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水が引かれると、町は急速に大きくなっていった。
カレンは、以前とは全く様子の異なってしまった、自分が生まれ育ってきた地を歩いていた。いや、既にそれは大地ではなくなってきており、低かった家に上が出来て人々は少し高い所に住むようにもなってきていた。今も上を見ると、石造りの家の上の窓から人が道を見下ろしているのが目に止まる。
何処から噂が広まったのか、この町に来て住み着く者が多くなった。元々いた人々や南から来た人々は協力して水路や色々なものを造り、今は西からの馬車の為にと石畳を敷いているが、移住者はそれに参加させられることはなかった。今までもっと西の方で苦労してきただろうからと皆が気を遣い、ゆっくりするように仕向けられているらしい。そして、幾日か経つといつの間にか皆が参加しているのだ。町の人々の気質に圧されるのだろうか
彼女は、大勢の人々が協力して敷いたその石畳の上を一人歩き続ける。
家のすぐ脇には溝が掘られ、そこを引いてきた水が涼しげな音を立てて流れている。大勢のドラゴン使いとドラゴン達がこの町を訪れ、これらを造り上げる作業を手伝ってくれたおかげで、前よりも少々生活が楽になっていた。人々は皆、真面目で面倒見のよい彼らに感謝していた。いよいよこの町にも何か名前が欲しいと思った人々は、何か彼らにちなんだ名前が欲しいと皆言った。
それを色々と考えているうちにも、大勢の手で町はより清潔に整備されていった。石を風術士が切り出し、ドラゴン達も加わってそれらを運び、人の手でそれを積み上げ、水術士が水路に引いてきた水を誘導する。土術士は土壌を固め、火術士は折れたつるはしなどを熱して直すのを手伝った。光術士は、水術士や一部の土術士とともに怪我人の治療に当たった。セスのような闇術士は相変わらず役に立つ機会がないとぼやいていた。当然、手を動かしながらだが。
「本当にね、闇使いって何の為にいるかわかんないってこういう時に思うんだよね」
アンデリーの次男坊は水路の壁の石を積み上げながら溜め息をつくのだ。
「何も使えない俺らからしたら、贅沢な悩みだよな」
手伝いに来ていたクラウスが言うと、通りすがりのイスティルが茶々を入れる。
「何言ってんだ、あんたらにはドラゴンがいるじゃないか。本当の何もなしは他でもないこの俺だ」
そう言いながら笑うので、皆も吊られてつい笑ってしまうのだ。傍でそれを聞いていた中年の恰幅のいい男も初老の筋骨たくましい男も一斉に笑う。そして、その笑い声に誘われて人がわらわらと集まってくる。隙間に小さめの石を詰める仕事を親から与えられた小さな子供や、軽食を運んでいるエミリアなんかがよく立ち止まって楽しそうに微笑んでいた。
「そうだ、知ってるか? ずっと南東の方角に行ったら、何だか人間みたいな動物みたいな生き物がいるんだってよ」
「何だい、それ」
また別のドラゴン使いの若者が石を積み上げながら話をしているのが聞こえてくる。カレンは人間みたいな動物みたいな生き物のことが気になって、そちらの方を向いた。同じように話に乗せられた何人かが立ち止まる。
「ずっと前にうちの姉貴が遠乗りしたんだ。したら、いつの間にかそんな所まで行っちまったんだと! そこで……何か、人の頭に狼の耳が生えて同じような尻尾が生えてるのを見たらしい。ハインツはそこまで遠乗りしたことあるか?」
「へえ、そりゃないね」
ハインツは何だかなあ、と言ってこう付け足した。
「テレノスみたいなことをするなあ、お前の姉のマリアは」
テレノスが遠乗りをしたのだろうか。そういえば、ずっと彼の姿を見ていない時があったなあと気付き、彼女は彼らの近くまで行って立ち止まる。
「いや、テレノスよりもひどいからな、うちの姉貴は。因みに、その時は六十日間も帰って来なかった。親父はドラゴン数頭やっつけそうな勢いだったし、お袋がエル=シエル・ハーブだったなら確実にしなびてたくらいだったな。俺は話聞いて喜んでたけどさ」
「こんの、親不孝者が、リヒテル」
人間の若者が笑いながら言ってリヒテルというらしい彼を小突き、皆もカレンも関係なくその場に居合わせた人々は吊られて笑った。
「で、その人の頭に狼の耳が生えてて、尻尾が生えてるような種類の人達ってどんなのだったか聞いてないの?」
