10.それでも僕は

「おやめなさい! 太郎くん!!」


 胸を撃ち抜かれ倒れたはずの佳恋の叫び声。


 太郎はギョっとなり、振り返る。

 佳恋は立ち上がり、両手を構える。


『太郎!!』


 祖母の言葉にハッとなる。

 自分は今拳銃を向けられて――


 次の瞬間、3人の男と、そのすぐそばにいた太郎とを巻き込んで床が爆発した。


「えっ!?」


 太郎は声を上げ……そして吹き飛び、頭を壁に打ち付けてる。


「くぅ」


 それ以上考えることもできず、太郎の意識は暗闇へと反転した。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 佳恋が太郎をかばったのは、何も自己犠牲精神ではない。

 自分の命を差し出してまで馬鹿な子供を助けようなどと考えるほど彼女はお人好しではない。


 太郎が拳銃で撃たれれば死ぬが、自分は死なない――いや、死ねない。だから飛び出した。

 死なないだけではない。痛みも感じなければ血も流れない。

 自分は100年以上前のあの日から、そういう身体そんざいになったのだから。


 さすがに物理的な衝撃は受けたので一瞬倒れ込んだが、どうということはない。

 むしろ斃れたふりをして隙を突こうとおもっていたくらいだ。

 それは佳恋にしてみれば造作もないことだ。

 太郎や誘拐されていた少女――姫子とかいったか――を無傷で助け出すのは手間だが不可能ではない。


 そう佳恋は考えていた。


 ただし、それは太郎が無謀に突っ込んでいったりしなければである。

 はたして、佳恋が撃たれて重傷を負ったと勘違いした太郎は拳銃を持った男に突っ込んでいった。


 だから佳恋は叫び、術を放った。

 余裕がなかったので太郎も一緒に吹き飛ばしたが、死ぬようなことはないだろう。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 全てが終わった後、友の目の前で佳恋は誘拐犯達を縛り上げていた。


『一体、どういうことなんだい?』


 犯人達の他、部屋の中には気を失った姫子と太郎が寝かされている。

 源五郎は姫子のそばに跪いて涙を流していた。


「どういうこと、といいますと?」

『なぜ、あんたは生きている? いや、死なないまでも、拳銃で撃たれて、なぜ、動くことができるんだい?』


 それどころか、服も破れて折らず、血も流れていない。

 トモは佳恋にたずねた。


『あんたは間違いなく、胸を銃で撃たれた。あの銃は本物だろう?』

「ええ、そのようですわね」


 佳恋は何事もないかのごとく答えた。


『それでどうして、あんたは何でも無いように動けるんだい?』

「お婆さま、あなたはその答えをご存じなのではありませんか?」

『どういうことだい?』

「私の父――朝倉重三は今でも成仏せずに漂い、様々な霊に助言をおこなっているようですわね」


 朝倉重三、トモが深夜何度も太郎の霊感について相談した神主姿の幽霊だ。


『……私が重三さんと話していたことも知っていたのかい、』

「太郎くんを式神で観察している時に気づきましたわ。もっとも、父が結界を張っていたのか、何を話しているのかまではわかりませんでしたけど。

 どうせ、私の正体も聞いているのでしょう」

『……まあね』


 トモは答える。

 重三が語った佳恋の正体――それは、信じがたい内容だったが、今日の顛末を見れば、おそらく事実なのだろう。


「それならば分かるでしょう?

