43. 加賀温泉駅とゆのくにの森

加賀温泉郷。

それは、主に小松市の粟津あわづ温泉、加賀市の片山津かたやまづ温泉、山代やましろ温泉、山中やまなか温泉の4つの温泉を表す名称として知られ、加賀四湯とも呼ばれている。


「――らしいけど、知宵知ってた?」

「ええ。住んでいるところのことくらい私も知っていたわ。私の家があるのは山中温泉よ」


高凪さんからのカンペによると温泉の種類が4つ。そして知宵の家は山中温泉。これからの予定はというと、まず加賀温泉駅に行くらしい。というか、もう着いてる。むしろ今収録中だし。


「ふーん?あたしたちってこのあと"ゆのくにの森"?に行くのよね?」

「ええ。私も行ったことないところね。場所は…日結花、説明してちょうだい」

「おっけー。ええっと、史藤さんからパンフレットもらったんですけど、今いる加賀温泉駅を中心にして、右上が片山津温泉、真下に山代温泉、左下に山中温泉、これから行く"ゆのくにの森"が右下です。ちなみに山中温泉と"ゆのくにの森"は正反対です」

「…これ見ると、どうしてそっちを選んだのか謎でしかないわね。私は"月うさぎの里"の方がよかったわ」

「あーっと、"月うさぎの里"にはあたしたち行きませんから、これ聞いてる人は自分で調べるか行くかしてくださいね」

「…本当に行かないのかしら」

「行かないって。あんたどれだけうさぎに会いたいのよ」


そっちの方が謎すぎるわ。たしかにちょっとくらい癒されたいけど、そんな名残惜しそうにするほどじゃないでしょ。


「話戻すけど、選んだ理由は、たぶんいろんな伝統工芸があるからよ」

「そういえば伝統工芸がどうとか書いてあったわね」

「うん。温泉地それぞれじゃなくて、一カ所行くだけでまとめて見られるからってことだと思う」

「…なるほど。だから今駅にいるのかしら」

「そそ。ええっと、実はこの加賀温泉駅、大きいお土産屋さんがあるんです」

「私たちがいるのは加賀温泉駅前広場と書かれた40周年記念碑しゅうねんきねんひの前ですが、ここからすぐ見えるところにあります…少し懐かしくなってきたわ」

「…まだ泣いちゃだめよ?」

「な、泣かないわよ!」

「そう?ならいいわ。それよりほら、お土産屋さん行くんでしょ?」


ふ、っと目を細めて懐かしむ知宵と話を続ける。そのまま足を進めようとしたところで高凪さんからストップが入った。


「…間が…ので……ないで…です」

「ん?…なんですか?知宵、聞こえた?」

「いえ…腕のサインは巻きで、だと思うけれど」


収録の方に入らないよう小さな声で言われたから全然聞こえなかった。巻きなら…もうちょっと急いだ方がいいかも。


「時間ないのでここまでです」


今度はしっかり聞こえた。ここまでって…つまり終わり?


「巻きどころか終わりじゃない…」

「そうみたいね…アビオシティ加賀に入らないなんてもったいないわ」

「え、なにそれ…もしかしてあの建物?」

「そうよ。お土産購入やお茶ができるところなのだけれど…」

「あたしたちが見る時間くらいあるでしょ。収録的にここでそんな時間取れないってことよね?たぶん」

「…そう、ね。じゃあ締めましょう?」

「うん。それじゃ映像ちょこっとありますので、そっちを見てくださると雰囲気とかわかると思います」

「次は"ゆのくにの森"です。以上加賀温泉駅前広場からでした」


予想以上に短時間の収録だった。何も見ることはなく、ほんとにこれからのことと場所の説明だけして終わった。

…これ、収録で入れる必要あったのかしら。


「はいオッケーです。あんまり時間もないので見るなら急いで行きましょう」

「…こっちでも時間なかったかー」

「いいわよそれくらい。見られるなら私はそれでいいわ。買いたいものがあるわけでもないもの」


石川まで来ている目的は、お仕事っていうのはもちろん知宵の故郷巡りも大きな目的の一つ。今回のDJCDはあたしより知宵メインのお話なのよ。


「知宵がそれでいいならいいわ」


だから、あたしは知宵の嬉しそうな顔が見られて十分。きっとリスナーのみんなもこんな知宵を見られるだけで十分なんじゃないかと思う。


「…お店に入ったのはいいけど、なにこの"にゃんにゃん万頭まんじゅう"って」

「あぁ…懐かしいわね本当に…」


お店、というかちょっとしたデパートの様相をした建物に入る。中はいきなりお土産屋さんで、お菓子からお酒まで複数の店舗が入っているみたい。その中で見つけたのが、"娘娘万頭"。そんな可愛らしい名前のお饅頭を見て知宵は頬を緩ませた。


