5-9
道も空いたこの時間に急ぎ足で向かったため、一時間と経たぬうちにノインらは目的地に到着していた。先日の魔法使い被害の影響か、あるいは地盤沈下の影響か、旧研究所の周辺はやけに大げさに立ち入り禁止になっていたが、この時間では常駐する公安官の姿はなかった。
「……ここか」
ノインは旧研究所から少し離れた位置に車を停め、煉瓦造りの塀に囲まれたセメントコンクリート製の白い直方体の建屋を見つめる。四階建ての建物であり、横の長さは二百メートルほど。側面にはいくつかの窓が据え付けられている。ただ、打ち捨てられた場所であるため人の気配はなく、警備の人間などもいないように思えた。地図によれば、ここは四方をこの直方体の建物に囲まれた造りになっており、中心部分は中庭になっているらしい。そしてそこにクロスマークが描かれており、ノインの目的はまずはそこだった。
二人は速やかに車を降り、巨大な鉄格子の門がある正門から少し離れた塀に向かう。正門の鉄格子門は上に鋭利な『かえし』がついていたので、ここからの侵入が楽そうなのだ。
しかしこの一帯は一番街のくせに街灯が少なく、周囲は割と暗い。侵入するにはありがたいが、何か明かりになるものは持って来ておくべきだったかもしれない。
そしてノインはかみ合わせがずれてでこぼこしている煉瓦塀に手をかけ、それを乗り越えた。
当然セルジオも続き、二人はかなりの広さがある前庭の一角に着地した。銃を抜いて素早く周囲を警戒する。そして安全を確認すると、静かに建物へと近づいて行った。
しかし改めて見てみると、施設はかなり老朽化していた。壁面は所々剥がれているし、窓もいくつか割れてしまっている。周囲の草木も当然手入れされておらず、まさに廃墟といった有様だった。『旧』研究所という名に、偽りはないのだろう。
だがその時、二人はあることに気が付き、同時に立ち止まった。いつの間にか、自分たちの足元に白い靄がかかっていたのだ。それは時間と共に濃くなり、足先を飲み込んでゆく。
「これ、いつもの霧か……? ってことは――」
言いつつ、ノインはふと視界を上向けた。するとその先では、答えとばかりに建物の屋上で複数の黒い影が立ち上がった。
「魔法使い……」
ノインは呟いて、銃を構え直す。が、同時に、あの化け物も元は人間――そんな考えが頭をよぎった。
「…………」
しかしノインはその思考を無理やりねじ伏せた。今の自分たちに、彼らを助けられるような力はない。ならばもう、取るべき行動は限られている。
そしてその魔法使いたちは屋上から次々と飛び降りると、ノインらの前方を囲うように立ちはだかった。その数、見えるだけでも約二十。しかもその中には、赤い瞳を持つものが一体だけ混じっていた。以前に遭遇した経緯から察するなら、奴は大量にいる通常個体を支配下に置き、制御しているのだろう。
「……さっそくヤバいな」
ノインは戦術を模索するが、これだけの包囲網、そう簡単に突破できるとは思えない。たった一体でも、人間からすれば驚異の力を持つ化け物なのだ。まともにやりあっていては、命がいくつあっても足りない。
(中庭まで強引に突っ切るか――)
奴らは確実に追って来るだろうが、その時はその時だ。この状況ではまず先に進むのを優先させたほうがいい。
だが、ノインがその旨をセルジオに伝えようとしたその時、二人の周囲に小さな円筒形の物体が複数落ちてきた。さらに奥、魔法使いのいる辺りにも同じものが放物線を描いて飛んでいく。それは、自分たちの背後から投擲されているようだ。
「何――」
ノインが言いかけた瞬間、その円筒は小さく炸裂した。中からは大量の白い煙が吹き出し、地霧と合わせて、ノインらの周囲を一気に白く埋め尽くす。
そして直後、ノインは背後から何者かに手を引かれた。
「ひとまず逃げるわよ!」
そう言ってその人物――声からすると女か――はそのままノインを引っ張って、煙の中を駆け出した。ノインは一瞬抵抗しようとしたが、彼女があまりに問答無用で手を引いていくものだから、思わず付き従う形になってしまう。そして女は、背後で状況を判断しかねているセルジオにも声を投げつけ、付いてくるように言った。セルジオもとりあえず従ったようで、背後からは彼の靴音が規則正しく聞こえ始める。
前を走る女の容姿は黒いフードと赤いコートに遮られ、後からでは全く判別できない。左手には三十センチほどある何かのケース――妙に見覚えのある金属製の
ただ、状況からして味方のようには思う。先の発煙筒も、彼女が投げたものであるようだし。
しかしノインは思っていた。この女、声も含めて妙に『彼女』に似ている――と。
そして間もなく三人は煙を抜け、正門付近にあった詰所のような小さな木製小屋まで辿り着いた。そして魔法使いらから隠れるように小屋の陰に移動し、立ち止まって、軽く息を整える。
