第26話 はじまり
夜も更け、宴は和やかに幕を閉じた。皆で手分けして片付けも終えた。キッチンは静かになり、祭りの名残で部屋の華やかな飾りだけが残された。
「さあ、今日は司祭様が特別に部屋を用意してくださったから、各自そこで休むように。巡回は俺に任せて後はゆっくり休むんだぞ」
腰に手を当てて指示するリシュアにビュッカが頭を下げる。
「済みません。中尉にお任せするのは心苦しいのですが……」
「ははっ、気にすんな。お前らが出世してから俺の面倒見てくれれば、それで帳消しさ」
おどけたように言い、部屋に行くようそれぞれに向かって手で合図をする。
「まあ、こんな平和な祭りの日に何か起こることもあるまい。俺も適当に切り上げるから心配するな」
気分良くキッチンを後にする人々にそう声をかけ、リシュアは小さく手を振った。子供たちもほんの少しだがアルコールを口にして眠くなったようだ。二人とも目をこすりながら部屋へと戻っていった。
「司祭様も今日は色々とお疲れ様でした。皆本当に喜んで……。あんなに嬉しそうな顔は初めて見ましたよ。改めて、お誘い下さって有難うございました」
心を込めて礼を述べると、司祭は静かに首を振った。
「こちらこそ、いつもお世話になっていますから。感謝の気持ちです。喜んで頂けたのでしたら私も嬉しいです」
「お疲れになったでしょう? 司祭様ももうお休みにならないと。……今日もご一緒した方がいいですか?」
キッチンの電気を消して司祭と共に廊下を歩く。
「いえ……もう
その司祭の言葉に安心したような、ちょっとがっかりしたような気持ちになる。
「そうですか。では今日は警備室で待機させて頂きます」
司祭は頷き、暇請いをして廊下の向こうに姿を消した。リシュアはふぅ、と息を吐いて見送る。
***
誰もいない警備室は静かだった。グラスに水を汲み、喉を潤す。警備をすることを考えてワインを飲みすぎないようにしたつもりではあったが、疲れも相まって頭がぼんやりしていた。眠気を抑えるためにコーヒーを淹れることにする。
出来上がるまで本を読もうと、
「……はい」
電話に出るや否や、受話器の向こうで事務的な声が早口で何かを告げた。リシュアの目が見開かれ、僅かに瞳が泳いだ。
「はい。承知いたしました。直ちに指示に従います」
それだけ答えて受話器を置いたリシュアの表情は厳しく、暗かった。
「ラニービャ郡で、現地時間本日19時13分に大規模な爆弾テロ事件が起き、先程反乱分子「アドラス」のグレッカ・ラギスが犯行声明を出した。現地は混乱している。旧市街や寺院付近にも略奪や暴動などが起きる可能性がある。直ちに警備を強化し指示を待て」
受話器から聞こえてきたのは、まるで朝礼の挨拶を読み上げるかのように抑揚のない声だった。
声の主はジェスコー・ルイ大佐。宝剣「インファルナス」を証拠品として現場から押収していった例の男。冷徹無比にして緻密。かと思えば時に大胆な行動に出る有能な軍人だ。しかしリシュアはどうにもこの男が苦手だ。もっともリシュアが苦手ではない上官はオクトくらいのものだろうが。
「参ったな……」
口をついて出た言葉はそれだけだった。眠気のせいもあるだろうが、どうにも実感が湧かない。こんな平和な夜に、そんな事件が本当に起きたのだろうか。リシュアの脳裏には、つい数時間前まで皆と楽しんでいたダンスや歌が、まだ鮮烈に残っていた。この心地よい疲れと、耳に残る大佐の言葉がどうしても相容れなかった。
リシュアはTVをつけた。流れているのは平凡な恋愛ドラマだ。有名な若い俳優達が手を繋ぎながら歩いている。やはりこちらの世界も平和そのものだ。夢を見ているのだろうかと思い始めた時、画面の上部に白い文字が静かに点滅した。
『キビル村の寺院で19時13分に大規模な爆弾テロ発生。降星祭に参加中の幼児を含む18人が死亡80名以上が重軽傷。行方不明者は50名か。反乱分子「アドラス」のグレッカ・ラギスが犯行を認める声明を発表』
