第27話 安否を知る男
「中尉なら軍の施設に勾留されていますよ」
ランチの途中で突然話を切り出したのはルドラウト・キルフだった。
「……え?」
思わず顔を上げ目を見張る。そんなアンビカの様子を微笑まし気に見て、キルフは言葉を継いだ。
「先程から何度かフォークが止まっていました。気になるのは良く分かります。僕なりに調べてみましたが中尉は今のところは無事ですよ」
その言葉にアンビカは焦り混乱した。ランチデートの最中に自分が元許婚の心配をしている事で気を悪くはしていないか。何故誰も知らない軍の内情を知っているのか。「今のところは」というのはどういう事だろうか。それらを質問したいが、一体何から聞けばいいのだろうか。
「すみません、いきなり不躾でしたか」
キルフは困ったように笑みを漏らした。
「いいの。私こそごめんなさい。折角のランチデートなのに……」
両手を膝につきぺこりと素直に頭を下げる。
「ああ、謝らないでください。その、あなたが少しでもリラックスできればと思ってつい」
そう言って両手を差し出してぶんぶんと振る。その姿がなんとなく滑稽で、アンビカは思わずくすりと笑った。その笑顔を見てキルフは満足そうに頷き、フォークを口に運ぶ。
「あなたって不思議な人ね。軍の事まで何故そんなに詳しいの?」
アンビカの素朴な疑問にキルフは顔を寄せ囁くように答える。
「軍も銀行を使いますからね。色々と優遇して普段から恩を売っておくと良いこともあるのですよ」
冗談なのか本当なのか分からずにアンビカはますます混乱した。しかし少なくともさっきまでのリシュアに関する不安な想いは相当軽くなった。とにかく今は無事だということだ。
「その売った恩で勾留を解くことはできる?」
図々しいと知りつつ敢えて聞いてみる。するとキルフの表情が僅かに曇った。どうやらそこまでは望めないらしい。
「勾留されている間はまだいいのです。軍は中尉から何か情報を引き出したいようで、それが終わった時が本当の正念場でしょうね」
実は、とキルフは言葉を継いだ。アンビカはフォークを置き、じっと聞き入った。
***
司祭が薔薇を見つめている。まだ開ききっていない2本の紅い薔薇。リシュアに手渡されて祭壇に捧げた後、ドライフラワーにしておいたものだ。
あの時リシュアが着ていた制服と同じ色。司祭は最後に見た彼の姿を思い出していた。
凛々しい姿に穏やかな笑顔。もう何週間会っていないだろう。会いたい。会って話がしたい。そればかりが司祭の心を埋め尽くしている。
無事を信じている。信じなければ。そう思いつつも不安に押しつぶされそうになる。思わず涙がこぼれ、乾いた薔薇を濡らした。
「泣いている場合じゃないわ」
礼拝堂に凛とした声が響く。声の主はアンビカだ。いつの間にそこにいたのだろう。司祭は慌てて涙を拭う。目の前に立っていたのは乗馬服姿の侯爵令嬢。走ってきたのだろうか、僅かに息を切らしている。
「早くこれを羽織って」
手渡されたのはフードのついた赤いロングコートだ。アンビカのものらしい。
「ここを出るわよ」
短く言って司祭の手を引く。
「出る、と言われましても……」
司祭は言われたとおりにコートを羽織りながら反論した。あの一件の後、寺院の橋の検問所は2つになり監視が強化された。コートに着替えたくらいで通り抜けられるわけがない。
「いいから早く!」
アンビカの叱咤するような声に従い、彼女についていく。するとアンビカは裏庭の果樹園がある方へと司祭を誘った。
「クイン」
アンビカが小さく呼ぶと、木陰から美しい白馬が現れた。
「乗って。早く」
自分がまず白馬にまたがり、司祭に手を貸し自分の前に乗せる。
「ここから下りるのですか?」
司祭が不安げに尋ねたのも無理はない。果樹園の奥には壁が崩れた場所がある。しかしそこが修理されずに放置されているのは、その下が険しい崖になっているからだ。そこから逃げるはずがない。とても人が通れる高さではないのだ。そう思われて放置されているのだった。
「大丈夫、ここから来たんだから行けるわ」
彼女の馬クイン・ドランは美しいだけでなく、馬としての技量が素晴らしい。崖も恐れず、ゆっくりだが確実にこの険しい道を下りていく。
さすがに野生のヤギのようにとは行かないが、その足取りはしっかりと岩場を踏みしめていた。
「一体どこへ行くのですか? もしかしてこのまま離宮に……?」
「あなたはどうなの。ここを出て離宮に行きたいの?」
質問に質問で返され司祭は戸惑い首を横に振る。間もなくクインは崖の下にたどり着いた。
「あの馬鹿な中尉に会いたいんじゃないの?」
「会いたいです。中尉さんはご無事なんですか?」
馬鹿という言葉は聞かなかった事にして、司祭は即答した。しかしアンビカはそれには答えなかった。ただ黙って馬を駆る。
答えないのは無事ではないという事だろうか。なのにこうして急いでどこへ行こうというのだろうか。不安と期待が入り混じり、馬から落ちないようしがみつくと流れていく景色を眺めた。
「前線行きが決まったのよ」
長い沈黙の後、ようやくアンビカが口を開いた。司祭は息をのむ。過酷極まりないという内乱の前線に送られるのはあの一件で自分を庇ったせいだろう。胸がずきりと痛む。
「いいこと? あれはあの馬鹿が勝手にやったことよ。あなたが自分を責める必要はないわ」
慰めようとしてくれているのだろうか。ただ分かるのは彼女が酷く苛立っているということだ。リシュアは貴族の出だったという。親しかったとしたら彼女もまた不安に駆られているのではないだろうか。
「飛ばすわよ。しっかりつかまっていて」
ぐん、とスピードが上がる。一瞬体勢を崩しかけるが、アンビカが支えてくれた。白馬は暗い森の中をひたすら走り続けた。
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