83. 嬉し恥ずかしいやり取り
「…むぅ」
「…なんか買いたいものなかったね」
だいたい回り終えて、"これ!"といったものはなかった。
買ってみたいものはあっても、それがお揃いに適しているかというとどうにも微妙で。なかなか良い物がなくって困った。
「…んー…」
お化粧アイテムにハンドクリーム、ボディクリーム……季節もの…季節もの。
「…あ」
一周ぐるりと回って戻ってきたのは夏ものコーナー。置いてあるのは定番のUVカットアイテム。つまるところの日焼け止め。
「どうかした…って日焼け止め?」
「そうだけど…そうじゃないわ」
UVジェルとかUVリップとかUVフェイスパウダーとか、色々あるけどそうじゃないのよ。あたしが見てるのは別の面。同じ棚の別面なのよ。
「ん?そっちは…へぇー、珍しいね」
「でしょ?あたしも初めて見たわ。特にこっちの」
軽くしゃがんで手に取るのは一本のチューブ。
「これ。どう?結構使ってる?」
「ハンドクリームはあんまり使わないかな。特に夏なんて使ったことないよ」
そう。郁弥さんが今言った通り、あたしが手に取ったのはハンドクリーム。上の棚に置いてあったのがミストウォーターで、下の棚に置いてあったのがハンドクリーム。このハンドクリーム、当然夏用の棚にあるわけで普通とは違う。
「そうよねー。でもまさか冷たいハンドクリームだなんて…」
名前はフロワハンドクリーム。冷感グッズもここまできたか、といった感じ。
「…郁弥さん郁弥さん」
「はい」
「お揃いのは消耗品でもいい?」
普通お揃いといえば形になるもの。ペアリングとかペアアクセとか。…ペアリングとかあったらすぐ買ったのに…。
「いいよ。そのハンドクリーム?」
「ええ。どう?これでいい?」
指で挟んだハンドクリームをひらひらと振る。
「それでいいよ。そのハンドクリームって種類はあったりする?」
「あるわよ。片方売り切れてるけど」
片方がリルシャで、もう片方がミレル。売り切れている方は当然リルシャなので、あたしが持っているのはミレルのハンドクリーム。
「そっか。香りとか違う…みたいだね」
「うん」
リルシャがオレンジでミレルがアップル。どっちもかなり売れていて、ミレルの方も残り5つくらいしか置いていない。
ちなみに、ミレルは『5人魚シリーズ』と呼ばれるRIMINEY のアニメーションに出てくるキャラクターの一人。タイトルが『5人魚と海の宝』みたいになっているから『5人魚シリーズ』。5人全員が海底国のお姫様だから女の子たちにも人気がある作品。
あたしは出てないけれど、リルシャとコラボしたことならあるわ。なんといってもリルシャは冒険がメインのお話だもの。
「日結花ちゃん。どうせならミストウォーターも買う?」
「ん?いいけど…」
まるであたしとの共用で使おうとするような言い方。
そう、いわば夫婦。
「…いいわよ、あなた。買いましょう?」
「…ニュアンスおかしいけど聞かないからね。どれにする?」
さらりと流されてミストウォーターを手で示す。棚にはひんやりする成分入りのフレグランスアイテムが並び、各種香りが書かれていた。
5人魚それぞれのミストウォーターがあるのね。新発売でリルシャとフィエラ――森の妖精姫として有名――があるなら…選ぶのは当然リルシャよ。森の香りなフィエラじゃなくてフルーツミックスのリルシャ。もちろん郁弥さんもリルシャにするから。
「リルシャ二つにするわ」
「ふふ、そうだよね」
くすりと笑って二つのミストウォーターを手に取った夫。妻たるあたしはフロワハンドクリームをもう一つ掴んだ。
「他に買いたいものはある?」
「ないわ。あなたこそどうなの?」
「僕も特に。じゃあ買っちゃおうか」
「ん」
軽く頷いてレジに向かう。適当にあれこれ話しながらお会計を済ませ、RIMINEYストアーを出た。
「はい日結花ちゃんのぶん」
「あなた、ありがとう」
郁弥さんから袋を一つ渡されてお礼を言う。
支払いはダーリンがしてくれたのよ。さっすがあたしの王子様。素敵っ!
