3.トクベツになった僕

「ただいまぁ……って、誰もいないよね」


 誰もいないと解っていても、いつものごとく『ただいま』と言ってしまう太郎。


 太郎の家は学校から徒歩15分程度の場所にある一軒家だ。

 1階にリビング、台所、和室、寝室、トイレや風呂があり、2階に太郎の部屋と空き部屋がある。


 リビングの椅子に座り、太郎は「ふぅ」と息を吐いた。

 佳恋からは霊感だの幽霊だのわけのわからない話を聞かされ、健志郎からはこれまたわけのわからない萌え萌え談義を聞かされ、太郎はほとほと疲れていた。


 太郎の両親は共働きだ。母親は看護師、父親はシステムエンジニアとかいう仕事らしい。どちらもたいてい夜遅くまで帰ってこない。

 兄弟もいないので、昼間はいつも家で1人になる。


 幼い頃、太郎の面倒を見てくれていた祖母は、脳卒中で4年前に亡くなった。

 苦しまなかったと思うよと医者が言っていたのは救いだった。

 それ以来、太郎が学校から帰っても家で迎えてくれる人は誰もいない。

 寂しいと思うこともあるが、我慢するしかない。


 キッチンのテーブルの上に、ラップのかかったお昼ご飯と母親のメモ書きが置いてあった。

 今日のお昼ご飯は野菜炒めとご飯らしい。メモ書きには『太郎へ、お昼ご飯はレンジでチンしてね♪ 野菜炒めのピーマンもちゃんと食べること!』と書かれている。

 野菜炒めには豚肉も入っているが、ご飯のおかずにはしにくい。


 太郎は冷蔵庫を開けて、中身を確かめた。


(納豆でも食べるか)


 太郎は納豆取り出して、野菜炒めとご飯をレンジに入れた。

 レンジが作動している間にテレビのスイッチを入れる。この時間帯は主婦向けの情報番組くらいしかやっていないが、何も音がない空間にいるとどんどん寂しくなってくるのだ。

 テレビの中では女子アナと女芸人が洋服を買ってファッション対決をしていた。全く興味のない内容だが、他のチャンネルに回しても似たようなモノだろう。


 クラスメートの中には、昼間親がいないなんて自由でいいなぁなどと言う奴もいるが、太郎はそれなら代わってやると言ってやりたい。

 自由といっても、お小遣いは少ないのでゲームや漫画が変えるわけでもないし、1人家の中にいるのは寂しいとしか言いようがない。


 レンジがチンと鳴り、太郎は野菜炒めを取り出す。

 椅子に座って納豆のフタを開け、タレとカラシを入れてかき混ぜはじめた。


 そして、さてご飯に納豆とかけようとした、その時だった。


(あれ?)


 向かいの席に青白いモノが見える。

 まるで……そう、さっき佳恋の手のひらの上に現れた炎のような……だけど、それよりも大きい。

 それはだんだんと人形ひとがたになっていく。


(な、なに?)


 太郎は思わず目を見開いた。

 真剣に見つめると、青白いモノがだんだんとハッキリ見えてくる。

 今や、炎ではなく青いドレス風のワンピースを身にまとった人型となっている。


 そのワンピースに太郎は見覚えがあった。死んだ祖母が好んできた服だ。

 母は年甲斐もないとか恥ずかしいとか言っていたが、祖母はそれがハイカラなんだとか言って譲らなかった。もっとも太郎にはハイカラという言葉の意味がいまいち分からなかったのだけど。


 そして、その人型の顔が見えてくる。

 太郎は目を見開き、呆然となった。


「……おばあちゃん?」


 その顔は太郎の亡くなった祖母のものであった。

 色は青みがかり透けているが、間違いない。どうみても祖母である。


「そんな、なんで……」


 太郎は席を立ち、祖母の姿へ近づく。


「おばあちゃん……」


 太郎は声を震わせた。


『太郎、私が見えるのかい?』


 その声は耳に届くと言うよりも、頭に届いた。

 普通、声などの音は空気が震えて聞こえるものらしい。だが今、祖母の声は頭の中に直接言葉が浮かんできたという表現がぴったりする。


「おばあちゃんなの?」

『そうだよ、トモばあちゃんだよ』


 ありえないことだった。

 死んだ祖母の姿を見るなんて。まして、その声が聞こえるなんて。

 同時にさっき校舎裏で佳恋に言われたことを思い出す。


『つまりあなたの霊感が目覚めたということ』


 佳恋はそう言っていた。


(僕の中の霊感が目覚めた? だから幽霊が――死んだおばあちゃんが見えるようになったってこと? でもそんなことって……)


 にわかに目の前のことが信じられなかった。

 もしかして自分は寂しさのあまり幻覚でも見ているのだろうか?