ノインは傷口の痛みに僅かに俯き、不快感に眉根を寄せたが、その感覚を振り払うように頭を振ると、無理矢理顔を上げた。
「なんとか間に合ったみたいね」
その場で最初に声を出したのは、女。そしてノインはそこで改めて彼女を見た。女はフードつきの黒いローブのような衣服に、ワインレッドのオーバーコートを合わせていた。靴は、黒のサイハイブーツ。しかしそれは声と同じく、覚えのあるもので。
「あんた……いったい……」
すると彼女はフードを取り去った。中からはウェーブのかかった長い黒髪があふれ出し、前髪の隙間からは、青の瞳が覗く。それは間違いなく、彼女だった。
「加勢するわ。――二人とも、案外元気そうじゃない」
そして彼女は――カリーナはいつもの微笑をこちらに向けてくる。
「……お前、どうして……死んだんじゃ……」
するとカリーナはその問いの答えとばかりに、包帯がちらつく胸元から、ノインのものとは異なる割れ方をした銀貨のペンダントを取り出してみせた。
「……あなたと一緒よ。私にも彼女がついてたみたいでね」
ノインはそれで大体の事情を理解する。
「はは、なるほど」
奇妙な運命を目の当たりにして、ノインは乾いた笑いを漏らすしかなかった。
彼女もペンダントと、そしておそらくフィデルに助けられたのだ。病院側をどう言いくるめたのかは知らないが、あの時フィデルはカリーナの運ばれた病院に来ていたし、その場で執刀した可能性はある。死んだと偽ったのは、身の安全を考慮してのことか。
「……それにしても二人とも命知らずね。ロクな装備も持たないでこんなとこ来るなんて」
「仕方ねーだろ。金も時間もねーんだよ。それにお前こそ、こんなとこ来て大丈夫なのかよ。けが人だろーが」
「その言葉、そっくりそのまま返すわ。……感謝しなさい。立ってるのも結構キツいんだから」
言いながら、彼女は皮肉気に笑って見せる。それにノインも小さく笑い返して、
「ま、そんだけ口がきけりゃ心配ねーな」
「……あ、ひっどい。帰っちゃおうかな」
「わりぃわりぃ。感謝してるって」
ノインは少しおどけて見せつつ、しかしすぐに声音を落ち着けて再び口を開く。
「けど、あいつらどっからこんなに湧いてきたんだ。魔法使いの排出口ってのは区画街にあるんじゃなかったのかよ」
小屋越しに視認できるはずはないが、ノインは未だ白煙の中にいる魔法使いらを見据えるようにして、言う。
彼らはまだ、目立った行動は起こしていないようだった。赤目に統率されているおかげなのか、本能の赴くままに追いかけてくるようなこともない。
するとノインの疑問に、カリーナが答えた。
「……何日か前に下見に来たときには居なかったから、たぶんあの連中は一時的な警備員みたいなものね。真下にある魔法使いの保管庫から、穴を通って出て来てるんだわ」
「穴?」
「ここで地盤沈下があったって話は知ってる? その時にできた穴のことよ」
言われて、ノインは先日読んだ新聞記事を今一度思い出す。
「……なるほど。けど、そうなるとその地盤沈下、なんかキナ臭いな。自然災害って感じじゃなさそうだ」
「ご明察。実はその事故の原因は魔法使いの『自爆』みたいでね。ここの地下にある調整中の自爆個体が何かの作用で連鎖的に自爆したらしいのよ。地下施設にある発電装置とかガスの配管なんかも巻き込んで。それでそのあと、二次被害的な爆発が起こって、その影響で直上の地面が陥没したわけ」
「自爆……」
と、これはセルジオ。
「そしてその自爆個体のうち一体がここから逃走。情報として私がつかめたのはそれまでよ。でもセルジオなら、その魔法使いがなんなのか、知ってるんじゃない?」
そこまで聞いて、ノインはいくつかの思考のピースがはまるのを感じた。
その逃げた一体とは、たぶんリリを連れていた個体だ。理由まではわからないが、その魔法使いがリリをここから連れ出したのだ。
「でも、それならここにいるやつらは全部自爆するんじゃ……」
「それはないと思うわ。『
司令塔の意思で動く特攻兵器。そんなところだろうか。カリーナの話では、『刷り込み』による魔法使いの制御は、まだ柔軟に状況対応できないらしいので、赤目による二重の制御は、その代替案であるのだとか。自爆個体や赤目に見られたナハトレイドが効かない特性も、いつか来る本格運用を見越して、弱点を消してきたということらしい。もしかしたら、最近多かったタフな個体も、そうした防御力を上げるための調整を施した個体だったのかもしれない。
「それにしてもお前、よくそんなとこまで調べたな」
「市政府の情報管理が甘いだけよ。今までバレなかったのは秘密の隠し方より、人の殺し方の方が上手かったからだわ。ま、正直、調べてわかんなかったこともあったんだけど、昼間のあなたとボスウィットの会話がだいたい補完してくれたから」
