4-10

 ソフィアの第一印象は、『変な女』。それだった。

 出会いは、今から六年ほど前。

 その頃ノインは区画外で、窃盗まがいの方法で食品や日銭を得て一人で暮らしていた。魔法使いの脅威はあるものの、ノインは比較的出現が少ない場所をねぐらにできていた。親代わりとなる人間も一応いたが、その老人は当時すでに他界してしまっていた。

 そしてある日、ついに生活に切羽詰ったノインは、ある店――らしき場所に強盗目的で目を付けた。普通の民家かもしれなかったが、夜に開いていそうな場所はそこだけだったし、ノインとしては金と食べ物さえ入手できれば何でもよかった。

 そして踏み入るなり、ノインは以前街で拾ったオートマチック(銃身の刻印には〈ギムレット〉とあった)の銃口を屋内にいた人物に向けて、金品と食糧を要求した。

 その時中にいた人間は一人。それも自分とそう年も離れていなさそうな女だった。そして内装を見るに、ここはやはり民家というよりは店であるらしかった。

 ついていると思った。

 店なら、一定の金や食料はあるはずだ。それにこの場に居るのが若い女一人なら、自分一人でもなんとかなる。他に誰かいた場合に備えての人質にしておいてもいいし、必要ならこの場で彼女を殺してしまうこともできるだろう。

 しかし、ノインが向けた銃口も、脅し文句も、その女には一切の効果がなかった。


「野良犬さんってとこかな」


 そんなことを言いながら、その女はノインに向かってゆっくりと歩み寄ってきた。

 癖の強いセミロングの赤毛。髪と同じ赤い瞳。

 服装は、真っ黒なコートとトップス、ズボンという黒づくめだった。年齢は当時のノインより二、三歳上――十七、八歳程度だろうか。背は高めで容姿は整っており、ありていに言って美人だった。


「動くな! 止まれ!」


 震える銃口を御しながら殺害の意思を示し、ノインは吠える。この銃に弾が入っているのは確認済みだ。トリガーを引けば、内部の銃弾は当然発射される。

 しかし女は止まらない。コツコツという彼女の足音と共に、二人の距離が縮まる。


「っ!」


 舐められている。

 瞬間的にそう思った。


 ――俺が人を殺せないと思っているのか?


 そんな考えがノインの脳内に浮かぶ。

 確かに今まで、自発的に人を殺したことはない。だが、自分は今まで生き延びるためにいろんなことをやってきた。盗みもやったし、詐欺もやった。自分の金や食料を奪いに来た連中を徹底的に痛めつけたこともある。そんな自分にこのトリガーが引けないはずはない。


 馬鹿な女だ。


 そう思って、ノインはトリガーにかけた人差し指を思い切り引き絞った。

 しかしその後も、銃口は静寂を保ったままだった。銃撃の音も、来ると思って備えていた反動すらもこない。というかそもそも、トリガーが動かない。

 ノインは慌てる。

 しかし対して、女は泰然と歩を進めてきていた。そしてある距離まで来ると、女は細い指で彼の額を軽く押す。だがそれだけのことで、緊張していたノインの足の筋肉はいともたやすく砕けた。ノインはあっさりと、無様に、店の玄関先でしりもちをつく。

 そして目の前の女は、いつの間にか奪っていたノインの拳銃をその手に握っていた。


「使い方も知らずにこんなことするなんてね」


 ノインが顎を上げると、そこには端麗な顔に光る彼女の赤い双眸があった。

 女はノインがかけたままにしていたセイフティを解除し、スライドを引く。そして当然のように銃口をノインに向けた。


 殺される――。


 ノインは目を瞑り、死を覚悟した。

 だが、乾いた銃声が響いたあと、その瞬間は訪れなかった。

 ノインが知覚したのは、銃声と小さな衝突音、火薬の匂い。

 ノインは恐る恐る目を開ける。

 目の前では赤髪の女がニタニタした笑みで、こちらを見下ろしていた。見ると、目の前の木製の床には小さな穴が開いている。どうやら彼女の一撃はそこに撃ち込まれたらしかった。

 だが彼女の様子からして、それは外したのではない。意図的にそこを撃ったのだ。

 情けをかけられたのか、あるいは、さすがに殺すのはマズいと思ったのか――ノインに彼女の意図はわからなかったが、ノインは悔しいやら情けないやら複雑な心境で彼女を睨み返した。

 すると、そんなノインに対し、赤髪の女は唐突にこんなことを言い出したのだった。


「……キミ、あたしの弟子にしてあげる」


 ──ソフィアとの出会いはそんな感じだった。

 そしてこの出来事以降、ノインは彼女から銃の扱いや戦闘における体術を教わって、その店――スキューアの討伐屋として仕事を始めることになるのだった。


 ○ ○ ○


「――あー……」

 あまり思い出したくない記憶を掘り返したノインは、意味も無く声を出して頭を掻いた。

 こういうこともあるから、思い出の場所というのは一長一短である。

 ノインは苦い記憶を脳内から追い出すように軽くかぶりを振ると、リリを連れ戻すべく、古教会の入り口をくぐる。中は当然暗かったが、雲の隙間から差し込んだ月光が中を照らしており、想像よりもずっと明るい。礼拝堂自体が二十メートル四方程度の広さということもあって、月明かりでも光源としては事足りていた。中の空気は、じめじめしていながらもかなり埃っぽい。今や誰一人としてここを訪れてはいないのだろう。