 霊能力は人を不幸にしますわ。太郎くんは今のところ、ただ霊感が強くなっただけですけど、このまま放っておけば私と同じ運命をたどるかもしれません。それを努々ゆめゆめお忘れ無く」

『覚えておくよ』


 佳恋の言葉の重さは理解できる。

 100年目の佳恋の時と今の太郎とでは状況が全く違うとも思うのだが。


 佳恋は懐から今度は携帯電話を取りだした。


『だれにかけるんだい?』

「もちろん、警察ですわ。犯人をこのままにはしておけませんもの。

 ご心配されなくても、警察が到着する前に太郎くんは私が運び出しますから、5ヶ月前のようなことにはなりません」

『姫子ちゃんはどうするんだい?』

「そうですわね、確かに警察が来るまでは時間がかかるでしょうし、このままここに置いておくわけにもいきませんわね」


 佳恋はそう言うと、懐からさらに紙を取り出した。

 佳恋が呪文を唱えると、その紙は子どもの背丈ほどの長さになり、宙に横たわって浮いた。


「これに乗せて運びましょう」


 佳恋は姫子を宙に浮いた紙の上に乗せる。


『もはや何でもアリだね、あなたは』

「何でもできるなら、私はいつまでもこの世に存在しませんわ」


 さらに太郎をおぶり、佳恋は歩き出す。

 姫子を乗せた紙も、ふわふわとついて行く。


『お嬢さん、姫子を救ってくれてありがとう』


 家を出たところで、源五郎が佳恋に言う。


『私からもお礼を言うよ。太郎を助けてくれてありがとう』


 色々思うところはあるが、それでも孫を助けられたのはトモも同じだ。


「別にあなた達のためではありません。助けられる子どもを見捨てたら目覚めが悪いだけですわ」


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 太郎が目を覚ましたとき、最初に思ったのは一体自分はどこにいるんだろうということであった。

 そして気がつく。

 ここは自宅の近くにある児童公園だ。

 ベンチの上に寝かされていたらしい。


「……僕、どうして……?」


 つぶやき、辺りを見回す。

 見慣れた祖母の幽霊が、心配そうに太郎を見下ろしていた。

 空はすでに茜色に包まれている。


「おばあちゃん、一体何がどうなっているの? 姫子ちゃんは? 佳恋は? 犯人は? それにゲンジジイもいないし……っていうか、なんで僕はここに……」

『姫子ちゃんは佳恋ちゃんがご両親の元に帰した。太郎をここまで運んだのも彼女だよ。源五郎さんは姫子ちゃんに付き添っている』

「え、え、どういうこと? だって佳恋は拳銃で撃たれて……あ、でも、立ち上がっていて……え? あれ?」


 太郎の目の前で拳銃に撃たれたはずだ。

 気絶する前と後の記憶が渾然としていて、何が何だか分からない。


「佳恋ちゃんは怪我一つおってなかったようだよ」

「うそ、だって……」


 まるでわけがわからない。そもそも、今、佳恋はどこにいるのだ?


『太郎、そんなことより、話がある』


 祖母は真剣かつ悲壮な顔を浮かべてそう言った。


「……話?」

『まあ、ここじゃあなんだから、家に帰ってからにしようか』

「う、うん」


 太郎は答え、とりあえず家路についたのだった。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 両親はまだ帰っていなかった。