「本当に、おばあちゃんなの? これは幻じゃないの?」


 太郎は祖母の霊に訪ねた。


『幻じゃないとも。私はずっと太郎のことを見守っていたんだよ』

「本当に? 本当におばあちゃんなの……?」

『ああ、そうだとも。その証拠に、私しか知らないことを太郎に教えてあげる。ついておいで』


 祖母の霊はそういうと、隣の部屋に歩いて行く。


「幽霊なのに足があるんだね」

『どうもそうらしいねぇ。幽霊には足がないなんて、生者の勝手な想像みたいだよ。でも幽霊になってからは飛べるようになったけどね』


 そう言うと、祖母の霊は50センチほど床から浮いて見せた。


「おお、すごい」

『しかも、生前苦しんだ腰痛も消えてなくなったしね』


 そういえば、昔と違って祖母の背はシャンと真っ直ぐだ。


『さあ、こっちだ』


 生前祖母が寝室に使っていた和室に太郎は連れてこられた。

 今は半分物置みたいになっている。


『太郎、そこのふすまを開けておくれ』


 祖母が指さしたのは押し入れの上にある小さなふすまだった。


「うーん、だけど僕には届かないよ。飛べるんだったらおばあちゃんが開けてよ」


 そう言うと、祖母は寂しげに笑った。


『そうしたいのは山々なんだけどね、ほら、この通りなんだよ』


 祖母がふすまに手を伸ばすと、そこに何もないかのようにすぅっと突き抜けた。


『普通の人間が幽霊になると、物に触ったり動かしたりできなくなるらしいんだよ。もっと強い力を持った人の幽霊だと話は違うのだけど』

「そうなんだ……」


 太郎はちょっと心が痛む。

 物に触ることもできないなんて。なんだかとても寂しい話だ。


『だからさ、太郎。椅子でも持ってきて開けておくれよ』

「うん、わかった」


 太郎はリビングの椅子を持ってくると、そこに上った。


『気をつけるんだよ。太郎が落っこちても、昔みたいに支えてあげることはできないからね』


 そう言われ太郎は1年生の時のことを思い出す。

 ふざけて家の塀によじ登り、足を滑らせて頭から落下した。

 おばあちゃんが慌てて受け止めてくれなかったら、きっと頭をコンクリの地面にぶつけていただろう。


 普段は優しい祖母が、その時だけは本気で太郎を叱りつけた。

 両親はしょっちゅう太郎に小言を言うが、祖母が太郎に怒ったのは後にも先にもその時だけだ。

 それ以来、塀に上るような遊びはしなくなった。


「うん、気をつける」


 太郎は椅子の上で背伸びをして、なんとか小さなふすまを開けた。

 ふすまの中には、かわいらしい手のひらサイズのタンスがあった。


「このタンスを開ければいいの?」

『タンスの中身はとっくに幸司達が調べちまったよ』


 幸司というのは太郎の父親の名前だ。


『人が死んだからって勝手に私のへそくりを自分の物にしちまいやがって』


 そういえば、祖母が死んだとき、父が祖母の遺品整理をして1万円見つけたとか言っていた。


『でもね、太郎。そのタンスの上の段を取り出して裏返してごらん』


 言われて、太郎はその通りにする。引き出しの後ろを見ると、粘着テープで茶色い封筒が張り付けられていた。


「……これ?」

『開けてごらん』


 太郎が封筒を開けると中には何枚かの1万円札が入ってた。


「1、2、3……すごい、10万円もある」


『私の本当のへそくりだよ。幸司達が見つけたのはほんの一部さ。これで私が幻じゃないってわかったかい?』

「うんっ!!」


 もしも太郎の心が見せている幻だったら、祖母のへそくりの場所がわかるわけがない。


「でもこのお金、どうしよう?」

『太郎にあげるよ。自由に使いな』

「え、えぇぇぇ、そんな、こんな大金もらえないよ。ちゃんとお父さんに言わないと……」


 10万円は小学生の太郎にしてみれば大金だ。自分の判断で手元に置いたり、使ったりできる額じゃない。


『そう言わずにもらってやってくれよ』

「で、でも……」


 太郎が躊躇していると、祖母は太郎の頭の上に手をやった。

 幽霊の祖母は太郎に触われない。だが、それでも太郎は幼い頃祖母に頭をなでてもらった時のような気持ちよさを感じた。


『実はね、そのお金は太郎が結婚するときのお祝い金のつもりで貯めていたんだよ』

「え……」

『だけど、もう私は太郎の結婚式を見ることはかなわないからね。せめてそのお金だけでも渡しておきたかったのさ』

「そんな、だって、おばあちゃんはここにいるじゃないか。僕が結婚するときだって……」


 だが、そんな太郎に、祖母は寂しげに首を横に振った。


『普通の人が幽霊としてこの世にとどまれるのは長くても4~5年くらいが限度らしいんだよ。太郎が小学校を卒業するまでもつかどうか……』

「そんな……」


 せっかく祖母と再会できたというのに。


『悲しい顔をしないでおくれよ、太郎。幸いなことに私は生前の行いが良かったのか天国に行けるみたいだしね。あと少しだけ、こうして太郎と一緒にいられるというのは神様からの贈り物だと思うがね』

「……おばあちゃん」

『さあ、さっさとそのお金を自分の部屋に隠してご飯を食べちまいな。お昼ご飯がまた冷めちゃうよ』

「……うん」


 太郎は椅子から飛び降りて祖母の霊に背を向けた。そうしないと、自分の目にたまった涙を祖母に見られてしまうと思ったから。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 太郎は勉強机の引き出しの裏に、祖母からもらったお金入りの封筒を粘着テープで貼り付けた。祖母が隠していたのと同じような方法だが、ここなら簡単には見つからないだろう。


