第5 話 2
夏休みに入る前から、学園祭の準備が少しずつ始まった。
桃子達のクラス、二年一組は話し合いの結果喫茶店をすることになっている。
「なんか、うちのクラス、フツーだよね」
鏡花の言うように、他のクラスは奇を衒ったものを出し物にしているらしい。
「でも、千和の監修ケーキだよ」
「それは楽しみなんだけど、コスプレするとかさー?」
「却下」
鬼藤が眉間に皺を寄せつつ、鏡花を睨む。
「むー」
「ケーキを四種類にしたら、予算をだいぶ圧迫してるんだよね」
「でもさ、売り上げよければお釣りくるよね!」
「却下って言ってるだろ」
珍しく鏡花が食い下がっているのが気になるけれど、鬼藤のけんもほろろな返答を見ている限りオーケーが出ることはないだろう。
「ちぇっ」
拗ねた鏡花の肩を、エンジがそっと抱き寄せる。
「まあまあ、そんな拗ねないでさ。ね」
「じゃあ、エンジ君女装してくれる?」
「いや、それは、ちょっと」
エンジは視線を逸らして、鏡花がうまく諦めるよう策略をしているようだ。
「桃子ー、飾りつけなんだけどさ」
「はーい」
クラスの中で一番背の高い男子、北見が桃子を手招きしている。
横を通り抜ける桃子に、エンジも千和も視線で見送る。
「……変わったな」
「ん? ああ、桃子?」
「バーカ。てめぇのことだ」
鬼藤の言葉に、エンジは間の抜けた顔になる。
「オレ?」
「自覚ないのか? アイツの側を五歩以上離れなかったじゃねぇか」
桃子の方を振り返ると、たしかに数ヶ月前よりもずっと距離がある。
護衛のために、必ず桃子の傍らにはエンジか千和が居た。
今はそのスペースに、北見と同じく装飾係の女子が三人居る。みんな鬼だ。
五人は談笑混じりに図面に書き起こしているようだ。
そこには、転校時のような隔たりは感じられない。
「……そうだな」
細められたエンジの目に、桃子はどう映っているだろうか。
柔らかく微笑むその顔を、本人は自覚しているだろうか。
「……桃之助くんは、桃子ちゃんにとって悪い影響がありそうなものはすぐに露払いしてた。でも、こうして桃子ちゃんが笑顔でみんなと居るのを見てると、本当にそれが正しかったのかなぁって思うんだ」
千和は、桃之助へ思いを馳せているのか、表情が暗い。
「わたしはね、護衛だから側に居るんじゃなくて、桃子ちゃんが友達だから側に居たいの。だから、友達って距離を大事にしたい」
転校以前のような、今にも崩れてしまいそうな桃子の姿はそこにない。
自分の意思でしっかりと向き合って、問題を解決している。
桃之助のような守り方では、きっとこうはいかなかっただろう。
だから、信じる。
桃子が千和たちを必要になったときに、声を上げてくれることを。
そして、友達だから、駆けつけたい。助けたいのだ。
「……それはそうと、桃子の誕生日パーティーいつにするの?」
鏡花が、離れた桃子に届かないように小声で囁いた。
「ハッピーバースデー!!」
クラッカーの派手な破裂音と共に、紙テープが桃子に降りかかる。
「ありがとう!」
八月の二十日、桃子達が住処としている別荘でバースデーパーティが行われた。千和と留衣の手料理がテーブルの上に所狭しと並べられている。真ん中に鎮座しているのは千和が腕を揮ったショートケーキ。
そしてそのテーブルを、いつもの顔触れが囲んでいる。
サプライズも考えていたものの、千和と留衣が支度していればバレてしまうということで、もう桃子にも告知してある。
「ローソクとか立てちゃう?」
「えー! せっかく綺麗だからこのままでいいよ」
「えへへ、桃子ちゃんのために頑張ったから嬉しい」
「本当にありがとう! 千和!」
「おめでとう! 桃子!」
感極まって、いつものように桃子と千和の二人が抱き合っているところに、さらに鏡花も混ざって空気は益々華やかになる。
「いいねぇ、女子は」
「おっさんかっての」
「おっさんだもーん。オレのほうが一個上なんだから、敬えガキンチョ」
鬼藤のツッコミにエンジは頬を膨らませた。その様子を留衣が温かく見つめている。この面子が同じ卓を囲むなど、島に来た頃には想像すら出来なかった光景だ。
誕生会の話が出たとき、留衣は鬼藤達を家に上げることを反対するのではないかと心配したが、彼はただ「いいですよ」と一言で答えただけだった。
「はい、桃子。オレからはこれ」
エンジがピンクのラッピングされた小箱を桃子の前に差し出した。
「ありがとう」
「……一応招かれたからな」
顔を背けながら、鬼藤がおずおずと紙袋を差し出す。
「やっだー、鬼藤ちゃん照れ屋さんなんだから」
「うっせーぞ、サル」
「私からはこれを」
次々と差し出されるプレゼントに、桃子は顔を歪ませた。
それに気付いた周囲が、なにか気に入らないことでもあったのかと動きが止まる。
「桃子ちゃん……?」
