳しかった。エレノアは、分かっている、と頷いた。
守られていたジルフォードの広い背中から出て、エレノアはテッドの隣へ向かう。
「ジルフォード様、私は帰ります。でも、勘違いしないでくださいね。諦めた訳ではありません。きっと、もう一度ジルフォード様に拾っていただきますから……私のこと、覚えていてくださいね」
エレノアは自分を嘆くだけの悲劇のヒロインにはなりたくない。強くたくましいヒロインでありたいのだ。
だから、戦うために戻る。一度は逃げ出した〈鉄の城〉に。
決着をつけなければならない人がいる。怖がって、脅えて、逃げるのは終わりだ。
(皇帝の相手をするのも、悪魔の相手をするのも、ジルフォード様ではなく私だわ)
そして、完全勝利を収めて、エレノアは再びジルフォードのところに帰るのだ。
それが、エレノアが望む未来。
掴みたい、希望。
「ロイス、私がいない間にジルフォード様に変な虫がつかないように見張っていてね」
「……は? 一番の変な虫はエレノアだっての!」
いまいち状況が分かっていないロイスだが、エレノアの言葉に反射的に言い返してくる。
ロイスに微笑んで、エレノアは最後にもう一度ジルフォードの顔を見る。彼は、眉間にしわを寄せて、とても難しい、怖い顔をしていた。
「エレノア」
ジルフォードに呼ばれる自分の名前は、とても心地よく響く。嬉しくて、エレノアの顔には笑顔しか浮かばない。心の中にはいろいろと抑えている感情があるけれど、彼に見せてはいけないものだ。それに、大好きな人には可愛いところだけを見せたいと思うのが乙女心というもの。
「ジルフォード様、大好きです。これからも、ずっと」
何度も何度も口にした告白を最後に、エレノアはジルフォードに背を向けた。もうこれ以上、彼の顔を見ていられなかった。部屋を出て、階段を降りる。収拾屋の前に停めてある馬車が目に入った。テッドが用意したものだろう。エレノアは深呼吸をひとつして、その馬車に乗り込んだ。
***
「あらら、先に行ってしまったね。それじゃあね、ジル」
「待て。俺も行く」
爽やかに去って行こうとするテッドの腕を、ジルフォードは咄嗟に掴んでいた。
「駄目だ」
笑みを消したテッドが、厳しい声音で言った。そして、ジルフォードに向き直る。
「今からどこに行くのか分かってるよね? ジルが追放された、あの〈鉄の城〉だよ? ジルが行っても何もできないって分かってるはずだよね」
テッドは、ジルフォードの心がまだ過去に囚われていることを知っている。
「……テッド、お前」
「ジルはもう、軍人じゃない。帝国にも皇帝にも縛られない自由の身だ。彼女のことはもう忘れた方がいいんだ」
自分のことを本気で心配してくれる友人に、ジルフォードは溜息を吐く。テッドの言いたいことは分かる。ジルフォードの中にも、〈蒼き死神〉ではない自分を生きている今を大切にしたい気持ちはある。
それでも、ジルフォードがエレノアを拾ったのだ。忘れることなどできない。エレノアに出会い、彼女を知ってしまったから。
(このまま行かせて、〈悪魔の花嫁〉になんかさせるか)
エレノアはジルフォードに恋心を抱いているが、自分のこの気持ちが恋なのかただの情なのかよく分からない。
ただ、エレノアを傷つけるものすべてから守ってやりたい。もう、未来を諦めさせたくない。
「何と言われようと俺は行く」
今度はテッドが溜息を吐く番だった。ジルフォードを説得できないと理解したのか、テッドは力なく笑う。
「僕は連れて行く気はないからね。それでもついて来るなら、勝手にすればいい。でもひとつ忠告しておくよ」
そう言い置いて、テッドはロイスに聞こえないようジルフォードの耳元で囁いた。
「警戒すべきは皇帝カルロス様よりも、第一皇子ブライアン様だ」
第一皇子ブライアンの冷酷な噂だけは、ジルフォードも知っていた。しかし、ジルフォードが知るブライアンは、父であるカルロスの関心を得ようと奮闘する素直な少年だ。十年という月日は、人を変えるには十分すぎる時間なのかもしれない。
「ま、ついて来てもジルが〈鉄の城〉に入れるはずないけどね」
ひらり、と手を振ってテッドは今度こそ収拾屋から出て行った。
「ジル、〈鉄の城〉に行くのか?」
後ろから、ロイスの不安そうな声が聞こえた。ジルフォードは振り返り、ロイスの頭に手を置いた。
「ああ。もうエレノアを独りにしないと決めたんだ」
「俺のことは?」
ロイスは戦争で、家族を失った。ようやく見つけた収拾屋という居場所がなくなるかもしれないと脅えている。ジルフォードがいなくなれば、ロイスもまた、独りになってしまう、と。
「ロイスは俺の大切な家族だ。絶対に独りにはしない。だから、俺がエレノアと一緒に帰ってくるのを待っていて欲しいんだ」
絶対にエレノアと帰ってくる。ジルフォードの胸にあるのはただそれだけだ。
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