 今日も遅くなるらしく、夕飯が冷蔵庫に入っているとテーブルの上のメモに書かれている。


「あーそういえばお腹すいちゃったな」


 考えてみれば、昼食抜きだったのだ。

 太郎は冷蔵庫の中から、鯖の味噌煮とサラダを取り出した。鯖の味噌煮はお冷やご飯とともに、電子レンジに放り込む。

 1分ほどで食事は暖まった。


「いただきまーす」


 太郎はそう言って箸を動かしはじめた。


『太郎』


 祖母が言った。


「うん? そういえば話があるんだっけ、なに?」

『お前、やっぱり霊感を封じてもらったほうがいいよ』


 祖母は厳めしい顔をしながらそう言った。

 太郎は箸を止め、しばらく固まった。


 沈黙が流れ……

 時計の針がカチコチなる音だけが部屋の中に響く。


 やがて、太郎は口を開いた。


「はははっ、おばあちゃん、何を言っているの? なんで、そんなこと……」

『今回のことで思い知ったよ。霊感能力はお前を不幸にする。危険な目に遭わせる。封印してもらった方がいい』

「…………」


 太郎は押し黙った。


『太郎、今回はもう少しでお前が死んでいたかもしれないんだよ。それがわかっているのかい?』

「それは……でも、霊感とかじゃなくて、あれは拳銃で……」

『だけど、霊感がなければ、そもそもお前があんなところに行くこともなかったんだ』

「そうだけど、でも!!」


 太郎は叫ぶ。叫ぶが言葉の続きが出てこない。


『太郎、私はお前が心配なんだよ』


 悲壮感を漂わせながらも、無理に笑みを浮かべようとする祖母の顔。

 それを見ればさすがに太郎も気づく。


(おばあちゃんは本気で僕を心配しているんだ)


 霊感を手に入れてから5ヶ月、実際のところ危険は全くなかった。

 川原で翠子の死体を見つけた時は、気持ち悪くて吐いたし、その後、警察で大変な思いをしたが、でもそれだけだ。

 少なくとも自分の命の危機を感じることはなかった。


 だけど、今日は違う。

 確かに自分は死にかけた。

 拳銃を向けられ、もう少しで弾丸が自分を貫いていたのだ。

 思い出せば震えそうにもなる。


 その一部始終を見ていた祖母が、孫を心配するのは当たり前だ。


(でも、だけどっ!!)


「だって、霊感を封じたら、もうおばあちゃんと話せないんだよ!!」

『それはそうだけどね。どのみち私がこの世にいられるのもあと数日間ってところらしい』

「そんな……」


 確かに5ヶ月前、祖母がこちらの世界にいられるのはあと半年くらいだと聞いたのは覚えている。

 そのことは考えないようにしてきた。

 考えたら辛すぎるから、これまでずっと。


『私が消えた後、太郎が霊感でもっと危ない目に遭ったらと思ったら、私は安心して成仏できないよ』

「……だけど! 僕は……」


 普通には戻りたくない。


『太郎、頼む、私の最後のお願いだ。佳恋ちゃんの言うとおり、霊感を封じておくれ』


 祖母は優しくほほえんだ。


「……」


 それでもなお、太郎は素直にうなずけないのであった。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 太郎が寝静まった後、トモはまた神主のような姿をした幽霊――朝倉重三と向き合っていた。


『重三さん、私に残された時間はどのくらいあるんでしょうか』

『あと、10日というところかの、それまでにあちらの世界に行かないと、あんたは悪霊になってしまうだろう』

『そうですか……』


 太郎の卒業式まではもたないらしい。


『太郎くんのことが気がかりかい?』

『はい』


 トモはうつむいた。


『太郎にとって霊感はやはり危険なのではないかと。佳恋ちゃんのようなことになったらとおもうと……』

『しかし霊感を封じるかどうかは太郎くんが決めること。トモさんは佳恋にそう言ったのだろう?』

『はい』

『ご自分の孫を信じなさい。どういう結末が待っていようと、それは太郎くんの人生だ。太郎くん以外の者が、ましてすでに死んだ者がどうこう言えることじゃない』

『でも、霊感のせいで太郎が危険な目に遭ったらと思うと、とても安心して成仏など出来ません』


 だが、トモの言葉に、重三は首を横に振った。


『確かに霊感があるから危険な目にあうこともあるだろう。

 だが、霊感があれば親切な幽霊になにかの事故や事件について警告してもらえることもあるかしれん。

 それはそのときそのときの状況次第。そうではないかな?』


 そうに言われてしまえば、トモにはもう何も言うことができなかった。


『ただ、一つ言ってておこう。あと数日のうちに、太郎くんは大きな試練に見舞われる。トモさん、あんたはそれを見守ってからあちらの世の中に行くことになる』

『試練……それは一体?』

『ほっほっほっ、さてなぁ』


 重三は意味ありげに笑いながら、どこかに消えていった。

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