碧緑の森の守護者

久遠マリ

Prelude


 カレンは道に迷っていた。


 あの木の間か、それとも向こうに見える岩の方か、森の出口が何処にあるのかわからない。いくら自分が火を操ることの出来る術士であっても、まだ己の術の威力は弱く使えたものでもないことはわかっていた。深い緑の木々が地面に黒々とした影を作っていて、心の中の炎までもが飲み込まれてしまいそうだ。


 あたりを見回した。草だらけの細い微かな道が目に留まって、もしかしたらと思いながら辿ってみることにする。人の住む場所に続いていさえすればいい。ドラゴン使いの野蛮な連中でなければ。


 小さい頃から、よく言われていた。いい子にしていないと、ドラゴン使いが来てあなたをドラゴンの餌にしてしまいますよ。カレン達は仲間と寄り集まって、まだ見たこともない彼らのことをあれこれと想像していたものだ。実際に餌にされた人がいたなどという話を一回も聞いたことがないのに気付いたのは、つい最近になってからだ。


「どうしよう……」


 近くの木々には、よく熟していて甘い匂いを放つ果実が枝もたわわに実っていた。だが、今自分が欲しているものは果実ではなく帰り道だ。あまり木が生えていない自分達の地と比べると、このあたりは随分と肥沃な土地なのだろう。それだけで、かなり遠くまで来てしまったことに気付いて、カレンは少し後悔していた。


 この森のことも、またよく親から言い聞かされたものだ。決して入ってはいけませんよ、さもなければドラゴンの餌になってしまいますからね。


 そんな忠告を無視して来たのは、忠告をした人間が病に臥せっているからだ。人づてに、この森の近くに良い薬草があるということを教えて貰ったのだ。親の忠告と親の命となら、どちらを取るだろうか? 当然、命に決まっている。自分の命がここで消えたら終わりなのだけれど。でも、どうにかなる。


 時々襲ってくるような動物達は、カレン自身の火の術で焼き払って進んで行った。細い道は何処までも続いているようで、いつ終わりがくるのかと不安になる。それでも、今は進んで行くしか選択肢はないのだ。大丈夫、とまた思った時だ。


 不意に頭上が暗くなって、ふっと顔を上げる。シュウ、という音とともに、目の前に自分の腕ほどもある大きな牙が現れた……次いで、金色の大きな瞳。


 一瞬息が止まった。その次には、カレンの口からは母から教わった呪文が飛び出していた。


「アール エネイス フレーニャピラー……炎よ、罪深き者を打ち砕け!」


 その術が当たったかどうかも確かめず、カレンは腰に差していた二本の短剣を抜いた。額や目にかかる己の薄い色の巻き髪を手で払う。そうしてあらためて敵の方を振り返ると、それは青灰色の巨体をくねらせ、彼女を睨み付けていた。腹の肉がえぐれ、どす黒い血が噴き出している……どうやら術は直撃していたようで、上手く使えたのだと判った。


 だが、相手方は相当怒っているようだ。痛むのだろう、腹の傷のせいで動きは鈍くなっているが、短剣を構えた直後に物凄い咆哮がカレンの耳に突き刺さった。思わず顔をしかめて耳を塞げば、太い首がとんでもない速さで襲ってくるので転がってよけた。ぱっと立ち上がれば大きな牙がもうそこまで来ていて、咄嗟に盾の呪文を唱える。だが、それもドラゴンの顎の大きな噛みつき一回で破られてしまった。


 速い、これでは勝てない。でも、ここでやられるわけにはいかないのだ。どうしても薬草を持って帰らなければ――


 三回目が、避けられなかった。右肩を背中から牙が貫通し、カレンは激痛に声を上げた。血がどくどくと噴き出し急速に意識が遠のいていくその時、誰かが叫ぶのが聞こえた。


「ヴァリアント――」


 ああ、誰か助けに来てくれた。そう感じた瞬間、全てが暗転して何もわからなくなった。


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