事件を伝える白い文字が、氷を押し当てるように脳裏に焼きついた。そこで初めてリシュアは我に返った。
「馬鹿な事しやがって……」
リシュアは唇を噛んだ。吐き気と怒りが腹の底から湧き上がってくるような気分に襲われる。いやな汗が額に滲んだ。
ニュースで伝えられたラギスは、過去の内乱の時にも反乱軍の若き指導者の一人として名を馳せた男だった。当時前線で戦っていたリシュアにも馴染みの名だ。最近では、南西部の少数民族をまとめて現政府に対して圧力をかけている、という情報が流れてはいた。
彼が指示したと思われる小規模なテロが起きることはあったが、真相が明らかにならないまま今までうやむやにされてきていた。それに対して軍は圧力を強め、両者が一触即発の状態になっていたのは確かだった。
気分を落ち着かせるためにグラスの水をもう一口飲んでから、リシュアは部下達の眠る部屋を訪ねて静かに起こした。そしてそこでは何も言わずに警備室に集め、黙ってTVを見せた。画面は既に緊急特別番組に切り替わっており、現地の映像がライブで流されていた。
既に鎮火はしたものの、まだ黒い煙を星空に舞い上げる古く大きな寺院。壁は大きく崩れて半壊していた。大小の瓦礫とそれを懸命に掻き分ける人々。運び出される人は呻いているものもあればぴくりとも動かないものもある。そして無造作に布をかけられ並べられた遺体。その中には大人の3分の1程の大きさのものもある。報道で伝えられた幼児のものだろう。
「遂にやりやがったか……」
怒りに満ちた様子でムファが呻く。西部のキビルはムファの故郷にも近い。楽天的なムファも流石に表情に余裕がない。
「政府の強硬な態度が仇となったな。グレッカは狂犬だ。叩けば噛み付くのは分かっていただろうに」
ビュッカは静かに息を吐いた。それを聞いてアルジュが冷ややかな表情で頷く。
「ですね。でもそれを分かっていて誰も止めなかった。つまりこれは我々軍人全員の失態ですよ」
重苦しい空気が部屋を包む。ユニーは黙りこくったまま泣きそうな顔でTVを見つめている。
「ここで今更議論しても仕方ない。気持ちを切り替えて警備にあたれ。中央のやつらは現地の収拾に追われてるから応援は期待できないぞ。ここはルナス正教の拠点だからターゲットにされる可能性もあるし、強奪が及ぶことも有り得る。さっさと酒を抜いて着替えろ」
わざと厳しい口調で指示したのは、彼らの迷いを消すためだ。今は感傷に浸っている時ではない。自分たちの役割は、そういう人々を守り導くことなのだ。リシュアの言葉に、部下達もようやく我に返ったように動き出した。普段呑気に過ごしている彼らだが、基本はしっかりと叩き込まれた軍人だ。有事に際しては一人前以上の働きをする。
「じゃあ演習通りに配置につけ。定時の連絡を怠るなよ。俺は……司祭様にご報告に行ってくる」
気が重い役目だった。あの楽しい祭りの後に、同じく降星祭を祝っていた人々が犠牲になる事件が起きた事など司祭の耳に入れたくはなかった。
皆に聞こえないように小さくため息を漏らして部屋を出ようとした時、それまでずっとTVに釘付けになっていたユニーが悲鳴のような声を上げた。
「中尉……これ見て……」
リシュアが画面を覗き込むと、手ぶれする映像の前面に現地レポーターらしき男が短く叫ぶような声で実況を続けていた。その背後は暗闇で、時々赤や黄色の光が煌めいていた。
「空爆です。今入った情報によりますと、反乱分子「アドラス」が潜む集落に政府軍の報復攻撃が始まったとのことです。後ろに見えるのがその様子です!」
画像も音声も乱れていたが、暗闇に散る光は美しくも絶望的な光景だった。リシュアは声を失って画面を食い入るように見つめた。
「ダメか。とうとうまた始めやがった……」
ムファが苦々しく吐き捨てた通り、これが4年間収束していた激しい内乱の再開の日となった。
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