1-2
その日の村酒場は大盛況であった。決して広くはない店内に男達がひしめきあい、赤ら顔でエールをあおぐ。給仕の女性が次々と大皿料理を運んで来るが、収穫を得て舞い上がっている男達の食欲は旺盛で、あっという間に皿が空になり、厨房はてんてこまいだ。
狩竜士ライルは 我らが守護神
身の丈ある武器 相棒に
悪竜にひるまず 立ち向かう
その戦果たるや 百戦錬磨
勝てない相手は もういない
あとはどこかの 姫様の
愛を得られりゃ 完成形
英雄としちゃあ 完璧だ
誰かがギターを取り出して、酔った調子っぱずれな英雄歌を披露すると、やんやの歓声が飛び、「よっ、ライル!」などという合いの手まで入る。
皆が皆ほどよく酔っ払い、腹も満たされ、そこかしこで舟をこぐ人間も出て来て、そろそろ宴もお開きかと思われた頃。
からん、と。
ベルの音を鳴らして酒場の扉を開き、店内に入って来る者の気配がしたので、まだ起きている者がそちらを向く。遅れてやって来た誰かか。
「もう酒も料理もねえぞ」
酔っ払いの一人がからかうように声をかけたが、次の瞬間、誰もが目をみはった後、胡乱げな表情をする羽目になった。
宴会に紛れ込んで来たのは、一人。薄桃色の長い髪を高い位置でひとつに結い、この辺りでは珍しい
その人物は、女、しかもどう見繕っても七、八歳だろうという、幼い少女だったのである。襟元に白レースのついた黒いフリルのワンピースが、これまたこの酒場に違和感をもたらしている。
少女はきょろきょろと店内を見渡したかと思うと、口を開いた。
「狩竜士ライルがおるというのは、この店で間違い無いのかえ?」
鈴を転がしたような愛らしい声とは裏腹の、老婆のような物言いに、その場に居合わせる者達の眉間の皺が一層深くなった。
「おい、お嬢ちゃん」
男の一人が、酒臭い息を吐きながら少女の元に歩み寄ってゆく。
「ここは大人達が集まる場所なんだよ。お子様はおうちに帰ってホットミルクを飲んで、ねんねする時間だ」
しかし、男が伸ばした手を、少女はぱしりとつかみ取ったかと思うと、そのままあらぬ方向へひねり、「いででででで!」と男が情け無い悲鳴をあげた。たちまち店内がざわつき、寝落ちしかけていた者も、何事かと目を覚ます。
「わらわが用事があるのは、ライルという男だけだ」
少女が不機嫌そうに言いながらぱっと手を離すと、男は腰が砕けたようにその場にヘたり落ちる。
「……ライルは俺だが」
ライルが無精髭の顔に警戒の色を宿して答えると、少女がついとこちらを向き、値踏みするように遠慮無くじろじろと見つめた後、心底残念そうに嘆息するのが聞こえた。
「何だ、ただの筋肉ダルマにしか見えぬではないか。本当にお主が最強の狩竜士なのか?」
その台詞に、かちん、とライルの中のプライドが傷つく音を立てた気がした。
「一応ここいらでは、竜だけじゃなくて人間相手でも、敵う奴はいないって評判なんだがな」
そうしてゆるりと席を立ち、少女のもとへ歩み寄り、じとりと見下ろす。ライルの上背はこの辺りの標準身長よりは高く、眼前に立たれただけで大抵の相手はその威圧感にひるむものだ。
しかし目の前の少女は、気圧された様子も一切無しに、琥珀の瞳を半眼にして、まるで対等な関係、いや、それどころか自分の方が格上であるかのように見上げて、腰に手を当てふんぞり返る。
「期待外れでないと良いのだがな」
どこまでも尊大な態度に、ライルのプライドにもう一度かこんと固い物がぶつかる。
「年上へのものの言い方を親に教わってないのか?」
少しばかり脅しをかけてやるつもりだった。手首をつかんでひねりあげれば、このどこから来たかわからない不遜な少女も、恐がって下手に出るだろうという打算だった。
しかし。
伸ばした手に、軽い音と共につかみかかる小さい感触が訪れたかと思うと、ぐん、と引っ張られると同時、足元をすくわれた。ライルの巨体が、どすんと床にひっくり返る。誰もが瞬きもできない間の出来事だった。
突然の事に受け身も取れず頭を打って、ぐるぐるとお星様がライルの目の前を旋回している。
「やはり期待外れか?」
星々の
「い、今のは無しだ!」
やっと星が去ったので、ライルは打ちつけた頭をおさえながらも勢い良く跳ね起き、少女の手を振り払って睨み下ろした。
「油断してただけだ! もう一度ちゃんと勝負すれば」
「そうして竜に殺されても、『油断していただけ』と言い訳をして、もう一度機会が得られると思うてか?」
正論で返されて、ぐっと言葉に詰まる。最早酒場から勝利の昂揚は去り、誰もが酔いから醒めていた。しかし。
「やはりわらわ一人で行くしかあらぬか」
少女が再度嘆息して続けた言葉に、ライルだけでなく、その場にいる人間達は、驚きに目を見開く羽目になったのである。曰く。
「『
しん、と完全なる沈黙が酒場に落ちる。
「……お前」
たっぷりと数十秒が過ぎた後、ようよう口を開いたのはライルだった。
「どこへ行くって?」
この界隈で『溶炎』の名を知らぬ狩竜士は、いや、あまねく人間で、知らぬ者はいない。ヨーレの川を越えたエントコ山に巣食うという、果てしなく凶暴な竜の名だ。炎の名の通り溶岩のような赤い体躯を持ち、灼熱の炎を噴くと言う。
古の王の財宝を守っているのだと噂され、今まで数多くの狩竜士が一攫千金を夢見てエントコ山へ旅立ったが、帰って来た者は一人としていない、という不吉ないわく付きである。もっともその中には、本当に『溶炎』にやられただけでなく、恐れをなして逃げ帰って、そのまま人前に顔を出すのがいたたまれず姿を消した者もいるだろうが。
そんな物騒極まりない相手に、今、一瞬でライルをはいつくばらせたとはいえ、こんな幼い娘っ子一人が太刀打ちできるものか。よくよく見れば、武器らしい武器も一切携帯していない。それで『溶炎』に挑むなど、ばかばかしいを通り越して、新手の
だが、琥珀の瞳に宿る決意は本物で、他人の手を借りられなければ本当に自分一人でエントコに乗り込むつもりだという気概が、この少女からは感じられる。
初対面で無様にのされた屈辱は心の中にあるが、この子供をそんな危険な場所に一人でやる訳にはいかない。
「役に立つか立たないかは、実際に剣を抜いて『溶炎』の前に立ってみないと、わかんねえだろ」
鼻の穴をおっぴろげて、ふん、とひとつ鳴らし、ライルは腕組みし精一杯の威厳を保って告げる。少女は目をぱちくりさせ、それから、
「ただの足手まといにならん事を願うばかりだな」
と、腰に手を当て負けず劣らず鷹揚な態度で返して来た。
ばちばちと。目に見えない火花がライルと少女の間でぶつかり合っているようだ。
「ああ、村一番の稼ぎ頭が……」
酒場の誰かが呆然と呟き、誰かが既に死者を送る祈りの聖句をぶつぶつ唱えているのが耳に入り、ライルは深々と溜息をつくのだった。
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