「ほら日結花。看板に"山中石川屋"と書かれているでしょう?私の家が山中温泉にあるとはさっき話したわね。うちから歩いて20分程度だったかしら。それくらいの距離にあるのよ、このお店」

「え、ほんと?じゃあ食べたことある?このにゃんにゃん饅頭」

「あるわ…というか日結花、にゃんにゃんじゃなくて娘娘にゃあにゃあよ」

「知宵。今の可愛かったからもう一回」


知宵がにゃんにゃんにゃあにゃあ言ってるなんてレアどころじゃない。これリスナーが聞けないなんてもったいないにもほどがある。


「い、嫌よ!そんな話じゃなかったでしょうっ。このお饅頭がにゃあにゃあ饅頭なのよ。ほら、これ読みなさい」

「はいはーい。ええっとー…加賀言葉のご案内?」


ニャアニャが娘さんで、アネサマがおかみさん。アンニャサマが中年女子で…オッカが母。ゴッツアマが主人。アンニャサマが奥様、と…。


「…ツッコミどころしかないんだけど」

「そうかしら?いえ、そうね…」


知宵の方も難しい顔をして加賀言葉について頭を悩ませている。

…一つずつ話していきましょ。


「ええと、まず知宵はこれ知ってた?」

「…いくつかは、ね。私自身が使ったことはないわ」

「そうなんだ…で、どうしてアンニャサマが二つあるの?二度見どころか何度も見直しちゃったじゃないの」


アンニャサマとやらは二つある。奥様と中年女子の意味で、被っている理由がわからなさすぎる。似てない…こともない。奥様が中年女子っていうのはありえなくないわ。でも日本語的にまったく違うし…。


「知らないわ。だいたいアンニャサマなんて私も初めて聞いたわよ」

「はぁ…そう、それならいいわ。正直どうでもいいし…。他にもゴッツアマとかもう笑いを誘ってるとしか思えない名前もあるけど無視して一つだけ…なんでこれ全部カタカナなの?」


これが一番わからない。どう考えても"にゃあにゃ"とかひらがなの方が可愛い。ニャアニャって書くと全然可愛くない。不思議だけど、ひらがなの方が可愛いのはよくあることなのよ。


「それこそ私に聞かないで。お店の方針でしょう?きっと」

「…センスな…ああいえ、なんでもないわ」

「あなた…いえ、何も言わないわ。ほらもう行くわよ」


お互い微妙な顔でお店を後にした。失言をこぼしそうになった。あぶないあぶない。さすがにお店の前でそんなこと言うのは失礼にもほどがある。

いくら商品を置いてあるだけの場所だとしてもマナー違反よね。"あおさき"感覚だと気を遣わなくなっちゃうから注意しないと。


「そういえば、これ収録してないけどちょっともったいなくない?色々と」

「それは私も思っていたところよ。せっかく"娘娘にゃあにゃあ万頭"を見つけたのに…リスナーにも紹介したかったわね…」

「あ、それは大丈夫ですよ。僕が録っていたので」

「「……はぁ」」

「な、なんですかそのため息は」


いや…だって…もう文句を言う気にもならない。


「…これだから"あおさき"は」

「…知っていますか?"あおさき"のリスナーから突然の収録が何と言われているか」

「い、いえ…知りませんけど」

「盗聴コーナーです」


我がラジオながらひどすぎるネーミングだと思う。盗聴ラジオって…もう最低。間違ってないからこそ言い返せないし、何も言えない。あたしと知宵はなんにも悪くないのに…。


「う、うそで…」

「ちなみに高凪さんは盗聴者と呼ばれています」

「そ、そんな…僕が…盗聴者なんて…ひどい」


落ち込む高凪さんに史藤さんと篠原さんが適度なフォローをしている。しょんぼりする姿を見て気分はかなり持ち直した。


「さて知宵。そろそろ車戻る?」

「ええ。私も満足したわ。行きましょう」



時刻は15時前。"ゆのくにの森"は案外近かった。時間でいうと15分くらい。


「知宵も来たことないのよね?ここ」

「ええ。初めてきたわ」


声に張りと元気がある。知宵の方も結構テンション高いみたい。

あたしもそこそこ楽しみだったから、早く色々見て回りたいわ。


「皆さん入場券もらってきましたよ、どうぞ」


階段を上った場所で話していたあたしたちに史藤さんが入場券を渡してくれる。みんなでお礼を言いつつ、入場券もとい入村券とパンフレットに目を通す。軽く見ただけでも回る場所は多い。

これ、時間足りるの?だってもう15時でしょ?知宵の家に18時には着く予定なんだから……いえ、大丈夫よ。さっき見た地図で加賀温泉駅からここまで15分。だいたい山中温泉まで二倍くらいの距離だったはずだわ。それなら30分で行けるし…ここを17時過ぎに出ればなんとか。