隣の席に居た千和が表情を窺うと、堰を切ったように、桃子の目から大粒の涙が頬を滑り落ちていく。
「ごめんね。本当は、みんなに迷惑かけてるの、すごく実感しているんだ」
桃子の我が侭から始まったこの生活も、今ではかけがえのないものになっている。
迷惑だなんて誰も感じていない。
しゃくりあげる桃子の声に、くすくすと笑い声が混ざる。
思わず涙も止まって、桃子が呆気に取られていると、エンジがいつものように無遠慮に頭を撫でた。髪が明後日のほうへ跳ねる。
「謝るところじゃねぇだろ、そこは。素直に祝われてろよな」
「そうですね。なにかをして頂けるよりも、ありがとうと言って頂けたほうが我々も嬉しいです」
「うんうん。それに、わたしは桃子ちゃん達とここでの生活楽しいよ」
三人だけでなく、鏡花も鬼藤の眼も温かい。
「……ありがとう」
「じゃあ、桃子も素直になったところで、わたしからもプレゼント」
鏡花が桃子の手を引く。桃子が立ち上がるのによろめいても、鏡花はお構いなしだ。
「どこに行くの、鏡花」
「いいからいいから」
留衣の部屋へ案内されると、そこには色々と準備がされていた。全身鏡の前に椅子が並べられていて、見覚えのない小さめの箱が二つ置いてある。近付くと、メイクボックスだと分かった。
「はい、座ってー」
前後に並べられた背もたれのない椅子の、前側へと座らされる。
「なになに?」
鏡花が後ろを椅子を陣取ると、鏡越しに桃子と視線を交わした。
「桃子、最近ちゃんとヘアケアしてる? ちょっとごわついてるけど」
「う……してないかも」
「枝毛できてる」
「うそ!!」
「ほんとー」
金の髪が、鏡花の指にくるりと巻きつく。そして、するりと通り抜けると、重力に任せるまま流れ落ちた。
鏡花はメイクボックスからヘアブラシを取り出すと、丁寧に桃子の髪を梳く。
エンジに掻き回されてあちらこちらへ跳ねていた髪が、鏡花の手によってとりあえず元の位置に戻る。
その指先が触れる度に心地よくて、さすが美容師の娘、と桃子は感心して身を任せた。
「桃子ってさ、元々黒髪だったんでしょ? どうして、染めたの?」
いつも返事の早い桃子がどもっているのに気付いて鏡を覗くと、頬を染めて視線を泳がせていた。
「わ、笑わない…?」
鏡花はうっかり弛みそうな頬を吊り上げる。桃子のくるくる変わる表情は見ていて飽きない。
「もちろん」
「最初はね、髪を切ろうかなって思ったんだ。お兄ちゃんとわたし、よく似てるから、髪型変えたら印象変わるかなって。印象変わったら、新しくスタートできるんじゃないかって。
でも、先生に出会ったときに、すごく金の眼が綺麗だなって思って……だから、一応、先生の色なの」
ゆっくりと、その言葉のひとつひとつを慈しむように言う桃子に、鏡花も当てられて思わず照れる。
「そういう考え方好きだなぁ」
「そ、そうかな」
鏡花の手が止まる。鏡越しに鏡花を見上げると、視線が交わった。
「……わたしね、美容師になりたいんだ。鬼ってこんな風に目立つ髪と眼の色だから、島を出るときに髪を黒く染めていくの。そうでもしないと、揶揄されるって」
鏡花は親が美容師をしている関係で、きっとその話題に触れることが多かったのだろう。初めて見る鏡花の暗い表情に、心がぎゅっと締めつけられる。
「木藤先生も眼鏡かけるようになったのは、東京の大学に行くからって島を出たからなんだって。……今は落ち着くからしてるみたいだけど。
わたしは、この髪と眼の色が好き。他のみんなにも自信を持ってもらえたらって思う。だからね、美容師になったら、島の外でも堂々と出来るように、その人の魅力を引き出してあげるんだ」
そう言って顔を上げた鏡花。その眼に強く光が宿る。
「素敵な夢だね」
鏡花ははにかんで、再び桃子の髪を編み始める。
「ありがとう。桃子は夢とかないの?」
「うーん、前はお兄ちゃんのお手伝いができたらって思ってたけど。今は、まだ」
「木藤先生のお嫁さんは?」
慌てふためく桃子を笑う鏡花。すっかり弄ばれているな、と膨れていると、鏡花が覗き込んできた。
「でも、わりと本気。桃子がずっと島に居たらいいのになって、最近よく思ってる」
じゃあ次はメイクをするね、と二人は向き合うように座り直す。
鏡花は、クラス委員長を決めるドッジボールで、桃子に出来た最初の味方だった。
かつての因縁の相手である桃子の味方になるのは、鬼達の中の絶対的存在の鬼藤の意思を踏み越えるのは、想像以上に勇気が必要なことであったはずだ。
それからも、ずっと親しくしてくれた。桃子だけではなく、エンジも千和も、誰一人差別せずに。
「……もし、島を離れても、鏡花とはずっと友達だよ」
鏡花は肯くと、桃子の額に額を合わせた。
「ありがとう」
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