87. デート終わりまでのお話

「「…ふぅ」」

「…あら郁弥さん。お疲れ?」

「…やあ日結花ちゃん。少し休む?」


お互い考えていることは同じなのか、揃って一つ息を吐いて似たような言葉を投げかけた。

あたしたちってほんと息ぴったり。これはもう夫婦めおとになるしかないわね。


「あなたが疲れているなら休んであげてもいいわ」

「…ふむ、今の日結花ちゃんだと"そこまで疲れてはないけど少し休みたいかなぁ"、ってところだね」

「な、なんでわかったのよ」

「あはは、僕も同じ気分だからだよ」


ニコニコ笑顔がキュート。同じ気分と言いながら全然疲れてなさそうなのがなんとも言えない。

…あたしに合わせて言っているわけではないと思うけど、表情に疲れは見えない。むしろほんの少し気の抜けた感じがすごく良い。…あ、これが疲れか。納得したかも。


「そう。あたしと同じね。ん、たしかに少し休憩したいわ。それで?あなたのことだからどこか考えてくれているんでしょ?」


割と自分でも無茶なこと言ってるとは思う。ナポリ見回るのだってさっき決めたことだし、ここに寄るって考えていたとしても休憩なんて予定にあるはずがない。

別にこれでお休み場所なかったからどうとかじゃないわ。この建物もう一つの棟に繋がっているし、レストランくらいあるわよ。入ってくるときにそれっぽいお料理の看板とかあった気もするし。そっち行けばいいだけのことだもの。


「ふふん、当然。僕を侮ってもらったら困るね」

「だいす…ええと、もしかしなくてもお店考えてある?」


あぶなかったー!郁弥さんの計画に踊らされて"きゃー!大好き!!"って言っちゃうところだった。そこまで考えてくれていたとは…この人なら考えているかなぁくらいには思ってたけど、まさか最初のプランに織り込み済みだったなんて。


「あるよ。最初から目的の一つがそこだったからね。時間は遅くなっちゃったけど…まだ大丈夫?」


ほんのり不安を混ぜて尋ねてくる恋人に胸キュンしつつ、自分の腕時計に目を向ける。時計の針はいつの間にか4まで進んでいて、時刻はだいたい16時ちょうど。


「大丈夫よ。でももう16時なのね」


結構時間経ってて驚いた。


「うん。割と時間経ってるし、この階あと少し見たらもうお店行こうかと思うんだ。今が夏とはいえ、遅くなると困るでしょ?僕も心配だしさ」

「…心配?」


心配するって…なに?されて嬉しいは嬉しいけれど…別に心配されるようなことはなにも……あ。


「ほら、女の子を暗い中帰らせるのはよくないから」


…そのことかと思ったらやっぱりだった。外暗くなってあたし一人で咲見岡から家まで行くのが心配だって話。


「別に…」

「…?」


ほんの少し首を傾げた疑問の表情がキュートで…いや、そうじゃない。今大事なことを思いついたのよ。


「…そ、そんなに心配なら送ってみたらどうかしら?」


…変に詰まったのが悔しいっ!