「日結花?どうかした?」

「え、ううん?なんでもない。ちょっとぼーっとしてただけ」

「ならいいけれど…」

「うん。それで、知宵は回りたいとこあった?」


あたしが考えても仕方ないわ。高凪さんのことだから時間のことは考えてるはずよ。それより今はどこに行くか考えないと。あたしも行ってみたいところいくつかあるもの。


「そうね…この辺りを一通り見たいわ」


パンフに書かれている地図を見て、真ん中左辺り。建物としてはお菓子の館から金箔の館まで並んでいる通りを指でなぞる。


「へー、じゃあそっち向かって行きましょ」

「いいの?日結花の見たいところは?」

「んー…あたしは方丈庵ほうじょうあんに行きたいくらいだから後でいいわ」

「方丈庵って…お茶かしら?」


茶の湯の館って書かれてるし、そのはず。パンフには載ってないのよね。


「ええ、たぶん」

「寄るなら後になるかしら」


お茶をするとかしないとか話をしていたら、史藤さんたちの元まで追いついた。さっきまで見ていたパンフの地図を大きくした地図看板が置いてあって、その前で三人が待っていた。篠原さんはこっちを見て手招きしている。高凪さんと史藤さんは何か話をしていて…収録の話か、これからの予定の話か、なんにせよ真面目な話だとは思う。


「あぁ、青美ちゃん咲澄ちゃん。収録始めたいんですけど準備はできていますか?」

「あたしは大丈夫です」

「私もできています」

「わかりました。始める前にルートの確認だけしましょうか」


高凪さんの話だと最初に近くの伝統美術の館を見て、そこから庭園と知宵が見たがっていた通りを抜けてずっと奥まで。和紙のところまで見たらUターンして元の道を戻りつつ見てなかったところを見ていく流れ。

あたしの要望も入れてもらって方丈庵も寄れるみたい。よかった。


「それじゃあいきますよー。3、2……」


今日何度見たかわからないキューで始まった。


「先ほど行くと言っていた"ゆのくにの森"にやってきました」

「まだ入ったばかりだけれど、景色としては瓦屋根の建物が多いです。"ゆのくにの森"そのものが加賀伝統工芸村となっているので、ここでは加賀の工芸についてお話ができると思います」

「それじゃ、さっそく行くわよ」

「ええ」


軽い紹介だけして歩き始める。周囲は緑と古風な建物。道沿いに木の柵と水路が通っていて、作りそのものから昔の雰囲気を感じる。


「水路って、これ結構風情あるわね」

「近代的な部分が見当たらないのは良い点だわ」

「わかる。暖簾のれんとかほんと景色に合ってる…」


地図通りほんの少し歩いただけで伝統美術の館に着いた。


「こちら側に食事場所があるみたいね。それで反対側が伝統美術の館?」

「たぶん。とりあえず順に見ていって、まず伝統美術の館です。あたしたちも適度に感想話していきますけど、詳しく知りたい人は自分で調べてみて下さいねー」

「入口は…これなんと言うのだったかしら?横開きの障子扉?」

「え、知らないけど。いいんじゃない?それで」


"伝統美術の館"と銘打たれた看板が両開きの扉横にかかっている。右側には営業時間とか紹介とかそういうのが。とりあえず営業中なようで、さっさと扉を開けて中へ入った。


「ごめんくださーい」

「あなた…それ言う必要ある?」

「んー?まあなんとなく?」


建物の中は玄関から見晴らしがよくて、奥の方まで目が届く。扉からすぐ掘りごたつにでもなりそうな赤茶色のテーブルがあって、"どうぞご自由にお入りください"と紙が立ててある。

玄関以外の床は一段高くなっていて、艶のある木と畳が基本。さすがに日本家屋。奥ゆかしい。


「それより知宵。どう?感想とか」

「いきなりね…色々言えることはあるけれど、建物入ってすぐの高そうな机が目についたわ」

「あたしも。これ真ん中に植物の鉢置いてあるけど…知宵触ってみてよ」

「…"さわらないでね"って書いてあるじゃない。馬鹿なこと言っていないで靴脱ぐわよ」


周囲に見えたものの話をしながら歩く。


「おー、縁側だ」

「できれば後ろの扉も開いてもらいたいところね」

「まあ…それは仕方ないわ」


外へのドアも開いてないし、あたしたちがどうこう言えることじゃない。

ちょっともったいないけどね。縁側といえば足投げ出してのんびりするイメージだから。


「ていうかあれね…」

「どうかした?」

「あたしたち美術がどうとかあんまり興味ないからさ…」

「あぁ…感想を言っても面白くならないわね」


そんな微妙な会話をしつつ、早々と伝統美術の館を後にした。

残念ながら、あたしたちに美術を理解する高尚な知識と心はなかったらしい…悲しいわ。

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