 そしてそんな空間の最奥で、リリはこちらに背を向けてぽつんと立っていた。礼拝堂の中はがらんとしていて、見るべきものなど特に無かったが、彼女はその中で唯一目を引くもの――入り口と対面する壁の上部にはめ込まれた大きなステンドグラスと、その下に置かれた黒塗りの石膏像をじっと見上げていた。


「リリ?」


 ノインは彼女に向かって歩きながら、彼女の背中に呼びかける。が、反応は返ってこない。

 仕方ないので、ノインは彼女の横に並んで立つ。

 しかしそれでも彼女はただ静かに佇んでいるだけで、身じろぎひとつしていなかった。


「どうした? こんなもん面白くもないだろ?」


 ノインは視線を石膏像に向けながら、言う。

 目の前の像はこの宗教における信仰対象だ。象られているのは、赤子を抱え、長い法衣を纏った臨月の女性。彼女は大地を司る豊穣の女神であり、名前は『フィア=リア』というらしい。この女神の逸話は昔ソフィアから聞いた気がするが、もう忘れてしまった。ソフィアは、自分の名前の由来はこの女神なのだと語っていたが。

 ちなみにステンドグラスは、石膏像をそのまま平面に落とし込んだものだ。色つきのガラスで構成された女性の姿は、背景の幾何学模様と合わせて独特の色味と雰囲気を醸し出している。

 しかしそのステンドグラスも石膏像も、今はひどく汚れていた。風雨には晒されないため形こそ保っているが、その表面は埃と蜘蛛の巣だらけだ。ステンドグラスの輝きもどこか鈍く、夜であることを考慮してもそれはやはりくすんで見えた。


(……やっぱ俺とソフィアがここに来なくなってから、ずっと放置されてたみたいだな)


 ノインは過ぎ去った歳月の長さを改めて実感し、小さくため息をつく。

 するとその時。不意に、リリが口を開いた。


「……ねぇ」

「ん?」

「ノインは、悲しいの?」

「……なんだよ、急に」

「ずっと、泣いてるから」

「…………」


 確か彼女は、起きぬけにもそんなことを言っていた。だが今も、ノインの目に涙はない。

 彼女の言った『ずっと』というのがどれくらいの期間を指すのか、ノインにはわからないが、ここ数日というなら、確かに悲しんではいただろう。原因もはっきりしている。

 ただ彼女の言う『悲しみ』は、単にカリーナの死のみを指したものではなさそうに思えた。


「……そうだな。悲しいのかもな。悲しいことから逃げて、今もこうしてる」

「一緒」

「へ?」

「ボスおじさんと、一緒」


 ボスおじさんとはボスウィットのこと、でいいのだろうか。

 ここで彼の名前が出てくるのは少し意外だった。それに、『一緒』とは。


「あ、でも、ノインは少しだけ違うの」

「違う?」

「どれだけ悲しそうにしていても、ちゃんと、私を見てくれる」

「はぁ……」


 まるで謎かけのような彼女の言葉にぽかんとするノイン。今日の――それもここに来てからのリリはやけに饒舌に思えた。

 そして再びリリが口を開く。


「教えて」

「……何をだ?」

「私のこと」


 言葉を聞いてノインは眉をひそめる。こちらは彼女のろくな素性を知らないのだ。教えられることは何もない。しかし彼女は言った。


「私に誰がいるの?」

「…………」


 ノインは言葉に詰まる。

 どうやらリリは気づいていたらしい。ノインや――あるいはボスウィットもか――がリリを見ていながら、別の誰かを見ていたことに。そしてそれを想って悲しんでいたことに。

 だがその事は、彼女に話してどうなるものでもないと思えた。そもそも話す義理もない。


「ノイン」


 しかし答えを求めてこちらを見つめるリリの眼差しは真摯だった。

 まっすぐに光る、金と赤の複雑な色を湛えた瞳。

 吸い込まれるような光の奥底に潜むのは、強い意志。

 そしてそれには、五年前に自分が失ったものが見え隠れしていて。

 でも、それでない何かも確かにある気がして。

 だからノインは、ふっとため息をついた。


「……わーったよ」


 やはり、こうなったリリには勝てそうにない。ノインはあっさり降参すると、小さく肩をすくめて見せる。そしてコートのポケットに手を突っ込み、石膏像を見上げた。

 気まぐれであるといえば、そうだろう。いつも通りというか、リリの頑固さに勝てなかっただけなのだ。ただ、あの日のことを自分から他人に話すのは初めてで、ノインもどこから語るべきか迷った。しかし改めて考えると、話すことはそう多くないとも思ってしまう。

 そしてノインはぽつぽつと語り始めた。

 ソフィアが死んだ――いや、彼女を殺した、あの夜のことを。

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