「…いやあの、日結花ちゃん」
「なぁに?」
2000円程度の支払いにあたしがどうこう言うことでもなく、
これが1万円とかだったら物申していたところだけど、今は別になにもしないわ。それに、今のあたしは妻だもの。
「…わざとらしく可愛い笑顔しても僕には効かないよ。可愛いけど」
「か、可愛い可愛い言わないでもらえるかしら?」
普通に照れるからやめて。最近可愛いとか言われて…たけど、いくら言われても照れるものは照れるのよ。
「それは無理だ。日結花ちゃんが可愛いのは事実だからね。それより、僕を呼ぶときの言い方についてだよ」
「あたしたちが夫婦になっている話ね、わかるわ」
「予想の斜め上なのきたなぁ…夫婦ってどういうこと?いや、言いたいことはわかるけどどうしてそうなったの?」
「どうして…?」
どうしてかしら。…深い意味なんてないわね。なんとなくよ。なんとなく。
「なんとなく?」
「…うん。まあ、それならそれでいいや」
微妙な反応。個人的には苦笑いも好きだけど…。
「ん、なに?嫌だった?」
「え?ううん…嫌なわけじゃないんだ。ただ、僕は普段通りの日結花ちゃんの方が好きかなって」
「…」
困った顔で笑う郁弥さんに言葉が出なかった。
「…そういう…そういうこと簡単に言わないの。…ばか」
あたしが大好きな表情で、あたしのこと大好きだなんて言わないで。好きな気持ち抑えられなくなっちゃうから。
「ごめんね。日結花ちゃんが相手だとつい言葉が漏れちゃうんだよ…」
「…いいわよ、謝らないで。あたしも嫌なわけじゃないから…。少し言葉を選んでくれればいいだけ。郁弥さんだってあたしから好き好き言われたら困るでしょ?」
二人っきりで雰囲気あるときならいくらでも言ってほしいけど、今みたいに普通のときに言われると上手く返せなくなっちゃう。
「…困る。すごく困る。ものすごく困った」
「ええ。そうなの。困るのよ」
彼氏さんの反応だけでわかった。
言葉にしなくても頬赤くしてくれたからすぐわかったわ。
「…とりあえず外行こうか」
「いいわよ」
ひとまずはお互いに気持ちを落ち着かせつつ、次の目的地へ進むことにした、
「あっつ…」
「…やー暑いね」
外に出た途端これよ。単純な気温の高さに加えて強烈な日差し。こんなのすぐ熱中症になっちゃうわ。助けて郁弥さん。
「…うー、次の目的地はどこなの?」
「ええと、ちょっと待ってね。…まだ14時半くらいか。んー…日結花ちゃん食べ物食べられる?」
食事?…微妙ね。食べられないこともないけど、暑くてあんまり食欲ない。
「…その感じだと食べたくなさそうだね。…大丈夫?気分悪くはない?」
少し自分の胃と相談していただけなのに、心配そうな顔された。
こう、なんていうのかしら…今のきゅんときた。心配されるというのも…いいものね。
「平気。気分は悪くないわ。なんなら確かめてみる?熱も全然ないわよ?」
「そうだね」
「ええ、どう…っ」
おでこに手のひらを当てられてびくっとした。躊躇いとかそういうの微塵もなしに、すっと手のひらを当てられた。
顔が近いとかそういうのじゃないのに、無性に恥ずかしい。
「…わかんないな。外が暑いから触ってもイマイチ…ちょっと汗ばんでるね。健康そうでなにより」
「あせっ!?」
な、なんてことを言ってくれるのかしらねこの人は!!
