第4話 5

 お兄ちゃんは、何をやっても本当に優秀。文武両道で、優しくて、誰からも愛されていて……別にブラコンだとか、色眼鏡で見てるわけではないよ。

 誰からの評価もそんな感じだった。素敵なお兄ちゃんだねって、幼い頃から言われてきた。

 わたしも、客観的にそう思う。かっこよくて、優しくて、文句のつけようのない自慢のお兄ちゃん。

 反対にわたしは本当にポンコツ。お兄ちゃんの足元どころか、普通以下で、得意なものもない。自分で言ってても悲しいんだけどね。

 でも、そんなわたしでも、周りにはいつも友達が溢れてた。いつしか、それがわたしの小さな小さな自尊心になっていた。こんなわたしでも、お兄ちゃんみたいに人望はあるんだって思っていた。

 ……思っていたかった。

 ――桃子ってさ、桃之助様の妹じゃなかったら何も無いよね。

 ――わかる! 顔だけって感じする!

 どうして、聞きたくないものほど、耳に届くのだろう。

 ――あれでリーダー気取りしてるの、イタいよね。あの子。

 ずっと、立っていた場所が安全だと疑わなかったのに、足の踏み場もない地雷原だったと知らされたようで、急に呼吸が荒くなった。過呼吸になって、廊下でうずくまっていたわたしを見つけてくれたのは、お兄ちゃんだった。

 でも、その痛みはわりとすぐに乗り越えられたと思う。きっと、元々自分に自信がなかったから、周りの反応をすべて鵜呑みにはしていなかったんだと思う。

 問題は、そのあとだった。

 たった二日、学校を休んだだけだったのに、その空白の間に教室の空気は様変わりしていた。空席が二つ。わたしのことを陰口たたいていた二人の席だと気付いて、立ちすくんだ。

 周りの空気が張り詰めていて、一つ一つの視線が刺さるようで痛い。

 お兄ちゃんが仕組んだことなんだって知ったのは、それから間もなくだった。


「度々、そういうことがあったんだ。お兄ちゃんのせいって気付いたのは、その件からだったけどね」

 けれど、それに対しての、怒りや反発は不思議と沸いてこなかった。だって、お兄ちゃんはただ善意でわたしを守ろうとしてくれているのだ。その加減がおかしいだけで。

 話していて、手が震えていた。顔を上げると、二対の金色の眼がまっすぐとわたしを見ていることに気付く。

 先生と鬼藤くんが真剣に聞いていてくれたのが、すこしくすぐったい。

「そのあと、クラスのみんなの態度が気持ち悪いほど優しくなったの。息が詰まりそうだった。わたしの向こうに居るお兄ちゃんを畏怖して、腫れ物に触るような接し方で――だから、お兄ちゃんの力が及ばないところに逃げようと思ったんだ」

 陰口をたたかれるよりも辛かった。なにもさせて貰えず、わたしの一言に誰も反対しない。

 そこに、わたしは存在していると言えるのだろうか。

 頬を、つるつると涙が滑っていった。手の甲で強く拭っていると、先生の手がわたしの頭に、そっと乗った。言葉はないけれど、労ってくれているのがわかる。

「コーヒーでも淹れようか」

「なに言ってんだ、勉強するんだろ」

 鬼藤くんに腕を引かれて立ち上がった。

「……行くぞ」

 鬼藤くんが、躊躇いなくわたしを連れて行こうとしてくれたのは嬉しい……んだけど、先生の淹れてくれたコーヒー、飲みたかったな。

 後ろ髪引かれる思いで振り返ると、先生が笑っていた。

「じゃあ、コーヒーはまた今度。な」




 それから、試験までの勉強を、留衣とエンジだけではなくて鬼藤くんまで教えてくれることになった。なかなかに厳しくて、千和に泣き言を並べて、慰めてもらったのは秘密だ。

 暑くて眩しい夏の日差しの中、試験は行われた。連日青天で、教室を一歩出ると試験でフル回転していた頭が逆上せそうになる。

 でも、努力が実った結果、なんとかわたしは赤点を回避して、補習のない夏休みを迎えられることになった。

「よくがんばったな」

 先生はわたし達五人を理科室に招いてくれた。

 紙コップに、先生が淹れてくれたアイスコーヒー。

 冬の日に、ここで同じようにホットコーヒーを頂いたのを思い出す。

「次は学園祭だな」

 鬼藤くんがぽつりと言うと、鏡花が拳を握ってこちらを振り向いた。

「頑張ろうね! 桃子!」

「うん」

 受け入れてもらえなくても良かった。壊れ物みたいに扱われるより、疎まれてもいいから対等になりたかった。それすら、贅沢な悩みかもしれないけれど。

 みんなと視線が合う。同じ色はない、カラフルなみんなの眼。

 あのまま逃げてきてしまったことに、後悔がない訳じゃない。でも、今は、この島に来て、本当によかったと心から思う。


 窓の向こうには、眩しくて鮮やかな夏の青空が広がっている。







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