言ってカリーナはコートのポケットから小型の録音機のようなものを取り出す。
たぶん、フィデルにでも頼んでアウルの部屋に設置してもらっていたのだろう。
まったく、彼女の見通しの鋭さには舌を巻く。
するとカリーナはふっと一息つき、ノインを守るように小屋の影から出た。そして薄くなりつつある白煙に――その先にいるであろう魔法使いらに視線を向ける。
「……ノイン。行って。あいつらは私が引き付けておくから」
「お前……」
「ここの真下にある第一保管庫は、ホロ・ファクトの中枢と直接繋がってるらしいの。今なら、さっき言った穴からいけるはずよ。情報では地盤沈下の修繕なんかはまだ手つかずって話だし、たぶん強引に侵入できるわ。それに魔法使いも、ここの保管庫にはもうそこまで数は残ってないはず。事故のせいで、保管されていた個体はほとんど消失してるんだから」
「なるほど。だからここがベストなのか」
「ええ。……ノイン。あの子を取り戻しましょう。レーツェルが、彼女をどうする気かはわからないけど、あの子にとって、それがいいものだとは思わない」
――当然だ。ノインは胸中でそう呟いて、カリーナと同じ方向を見据える。
「けど、カリーナ。いくらお前でもひとりでこの数の相手は――」
だが言葉の途中で、ノインは口をつぐんだ。セルジオが、カリーナの横に並んだのだ。
「俺も残ろう」
その言葉に、カリーナの黒髪が、セルジオのいる位置と逆に向かって揺れる。
「いいの、セルジオ? 結構ハードなリハビリになるけど?」
「そろそろ荒療治が必要だと思ってたんでな」
「……あなたを引き込んだフィデルの直感に感謝しないとね」
カリーナが小さく肩をすくめる。そして彼女は振り向くと、左手に持っていたケースをノインに向かって差し出した。
「入ってるのはナハトレイドよ。いるだけ持って行って」
「へ?」
と、そこでノインは思い出した。このケースはやはり弾薬箱らしいが、これはその中でも特別なもの――月に一度、公安からやってくる弾薬の配給員が持っているものであった。しかも彼女の言葉によればナハトレイドが(それもかなりの量)入っているらしい。
「お前、こんなもんどっから……」
「今さっきイースト二番署からこっそり借りてきたの。ついでに、シルトワーゲンも一台」
「……おい」
そこで突っ込んだのはセルジオ。だがカリーナはお構いなしに、
「うまくごまかしておいてね。主任殿」
と、ちろりと舌を出してウィンクなどしてみせる。
しかしそこでノインは思うところあって、親指でセルジオを示して、言った。
「……こいつ、辞表出してんぞ」
その言葉に、カリーナの笑顔がぴたっと固まった。持っていた弾薬箱がごとりと地面に落ちる。だが次の瞬間には、彼女はセルジオに詰め寄っていた。
「ええっ! なんで!? 辞めた!? どういうこと!?」
「……事情があってな」
「事情? なにそれ!?」
「……いや……」
「どうせくっそ真面目な理由でしょ!? どうすんのよ! これ持ってきちゃったじゃない!」
「……知らん」
「もぅ……こんな時ですらゆーづー効かないわけ……?」
「お前が勝手なことするからだ」
「…………」
こんな状況で突然始まった痴話喧嘩をノインは複雑な表情で見つめる。
だがその時、魔法使いが二体、煙を抜けて突っ込んできた。
「!」
ノインは気づけなかった。魔法使いはセルジオとカリーナに向かって、同時に飛び掛かるように襲ってきている。こちらの発砲は間に合わない。
だが。
ダンッ!
銃声は一つ。飛んだ弾頭は二つ。そして弾はそれぞれ魔法使いの頭――それも正面から脳幹まで貫通したようで、それを受けた魔法使い二体は、同時に地面に落ちて砂塵と化した。
「……ったく、イラついてる時にちょっかい出さないでよね」
「同感だな」
セルジオとカリーナはいつの間にか正面を向いていて、銃を握った腕を魔法使いらに向けていた。そしてそのままの姿勢で、カリーナが口を開く。
「それじゃノイン。リリちゃんのことは任せたわ」
「……けど――」
「大丈夫。ヤバくなったらちゃんと逃げるし。……たとえ嘘でも、死ぬのなんて一度で十分よ」
「…………」
するとノインはカリーナを呼び、振り向いた彼女に借りた車のキーを軽く放って返した。
「じゃ、ここは頼んだ。けど、この弾は全部置いてく。お前らの方がキツそうだからな」
それだけ言って、ノインは踵を返す。
しかしその去り際、セルジオがぽつりと言った。
「もし、先であいつに会ったら、……よろしく頼む」
それは辛うじて聞こえる程度の声だった。
しかしノインは確かに了承の言葉を返して――。
そして、駆け出した。
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