第29話 蘇る記憶

 司祭が出て行ったのを確認して、クラウスはふう、と大きく息を吐いた。


「一体何を思い出したんだ? 司祭様には言えないことなのか?」


 厳しい目で見下ろすリシュアに向き合うように、クラウスはベッドの上で体を起こした。


「言えないよ。……俺はあの夜、司祭さんに襲われたんだな?」


 いきなり核心を突かれて、リシュアの表情は固くなった。


「……何を思い出したんだ?」


 リシュアは容赦なく睨みつける。


「俺はあの夜、林の中を歩いていた。すると、白い霧と、美しい歌声が流れてきたんだ」


 そう話し出したクラウスは夢見るような表情をしていた。


「俺はその歌声にすっかり心を奪われた。引き寄せられるように声のする方に歩いていったら……あの人が立っていたんだ」


 リシュアは警戒しながらその話を聞いていた。余りにも詳細まで記憶しすぎている。司祭の秘密を知られた以上は、何らかの手を打たねばならないだろう。最悪この男の口を塞ぐことも考えなければ。そう考えながらリシュアは話を続けるクラウスを見つめた。


「霧の中に、金色の瞳が光っていた。その瞳に見つめられるともう体の自由が利かなくて……」


 そう話すクラウスは、それでもどこか嬉しそうな表情をしているようにも見えた。


「俺は動けなかった。あの瞳。でもそれ以上に間近で見たあの人の美しさに、動けなかったんだ。俺は天女が舞い降りてきたのかと思ったよ」


 クラウスはうっとりとした表情でそこまで話すと、ふう、と再び息を吐いた。


「それでお前はどうするつもりだ? 他に自分のことは思い出さなかったのか?」


 その言葉に、クラウスは表情を固くした。じっとベッドの上の自分の手を見つめ、ふいに顔を上げると、思いつめたように口を開いた。


「中尉さん。俺、すぐにここを出て行かなくちゃ。俺はここに居ちゃいけないんだ」

「どういう意味だ? 思い出したことを全部話すんだ」


 もどかしそうにリシュアはきつく詰め寄った。


 クラウスは暫く考え込んだ後、ゆっくりと頷いて枕の下から例の美しい装飾の銃を取り出した。


「中尉さんの言うとおり、これは俺がここに持ち込んだ。……俺は、司祭さんを殺すためにここに来たんだよ」


 リシュアは息を呑んだ。予想の範囲内だったとはいえ余りに物騒な話だ。


「何故だ。何故司祭様を狙う?」


 隣室の司祭に聞こえないように声を抑えながらも、リシュアはクラウスの両肩を掴んで大きく揺すった。クラウスは悲しげに目を伏せる。


「ごめん。それがまだ思い出せないんだ。誰かに命令されたってことは覚えてる。この銃で天女を殺せと。そう言われて来たんだ」

「……天女? 司祭様が天女だと、そう言ったのか?」


 リシュアは眉を寄せた。クラウスは小さく頷く。


「この銃は天女を殺すことが出来る特別な銃だ。これを渡されて、俺は偽名を使ってここに入り込み、林の中でチャンスを窺った」


 クラウスはリシュアの手に銃を差し出す。リシュアはそれを奪うように取り上げ、ポケットに仕舞った。


「でも、俺は撃てなかった。司祭さんが、あまりにも綺麗で。俺はもうあの時既にあの人に心を奪われていたんだ。やっぱり俺も中尉さんと同じだったんだな……」


 そう言って、クラウスはリシュアをじっと見上げた。


「俺はもう決して司祭さんを傷つけるようなことはしない。でも、そんな目的を持って侵入してきた以上、もう俺はあの人の傍にはいられない。そんな資格はないんだ」


 ひどく悲しげで寂しげな表情を浮かべ、吐き出すようにクラウスはそう呟いた。

 

 リシュアは、そんなクラウスを少し同情するように見ていたが、彼としてもこの状態を黙って見過ごすわけには行かない。


「お前はここには居ないはずの人間だ。だから今更公式に罪を問うことはできない。だが、その代わりに暫くの間俺の目の届くところで静養して、記憶が戻り次第首謀者や協力者を明かしてもらおう」


 クラウスはしっかりと頷き、リシュアを見上げた。


「このことは司祭さんには……?」


 リシュアは少し考えて、短くため息をついた。


「言えるわけないだろう。司祭様はお前を完全に信じきっている。今更命を狙われてたなんて知ったらどんなに傷つかれるか……」


 その言葉にクラウスはうなだれる。


「そう、だよな」


 そして暫く考え込んだ後、弱々しく微笑んでリシュアに告げた。


「司祭さんには俺から別れを言うよ。何か適当に言い訳を考えてみる。後はまかせてくれないか?」


 リシュアは頷いた。強力なライバルと思われた男の、実にあっけない退場だった。


「いいだろう。その代わりここを出る算段は俺が考える。準備が出来次第すぐに出て行ってもらうからそのつもりでな」


 クラウスは小さく頷いた。


「じゃあ、早いほうがいいね。司祭さんに出て行くことを話すよ。悪いけど今度はあの人と二人きりにしてもらえないか?」


 リシュアは一瞬警戒したが、クラウスの様子を見れば危険がないことはすぐに分かった。


「じゃあ今お呼びしてくる。あの夜のことは話すなよ」

「無論だ」


 クラウスは真剣な顔で頷いた。


***


 リシュアに呼ばれて、司祭はひとりクラウスの部屋に戻ってきた。心配そうな表情でベッドのクラウスに駆け寄り、手を握る。


「大丈夫ですか? 何か思い出しましたか?」


 クラウスは努めて笑顔を作り、頷いた。


「司祭さん。今まで良くしてくれて本当に有難う。俺は行かなきゃ行けないところがあったんだ。そこから逃げてここに隠れていた。でも戻らなくちゃいけない。だから、ここを出て行くよ」


 司祭は息を飲む。突然の別れを切り出されて、衝撃を受けているようだ。


「そんな、急に? また戻ってきて下さいますよね?」


 驚く司祭をなだめるようにクラウスは司祭の髪を撫でる。


「……戻って来られるかは分からない。でも俺がいなくても大丈夫だ。あなたは強い人なんだから」


 司祭は今にも泣き出しそうな表情だ。握った手にぎゅっと力を込める。


「そんな……。私は……」


 その言葉を遮って、クラウスはなだめる様に微笑んだ。


「司祭さん。あなたには中尉さんが付いているじゃないか。どうか中尉さんと仲良くしてくれ。それで俺も安心できる」


 いつしかクラウスも泣きそうな表情になっていた。しかしそれをぐっと堪えて彼は笑顔を作り続けた。

 司祭もそんなクラウスの様子を見て涙をこらえた。


「分かりました。でもいつかまた会えると信じてもいいでしょうか」


 クラウスはゆっくりと頷いた。


「ああ。いつか必ず。だからどうか無事で過ごしてくれ司祭さん」


 クラウスはフィルアニカの顔をじっと見つめた。まるで永遠にその目に焼き付けようとするかのように。

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