寿司を喰う女
泡沫恋歌
第1話 回転寿司のカウンターで隣同士
鈴木ともこと名乗る女と出会ったのは、全国チェーンの回転寿司のカウンター席だった。
一皿百円が売りのこの店はいつも家族連れで賑わっている。ほとんどテーブル席ばかりだが、隅っこに単身者用のカウンター席が設けてあった。その席に隣同士で座ったのが縁だった。
ともこは一人でカウンターに座り、鮪、イカ、エビなど百円の寿司を五皿と茶碗蒸しを食べて帰る、その量はいつも決まって同じだった。二十代後半かと思われるが地味な服装で目立たないようにひっそりとして、黙々と寿司を食べる姿が反って印象的だった。
一人暮らしをするようになった俺は、たいてい週末の夜には近所にある回転寿司で食事を済ませることが多い。二人の時間帯が合致するせいか、カウンター席でよく隣同士になった。
一度、ともこが注文した鯛を間違えて、俺がレーンから取ってしまったことがあった。レーンから取った寿司はもう戻せない。「すいません」俺が謝ると、「同じ鯛だし、あなたが注文したお寿司を頂きますから、構いませんよ」ともこは迷惑そうな顔もしないで、後から流れてきた俺の鯛と交換してくれた。
この時、大人しそうだが、芯のしっかりした女性だなあと感じた。
ともこは長い髪を後ろにまとめゴムでくくり、アクセサリー類はつけず、化粧っ気もない。しかし間近でよく見ると、色が白くて、肌理も細かく、歯並びもきれいな小顔の可愛らしい女性だった。もう少しお洒落に気を配れば、美人になるだろうと思った。なぜか、意図的にひと目を避けている風にも見える、この女性に……少なからず興味を持った。
それにしても、この俺が――。あんなひどい目にあったにも関わらず、再び、女性に対して興味を示し始めているなんて……自分でも不思議だった。
妻と離婚して一年が経とうとしていた。
二年間の結婚生活にピリオドを打った俺は、晴れて独身者に戻っていたが、この頃には人恋しい気持ちも少し湧いてきていた。だが、元妻との復縁だけは真っ平だ! 今思うと、まったく酷い結婚生活だった。
俺が勤めていた食品会社の親睦会コンパで妻と知り合った。
当時派遣社員だった妻は、スタイル抜群、華やかな服装で人目を惹く美人だった。男女社員たちが集まったコンパのアイドル的存在で、参加していた男性社員たちの一番の狙い目が彼女だった。
みんなの注目を浴びる妻に、ひと目惚れしたのは俺の方だった。三ヶ月ほど交際して結婚を決めたが、どんな人物なのか実はよく分かっていなかった――。
一緒に暮らし始めてから妻の本性が分かった。
まず、ズボラな性格で炊事も洗濯も掃除も家事いっさいやらない。結婚した途端、仕事を止めて家でごろごろしている。子どもは嫌いだから要らないと、新婚三ヶ月でセックスレス宣言された。
俺が仕事から帰っても食事の用意は出来てなく、妻はソファーに寝転がって、テレビを観ているか、ゲームをやっている。その傍らにはカップ麺や宅配ピザの空箱が散乱している。――これじゃあ、何のために結婚したのか分からない。
子どもがいないのだから外で働けばというと、結婚したら専業主婦になるのが私の夢だったという。まったく家事もしないくせに何が専業主婦だ! ただの怠け者のくせして、俺に食べさせて貰おうなんて虫がいい、まるでニート……いや、パラサイトだと思った。
最初の半年は惚れた弱みで妻の自由にさせていた。一年目は主婦らしく家事をするように俺が文句を言うと口げんかになった。二年目からは地獄だった! この二年間で15キロも肥った妻を見るのもウンザリ、寝室も別々になって、すっかり愛想を尽かしていた。
俺の方から、何度も離婚の話を切り出したが、いつも妻は「別れない」の一点張りだった。俺に対する愛情もないくせに別れたくないのは、三食昼寝付きの快適な生活を手放すのが嫌だったからだろう。
急激に肥ったことで、俺に嫌味を言われるのにも、
少しでも以前の容貌を取り戻してくれるならと俺も賛成する。ジムに通い出して、ダイエット効果で痩せてきれいになってきたが……どうも妻の様子がオカシイ。
服装や化粧が以前のように派手になり、外出がやたらと多くなって、しょっちゅうスマホをいじっている。
どうやらダイエットの効果は他にあったようだ。探偵を雇って妻の身辺調査をやってみたら、やっぱり出てきた。スポーツジムのインストラクターの若い男と浮気をしていたのだ。
俺は浮気の証拠を集めて、それを妻に突きつけて離婚を迫った。最初は「別れたくない」と泣いて謝った妻だが、俺の「別れる!」という意思の強さに観念してか、やっと離婚届けに判子を押してくれた。
別れる時に、俺名義の貯金通帳を返して貰ったら……なんと残高が千円もなかった。会社で働いて貯めた金と年に二回のボーナス、結婚の祝いに両親に貰った現金やら、少なく見積もっても四、五百万はあったはずの貯金がきれいさっぱりなくなっている。
妻に問い質すと、生活費に使ったという。家事もしない、料理も作らないくせに、何が生活費だ! たぶん、スポーツクラブで知り合った若い男にでも貢いだのだろう。俺が働いて稼いだ金で、二人で遊び回っていたという訳か――。考えただけで胸糞悪いが、これで悪妻と縁が切れるなら『手切れ金』だと思って堪え忍んだ。
やっと離婚が決まった日には、シャンパンを買い俺は一人で祝杯を挙げた。
――だが、そう簡単には終わらなかった。別れたはずの元妻が金の無心くるのだ。
離婚したのに無職のままで、男にも逃げられて、借金までもあって、結局、この俺に泣きつくしかないらしい。しかも自分の母親まで連れてきて、俺に復縁を迫ってくるのだから始末が悪い。
結婚していた頃には、やれ稼ぎが悪いだの、やれ出世が遅いだの……母娘して俺の悪口を散々言って
ふざけんなっ! 今さら復縁を迫るなんて虫がよすぎる。……この女とは完全に縁を切りたい。これ以上、つきまとわれるのは真っ平だと強く思った俺は、こいつらから逃げようと決心した。
あれから一年……会社に退職願いを出して、遠い街でひっそりと暮らしている。
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