火術士は雑に積み置かれた、並べ置く前の石によりかかりながらドラゴン使いに訊く。彼はひょいとこちらを振り返って気さくに答えてくれた。
「何か、本当に見ただけで話が出来るかどうかは確かめてないからわかんねえんだと。ああ、でもこっち見てびっくりしてた、って姉貴は言ってた」
「びっくりせん方がおかしいわ。初めてドラゴンを見てびっくりしなかった人間の話なぞ、わしはほとんど聞いたことがない」
ハインツが苦笑しながら言って、再び彼らは笑った。
それにしても、自分がまだ見たことのない人々がいたのかと思うと、改めてこの大陸が広いと感じられた。この広い大陸を、テレノスは何処までヴァリアントと一緒に行ったのだろう。今度兄か弟に会うことがあれば訊いてみようかとカレンは思い、再び石畳の上を歩き始めた。
喋りながら働いたり食事を取ったりする人間、つまり少々行儀が良くない自分達。しかし、楽しみながら作業が出来るのはいいことだと思えた。ドラゴン使い達との距離もぐっと縮まったような気がして、彼女は嬉しくなって笑顔を作った。作りながら、違うことを口に出した。
「それにしても……」
完全な独り言は作業の喧騒にかき消され、向こうから来る人々の足音の下になって埋もれていく。猫の親子と犬が睨み合っているのが見えた。
「狼の耳に尻尾を持つ人なんて、本当にいるのかなあ……」
「ああ、それはもしかして犬人族のことですかね」
突然の返答に、彼女は咄嗟に声の方向を振り返った。するとそこには何処から現れたのだろう、この町を作るように仕向けたともいえる人物が笑顔を見せながら立っているではないか。相変わらず尖った耳が目立つ。
「あら、セナイ。久し振り」
「お久し振りですね、カレン」
セナイ=フィルネアは初めて会った日のように手に杖を持っていた。手の平に気を集めて術士は術を使うのが普通だが、杖と違って力が分散しやすいのが難点だ。しかし、金属は剣や槍のものだった。剣や槍を持たなくても戦える術士達に、そういった長い武器はいらない。短剣を使うことはあっても、他の用途の為に造った武器を集気の媒介として使うのは皆にとって邪道だった。
「杖が気になりますか?」
知らず知らずのうちにそればかり眺めていたのだろう、エルフが唐突にそう言って杖を持つ手をすっと上げる。少々申し訳なくなって、カレンは赤くなりながらも認めた。
「ええ、その……普段私達は使わないから」
「そうみたいですね。でも、結構便利ですよ? ほら、下の先を見て下さい」
彼に言われて見れば、下の先端には大人の男の腕の半分程の長さの刃物が取り付けられていた。槍の穂先に似ている。これは、と問おうとして相手の顔を見つめると、その人は答えを前もって用意しておいたのだろう、先回りして言った。
「私達は、肉体鍛練も欠かしません。甥はまだ体が小さいしどんな術を使うのかもわかっていないので勧めていませんが、杖も剣のように槍のように使えるようになれば、懐に飛び込まれた所で大した攻撃を受けることはありません。鍛えるのに時間はかかりますけどね」
便利ですよ、とセナイは再び微笑み、カレンの腰に下げられている二本の短剣に目をやって続ける。
「貴女なら容易に使えると思いますよ、カレン」
「そうかしら?」
「短剣を使う人はよく運動をしています」
エルフはくるくると杖を片手で回転させ、先程と同じように持ち直した。上の先端で欠けた輪を描いている術士の杖は日の光に輝いてきらりと視界を傷つける。
「小さい頃からさせないのはどうして?」
幼い少年がこちらへ向かって走ってくるのを見ながら彼女は言った。普段から自分が基本的な読み書きやどんな術士でも使える基本の術を教えている子供達の中にいつもいる少年だ。エルフは、くすくすと可笑しそうに笑いながらそれに答える。
「……あまり小さな頃から体を鍛えすぎると、背が伸びないのですよ。少々威厳にも関わってくるかと」
その言葉に火術士も笑った。そして、この人と出くわした時からずっと疑問に思っていたことがあったのに気付き、話題を変える為にと口を開く。
「そういえば、セナイ」
「はい?」
エルフはきっちりと視線を合わせてくる。その時、走ってきていた幼い少年がセナイの腰に小さな拳をとん、とぶつけて大きな声で言った。
「叔父さんっ」
「おや、オディスではありませんか」
突然の甥の登場にゆったりとした口調でその人は言いながら、その小さな手を取ってどうしたのですか、とオディスという少年に問うた。話の腰を折られてしまったカレンは仕方ないかと思いつつも、目の前の二人を観察することにする。