 リビングに戻り、お昼ご飯を再開する。

 もちろん、くだらないテレビの電源は切った。そんなものよりも祖母と会話したい。


「なんか、自分だけ食べるの悪いなぁ」


 向かい側に座った祖母に言う太郎。


『幽霊になると物は食べられなくなるからね。なんとも味気ない話さ』

「うん、ごめんね」

『気にすることはないさ。太郎はいっぱいお食べ。早く大きくならないとね』


 太郎は納豆ご飯を口に入れる。納豆は昔から太郎の好物だ。

 母はあまり好きではないようだが、亡くなる前日まで祖母が毎日太郎に食べさせてくれたから。


『太郎も納豆にカラシを入れるようになったんだねぇ』


 祖母が感慨深げに言う。そういえば、祖母が死んだ頃の太郎は、まだカラシやワサビが食べられなかった。


「当然だよ。僕ももうすぐ中学生だからね」


 ちょっと誇らしげに太郎は言った。言外に、だから中学校の入学式も見守ってよという想いを込めて。

 納豆ご飯をかきこみながら、合間に野菜炒めも口に運ぶ。


『おいしいかい、太郎?』

「うん、とっても」


 これは少しだけ嘘。納豆ご飯はおいしいが野菜炒めはあまりおいしくない。

 大嫌いなピーマンが入っているというのもあるが、根本的に太郎の母は料理下手なのだ。

 以前は祖母が家の食事を全て作っていたので、母は料理をしなくてもすんでいた。


『そうかい、美智子さんもまともな料理が作れるようになったんだねぇ』


 昼食を終えた後、自室に戻って祖母と話を続けた。


「おばあちゃんは、今までどこにいたの?」

『ずっと太郎のそばにいたさ、今日だって学校について行ってたんだよ』

「そっかぁ」


 これまで、ずっと祖母は自分を見守ってきてくれたのだ。

 そう思うとなんだかとても嬉しい。


「ねえ、さっきの佳恋との会話も聞いていたの?」

『うん? ああ、まあね、聞いていたよ。あの娘は普通じゃないね。生者が自分の霊体の一部を体外に出すなんて』

「一体、何者なんだろう?」

『私にもそこまでは何ともいえないね。今夜にでも知り合いの幽霊に聞いてみるよ。幸い、知り合いに強い霊能力を持った人の霊がいるからね』

「ふーん、そんな幽霊がいるんだ」

『その人はもう、100年近くこの世に居続けているらしいよ。しかも、念じるだけで物を動かしたりもできるんだと』

「ふーん、それってスゴイの?」

『そりゃあ、すごいさ。私みたいな霊は触って物を動かすこともできないんだからね』


 それから、太郎は祖母の霊とずっと話をした。

 学校のこと、両親のこと、勉強のこと、友達のこと……

 祖母は時に相づちを打ち、時にほほえみ、時に褒めてくれた。


 それは、生前の祖母と変わらないやさしく暖かい対応で。

 だから、太郎はどんどん嬉しくなってきて次から次へと話を続けた。


「僕、ずっと思っていた。自分はなんて平凡なんだろうって。勉強も運動もできるわけでもなくて。特技も何もなくて。きっとつまらない人生をおくるんだろうなぁって」

