第2話 6

 兄貴もオレも、それ以上はなにも語らなかった。

 去っていく兄貴の背を、リビングの窓の反射越しに見届けて、しばらく一人でそこに居た。

 過去の記憶を、糸を手繰るように思い出す。

 ビルに覆われた薄い色の空。視界いっぱいに映るほどの人々の群れ。誰もが早足で、ぶつかっても知らん顔で行き交う。

 今でも鮮明に思い出せる。

 兄貴は鬼の中で、人として差別されて生きてきた。

 反対に、鬼として、この鬼藤の家の子として、歴史を背負えと言わんばかりに生まれたオレ。

 オレは幼い頃から、同じ父親を持つ兄貴が、鬼として受け入れられないのを、ずっと疑問に抱きながら見つめていた。

 そして、桃子を思い浮かべる。

 もし、桃子が島に因果のない普通の人間だったら、すんなり受け入れたのだろうか。

 もし、あの東京で見たたくさんの人混みの、雑踏の中で出会ったのなら、果たしてどうだったろうか。

 



 翌日、オレは何事もなかったかのように登校した。

 周囲の目は多少気にかかったが、自分のせいなので甘んじてその視線に耐える。

「おっはよー、鬼藤」

 階段の下から、鏡花が手を振って寄ってきた。

 ちょっと釣りあがった目といい、こういう仕種も猫のようだ。

「昨日大丈夫だった? 具合悪い?」

「そんなんじゃねーから」

 すこし乱暴に頭を撫でると、鏡花は不満の声を漏らした。

「んもう! 髪ぐっしゃになったじゃん!!」

「どうせ元からボサボサじゃねーか」

「酷い!! ボサボサじゃなくてゆるふわにまとめてるんだよ!!」

 そう言って鏡花は肩までの髪に指を通す。若葉色の髪がその度に揺れた。

 鏡花とふざけながら、教室にたどり着くと、入り口に人影が見えた。

「おはよー、鬼藤ちゃん。女の子侍らせて登校って、顔がいい男はやっぱ違うね」

「げ、猿」

 オレより背の低い猿が、肩に腕を回して組んでくる。自然と顔が寄せられた。

 ――キモチワリィ。

「うちのお姫さんには、くれぐれも手を出さないでよね。出されるのも禁止だから」

 耳元でそう呟いて、猿は身軽に離れていった。

 なにを言ってるんだ、と聞き返す前に鏡花に腕を引かれる。

「鬼藤、わたしと同じグループになったんだよ」

 こっちこっち、と連れられて案内された席の隣で、さらりと金の髪が風に靡いた。

 ――うそ、だろ。

「おはよう、鬼藤くん」

 そう言って微笑む彼女は、きっと他人から見たら、絵画のように美しかったけれど、残念なことにオレはまだまだ彼女に心を許せるほどのゆとりはない。

 それに、あれから散々考えてみたけれど、答えは見つかりそうにない。

 まさか翌日の朝からこの問題を突きつけられるとも思わなかった。でも、前日までのような、ここにいる違和感も、破壊衝動もない。

 周囲の雑音が無くなっている。オレへと視線が注がれているのがわかる。

 見せもんじゃねぇよ、と噛み付く前に、先生が教室に入ってきた。

「ショートホームルームするぞー、早く座れー」

 朝から間の抜けた木藤先生の声で、生徒もゆるゆると席に着く。

 そのざわめきのなかで、

「……はよ」

 聞こえないくらい小さく呟いたのに、どうやら届いたらしい。

「おはよう」

 いつかは、鬼としてのオレでも、桃太郎の子孫の桃子でもない、対等な関係になれるのかもしれない。そう思う反面、鬼と桃太郎が交わる訳がないとも思う。

 桃子の嬉しそうな表情に、気付かない振りをして席に座る。

 それが、今のオレに出来る精一杯だった。



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