「あはは、さっきのお返しだよ」
あたしの汗が付着した手をタオルで拭い、にこやかにお返しだとかなんとかよくわからないことを言う。
悔しいけど悪戯っぽい笑みが心にきゅんきゅんきた。ずるい。
「お、お返しってもうっ。あたしはちゃんとタオルで拭いてあげたじゃない!素手でなんて…ずるいわ」
あたしだって手でできるなら頬に手を添えてちゅー…はしてもらいたい方ね。とにかく、素手でできるなら素手でしたのよ。
「ずるいって、僕はついででやり返しただけなんだけど…」
「ついでだろうがなんだろうがずるいものはずるいわ。…ええと、その、汚くなかった?」
苦笑する彼に尋ねる。
触られてしまったものは仕方ない。そこについては諦めて、今はそっちの方が大事だったりする。恋する乙女的に超重要。
「うん?…あぁ、汗のこと?はは、冗談。日結花ちゃんの汗が汚いわけないじゃない」
「…そ、そう」
一瞬間ができちゃった。郁弥さんの言い方で本気で言ってるってわかったから、嬉しいやら恥ずかしいやら呆れやらで戸惑っちゃったのよ。だって、この人あたしの汗が綺麗って本気で思ってるんだもの。別に汚いわけじゃないけど、普通汗って綺麗なものじゃないでしょ?それを郁弥さんは…たぶん……いえ、考えるのはやめましょ。余計恥ずかしくなるわ。
「そ、それで?次はどこに行くの?」
「…駅近くと駅遠くどっちがいい?」
「む…」
…正直どっちでも。
「参考までにどっちの方がここから近い?」
「うーん。どっちも変わらないかも。駅遠くの場所から駅近くまで徒歩1分くらいだし」
「1分って…」
それもう同じ場所じゃない。
「…どっちでもいいわよ。郁弥さんが行きたい方でいいわ」
「あはは、じゃあ遠い方にするね」
ツンと言い返したら爽やかに返された。あたしの素っ気なさを優しく包んでハグしてくれたような父性…いえ、母性を感じるわ。
「日結花ちゃん、もう着くけど服とか雑貨とか見たい?」
「別に見たいわけじゃないけれど、あなたが見たいと言うなら付き合ってあげてもいいわ」
「あ、そう?ふふ、それじゃあ色々見て回ろうか」
…ちょっと真面目に感情抑える作戦やってみよう。甘える方は割と普通にこなせている気がするから、あとは引いて落とす方だけ。
「はい到着。次はここに来る予定でした。ちなみに駅近くは駅ビルのことだからね」
「ふーん…それはあとでいいわ。ほら、入るわよ」
「うん」
歩き着いたのは割と新しい小綺麗な建物。二つの建物が上の階で渡り廊下のように繋がっていて、駅前にあるからか入っていく人も多い。
「…ふぅ、郁弥さん」
「……」
恋人からの返事がなかったので後ろを振り返る。いつもならすぐ近く(隣か後ろか)にいるはずなのにどこにもいなくて、人二人ぶんくらい挟んだ位置に姿が見えた。
「日結花ちゃ…ええと、不機嫌?」
「…別に」
ちょっと離れたのが嫌だったとか、名前呼んだのに反応ないのが嫌だったとか、そんなことないし。
「と、とりあえず壁際寄ろうか」
「ええ」
困りがちに言う彼に従って入口横まで歩く。
「その、何かあった?」
「……」
ただまっすぐに聞いてくる瞳が眩しい。まるで…まるであたしが駄々をこねる子供にでもなった気分。
……はぁ。あたしもまだまだね。せめてちゃんと話しておかなくちゃ。言葉にしないとわからないわよね、あたしが一番よく分かってるわ。
「ごめんなさい、取り乱したわ。そんな大したことじゃないのよ。ただあなたを呼んだときに隣にいてくれなかったから驚いただけなの」
「…そっか」
一息に伝えると、小さく呟いて柔らかい笑みを浮かべた。
「それはごめんね。ここが何階か見ていたんだ。ちゃんと声かければよかったね」
「ううん、いいの。これからはあたしも側にいてくれるか確認するし、ちゃんと離れないようにもするから」
そのままきゅっと、隣に立つあたしの"良い人"の手を…。
「……」
手を掴め…ず、
「こ、これで離れないわ…」
「…なんか照れくさいね」
薄っすら頬を染める郁弥さんから目をそらし、隣から前に視線を移す。
「ばか…あたしの方が恥ずかしいわよ。…もう、ほら行くわよ」
「はは、うん。行こう。ここ三階だからまずはここからだね」
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