「ほら、どうしたのですか?」
「町を歩いてたら叔父さんが見えたから来たんだ……あ、先生も一緒なんだね」
何の話してたの、と少年が二人を見上げて問うと、いたずらっぽい笑みを浮かべたエルフは自分の甥に向かって楽しそうに答える。
「心は大人でも体が小さい人に武術を教えるのは、背丈の成長によろしくないということを笑っていたのですよ。いくら人間の四倍を生きているメイジでも、ねえ」
途端にオディスは憤慨した顔つきになり、外見の四倍は年を食っているであろう、そのある程度成熟した筈の中身に全く似つかわしくない主張をし始めた。
「ぼ……僕だって外見はまだこんなのだけど、普段一緒にいる皆よりはずっと大人なんだから……って、何笑ってるんだよ、先生まで! 絶対に僕と同じくらいの歳の筈なのに」
「何を言っているのですか、見かけ通りではありませんか。大人とは、何事にも動じない強い心と受け入れる広い心を持つ者のことだと思いますけど?」
セナイが尚もにやにやしながら言って少年をからかうので、カレンの笑いはいよいよ止まらなくなってきた。少年はエルフには敵わないと思ったのか、今度はむすっとした顔で矛先を彼女に向ける。
「……意地悪だなあ、先生も。そんなんじゃああのドラゴン使いの恋人にもいつか振られるよ」
火術士はそれを笑い飛ばした。
「あの時のあれはきっと成り行きよ」
「でも、あの人は絶対に先生のことが――」
「私はトレアンから何も言われてないし、私からも何も言ってないわ」
オディスは幼い顔にまるで大人のような複雑な色を浮かべた。この二人は何故前へ進もうとしないのだろう? 互いの気持ちを確かめ合うことよりも、その前にしか出来ないような大事なことでもあるのだろうか。二人が一緒になることによって、壊れてしまうようなものでもあるのだろうか。見たところ、そのようなものはなさそうだった。それとも、既に互いの気持ちに気付いていて、もう何時でも手を取り合えるとでも思っているのだろうか。
「トレアンは否定しなかったよ、先生のこと!」
少年は食い下がった。何故そのように笑って流そうとするのか、理解出来なかった。わざと向き合うのを避けているようにも感じられて、それがもどかしくて。セナイの顔が真顔に戻っていることに気付いた。
「僕があの人に先生のことが――」
「それで、犬人族だったわよね、セナイ?」
カレンが大声で、無理矢理少年の話を断ち切った。突然こちらに話を振ってきた彼女を我に返ったようにエルフは見つめ、聞き苦しい返事をしてしまう。
「あ、はい……ええ、そういえば最初はその話でしたね」
誰もオディスの傷ついた表情を見なかった。そして、残念なことに二十歳のメイジは見かけ通りのそのままの心の広さしか持っていなかった。いや、周りから見かけ通りだと思われていることが少年の心の成長を止めているらしかった。そして、誰もそれに気付いてはいない。
「会ったことがあるの? 知っているみたいだけど」
自分達二人にくるりて背を向けてすたすたと歩いていくエルフの甥を見送りながら火術士は言った。同じく自分の甥を見送っていたセナイも、相手を見ずに答える。
「ええ、ずっとこの大陸を旅していたもので……全く違う言葉を話していますが、部落に一人か二人はこちらの言葉を話すことが出来ます。どうやら、大昔にコボルトと人の血が混じったことから生まれたのだと、そのようなことが伝承として刻まれた犬人族の語の石板を見せて頂きましたが、太古の昔に創られた種族である、とエルフの伝承にはあります」
エルフはそこでじっと彼女を見つめた。青い瞳に、何か違うものが宿っていることが感じ取れる。ただ、返ってくる言葉は平らだった。
「こっちの方には来ないのかしら」
「行く必要がある時になったら行くと言っていました」
「じゃあ、今はその必要がない時なのね」
二人は向こうを歩いていくアドルフに目をやった。ドラゴン使いの頭領は術士や他の者達と親しげに話しながら、掘り返した土を肩で支えた木の棒の両端に吊るした桶で運んでいる。むき出しの上半身はやはりさらけ出していても暑いのだろう、汗が止めどなく流れて肌を湿らせていた。
「いえ、そうでもないかもしれませんよ」
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