「日結花ちゃん顔赤くなって」

「ないわよ!」

「そっかー」


ニコニコと幸せそうな笑みにほっこりする。こっちまで頬が緩んでしまいそうになって気を引き締めた。


「送るっていうのは日結花ちゃんの家にだよね?」

「そうよ?」

「うーん、さすがに家まで送るのはね。僕のこと信頼してくれるのは嬉しいけど、女の子の家までついていくほどおばかさんじゃないよ」


くすりと微笑んで、あたしが掴んでいない方の手でなでりなでりと…なんてことは全然してくれない。

それはさておき。


「おばかさんって…言い方可愛いわね」


どこかで誰かが何度か繰り返したことがあるようなやりとり。


「あはは、日結花ちゃんのが移っちゃったのかもしれないね」

「それはそれでありがたいわね。…でも、郁弥さんならあたしの家についてきてくれても全然構わないわよ?」

「ありがたいって言うのはちょっとよくわからないけど、家までって…ちゃんと警戒とかしないと」


郁弥さんこそよくわからないことを言ってくれる。

ありがたいのはそのまんまだし、警戒って…。


「警戒するってなにをするの?あたしがあなたに警戒することなんてある?」


まったく思いつかない。


「…ええっと…ほら、僕が泥棒だったらどうするの?」

「泥棒するの?」

「しないけど…」

「じゃあ大丈夫ね」

「そ、そうじゃなくて…例えば僕が日結花ちゃんの家だ、わーいってはしゃいで周りに自慢したら困るでしょ?」

「あたしが困ることしたいの?」

「したくないけど…」

「そうよね。あなたがそんな人だったらここまで信頼していないもの」

「で、でも僕が狼だったら…」

「あなたが狼だったらもっと前に食べられちゃってるわね」

「う…」


苦し紛れの回答にさくっと返してあげた。

困ったような途方に暮れたとでも言いたそうな、そんな表情を浮かべる。

割と好きな部類の表情よ、それ。


「ええと…」


上手く反論が見つからないからか口を開けて閉じてを数回繰り返す。

やれやれ、仕方のない人。


「いいわ。あなたがそこまで言うなら送ってほしいだなんて言わない。ただ、あたしがあなたにうちまで来てもらっても全然構わないことはわかっておいて?」

「…うん。ありがとう」


露骨にほっとした様子を見せる。

郁弥さんには悪いけど、そもそも駅から家まで帰るとき空立板くうりつばん使ってるから警戒もなにもなかったりするのよね。


「いいのよ。どうせ咲見岡からうちまで飛んで行くし」

「え、飛んでって…魔法使い?」


ぽけっとした顔でまた可愛いことを。


「ふふ、おばかさん。飛ぶって言ったら空立板くらいしかないでしょ?」

「あー…あれかぁ」


納得してくれたみたい。

空立板はサーフボードを大きくした感じの飛行移動車。自転車くらいの速度は出るし、感覚的に上下左右の移動ができるからすごく便利。高いけど。


「空立板って高かった気がするんだけど」

「そうね。だいたい30万くらい?」


宙力素を利用した技術だからそれなりのお値段はする。これでも安くなった方で、飛行車の初期なんて数百万したとか聞いた。


「うーん、それなりにはするよねぇ」

「ええ。これに充電器と電池買うから結構するわ」


正しくは集素器しゅうそき宙器ちゅうきだけど、そんな面倒な単語使わないから充電器と電池でいいのよ。


「そっちの二つは値段ってどうなの?高いよね、たぶん」

「んー…充電器は3万円くらい?電池の方は基本的に使い回しできる充電池みたいなものだし、一個5千円くらいね」

「高いなぁ…空立板だと電池っていくつ使うの?」

「三個よ。下に二つ、後ろに一つね。電池のストックもできるからそれを入れると六個になるわ」


ついでに家に置いておく予備で三つ買ってあるから、あたしが持っている数は九個だったりする。


「合計35万くらいか…小さい自動車だと思えば妥当なのかな」

「ふふ、郁弥さんも買う?持ってないんでしょ?」


なにが便利って使わないときに携帯サイズまで小さくなるのが便利。


「使う機会ないから遠慮しておくよ。家までは歩けばいいからね」

「えー、もったいない。AI組み込まれてるから半自動運転に設定もできるし、防犯だって万全よ?普段は携帯サイズにしておけばいいし、台ごとに番号振られてるから万が一盗まれてもすぐ見つかるわ」

「いや、そんな説明されても買わないからね。日結花ちゃんって空立版にかかわる仕事受けてたの?」

「いえまったく」

「それならそこまでおすすめしなくてもいいと思うんだけど…」

「それもそうね。とりあえず心配は少ししてくれるくらいでいいから、わかった?」

「うん」


帰りが遅くなるとかならないとか、そんな話をしながら歩いて歩いて歩き回っていく。



「ねえ郁弥さん」

「はい」

「枕ってどんなの使ってる?」

「普通の平たいやつだよ。日結花ちゃんは?」

「あたしも同じ」

「ホテル用の枕とか買ってみたいとは思うよね」

「ええ。結局買わないで終わるけど、いつか買うわ」

「うん。感想教えてね」

「なに言ってるの?あなたも買うのよ」

「え?」

「お揃いにするのよ」

「…枕を?」

「枕を」

「…なるほど」

「いいでしょ?」

「まあ…日結花ちゃんがしたいなら」


「日結花ちゃん」

「なに?」

「…ううん。なんでもない」

「なによもう。ただお互いの名前を呼ぶだけの恋人遊びしたかったならそう言いなさいよ」

「え…そう、うん。そうだね」

「…そこで頷かれるとあたしが困るんだけど」

「ええと…こほん、日結花ちゃん」

「ふふ、なぁに?」

「よ、呼んでみただけ」

「…いいわね。こういうのも」


「最近のソフトクリームは種類が増えて嬉しいわ」

「だねー。このほうじ茶だって見るようになったの最近になってからだし」

「ん、さすがあなたが選んだ茶カフェ」

「甘いもの好きならこういうのもいいと思ったんだ。一緒に来られてよかったよ」

「連れてきてくれてありがと。今度旅行先でもソフトクリームとか食べたいわね」

「…旅行?」

「あら、話したじゃない。いつか旅行にも行くわよって」

「それ、ごめんなさいしなかった?」

「あたしの辞書に不可能という文字はないのよ」

「その使い方絶対間違ってるから」

「お黙り!」

「むぐ…」

「はい感想は?」

「…甘いです」



時には緩く、時には甘く。二人の甘やかな時間は過ぎていく。

気づけば日も下がり始め、時刻は既に17時を回っている。


「ふぅ。…外も少しは涼しくなってきたね」

「ええ」


お店を見回ってお茶を終えて、建物から出れば外の暑さも和らいでいた。


「結局ほぼウインドウショッピングで終わっちゃったなぁ」

「あら、サングラス買ったじゃない」

「それは、うん。つい勢いで。あ、日結花ちゃんもほしか」

「いらないわ」

「…そうだよねぇ」


ぽつぽつ話しながら歩く。もともと駅前にいただけあって、ほんの数分も歩けば駅に到着した。


「……」

「……」


なんとなく壁際に寄って二人で人の波を眺める。もう少しだけ一緒にいたい気持ちがあるのと、それと…。


「……っ」


お隣で変に緊張してそわそわしている恋人がいるから。

茶カフェ入ったくらいから服の裾を掴む照れくさいやり取りはしていないし、もちろん手を繋いでいるとかもない。あたしから何かアクションを取ったことがないと考えると、問題は郁弥さん側。

何を迷っているかは知らないけれど、この感じはきっと彼自身のこと。話すか話すまいか迷っているのが伝わってくる。


「…日結花ちゃん」

「ん」


遠慮がちな声に頷くだけで返す。

じれったいけど、ここは我慢。あたしから聞き出すんじゃなくて、郁弥さんから話してくれることに意味があるのよ。ようやく一つ進めそうなんだから、今はほんの少しでも変わってきたあたしたち自身を信じるわ。


「ええと…」


…ほんとじれったいわね。

悩んでる表情も困りがちに下がった眉も揺れる瞳も全部キュートで好きだけど、じれったいものはじれったい。ぱぱっと話して楽になっちゃえばいいのに。


「その…相談があるんだ」

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