9話 澄んだ空に浮かぶ幻影


「私ね、笠原の家知ってるの。家見張ってたら何か弱み見せそうじゃない?」


 そう言ってドヤ顔を決める亜子。少し下品で大まかな作戦ではあるが、打つ手が無い状態よりはマシである。


「そうだな、いつから始める? 都合のいい日でいいよ」


「じゃあ今からっていうのはどうかな?」


 校門の手前で目的地を変更させられる。彼女が思いのほかやる気満々で安心した。中途半端に協力されたら秘密にするような事を他人にベラベラ話す可能性があるからだ。


「いいよ、今から行こうか。案内お願い」


 彼女は自分の意見を取り入れられてご機嫌だ。鼻歌を歌い出した。歌なんて幼稚園とか小学校で習うようなものしか知らない。でも、明るい曲だというのは伝わってくる。


 僕の住む児童園を過ぎてから10分ほど歩いたところで亜子が足を止めた。


「ここが笠原の家だよ」


 彼女が指差す家は至って普通の2階建住宅。周りには似たような外見の家が建ち並んでいる。表札には笠原と書いてあった。


 庭に車は無く、部屋の電気もついていない。誰も居ない様子だったので敷地内に躊躇無く入り、中を覗くことの出来るありとあらゆる窓を確認する。そして、2階の端っこに笠原の部屋らしきところを見つけた。カーテンの僅かな隙間から見えるのは勉強机である。


「ここ、だよな」


「そうみたいだけど、覗きにくいね」


 その部屋の中は塀を上らないと見えなかった。笠原の両親を含め、今は家に居ないから良いものの、帰って来たらさすがに塀に登って観察するなど出来ない。5時半を知らせる鐘が鳴った。


「あ、やべぇ。そういえば今日、最後の健康診断があったんだった」


 理由は知らないが、僕は小さい頃から定期的に病院へ通っている。そして、今日でその健康診断が最後なのだ。


 それで病院へ6時までに行かなければならない。ここからだとギリギリ間に合うか微妙なところ。


「ごめん、僕帰らないと......。家の方向が同じなら送っていくけど」


「うーん、まだまだ情報欲しいからもう少し残るよ」


 勇気を出して誘ってみたのだが、断られてしまった。彼女のやる気が伝わってくる。


 いじめを受けている人のためにも、何より彼女のために笠原を止めたい。そんなことを思いながら塀から降りた。


「そっか、じゃあ気をつけてね。バイバイ」


「バイバイ」


 手を振って別れを告げる。早歩きで園に帰り必要な物を取って病院へ向かう。亜子の鼻歌を思い出し、無意識のうちに僕も歌っていた。


 病院は長く緩い坂の頂上辺りにある。時間的にも走ってその坂を上にある登らないといけない。


 息を切らしながら病院に到着。時間はギリギリであった。いつものように受付して名前を呼ばれるまで待つ。数分もしないうちに呼ばれ診察室へ入る。


「はいどうぞ」


 僕は看護師さんに勧められた椅子に座った。担当の医者は最近白髪が増えているおじさんだ。


 血圧や心拍数を調べられた後、最近体調を崩してないかだとか、変なところがないかとか聞かれた。


「特に無いです」


「異常は無いね。じゃ、今までお疲れ様」


 全ての診断が終わり、医者から異常無しの結果をもらって児童園へ帰った。


 僕は今日の出来事が嘘だったかのように平穏な空の下にいる。それは園に着いても、自室に入っても一緒であった。

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