『太郎……』


 しばらく会話と続けた後、太郎が言った言葉に祖母の顔が曇る。


「だけど、それも今日までだよね。僕は幽霊が見えるようになったんだもん。これって普通じゃなくなったってことだよね」

『……そうだね。そうかもしれないけど……でも、太郎、普通だってことはそんなに悪いことじゃないと、私は思うけどね』

「ええぇ、やだよ、僕は普通なんてつまらない。これからはこの力を使って、何か人の役に立つことをしたいんだ。きっとこの力は神様に選ばれたってことなんだから」


 祖母の霊は少し不安気な表情で太郎を見つめる。


『太郎、だけどね……』

「僕、やっと自分だけの力を手に入れたんだ。これってスゴイよ!!」


 その言葉に、祖母は一瞬言葉を詰まらせた。

 そして。


『……そうだね、太郎は凄いよ』


 祖母は少しを開けた後、そう言った。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 夜中の2時。昔で言えば丑3つ時。

 太郎の家の上空に2人の幽霊が浮いていた。

 1人は太郎の祖母トモ。もう1人は神社の神主のようなかっこうをした壮年の男。


『トモさん、ワシの言ったとおり、太郎くんは霊感に目覚めたようだね』

『はい、そのようです』

『前にも言ったが、この力は太郎くんの人生に良い影響を与えるとは限らないよ』

『はい。それでも、私は太郎との残りの時間を楽しみたいと思ってしまいます。これは我儘なのでしょうか?』

『そうかもしれんな。だが、選ぶのは太郎くん自身だろう。太郎くんが能力をどう扱っていくか、ワシは楽しみだよ。ほっほっほ』


 壮年の霊は、まるで好々爺のような笑みを浮かべた。

 外見は老人ではないが、霊として100年以上を生きている彼は、どこか達観した表情を浮かべることが多い。


『ところで、ひとつお伺いしたいのですが』

『佳恋のことかの?』

『ごぞんじなのですか?』

『あれはなかわいそうなだ。ワシがそうしてしまった』

『どういうことですか?』

『時が来たら話そう。いまはまだその時ではない』


 そう言い残すと彼は飛び立とうとし――そして、再び戻ってくる。


『そうそう、忘れておった、霊感に目覚めて人の役に立ちたいという太郎くんにちょうどいい仕事がある』

『はあ?』

『明日、太郎くんに小笠川の下流に行くようにいいなさい。ちょうど急王線と交差するの橋のたもとだ』

『そこになにがあるのですか?』

『それは行ってのお楽しみだよ。太郎くんにとって最初の試練となるかな。まあ、危険はないから安心しなさい』


 困惑顔のトモを残し、今度こそ男の霊は月夜の空に飛び立って行った。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 トモの元を飛び立った男の霊は、ある家にたどり着いた。

 そこには彼が過去に犯した罪により、今も苦しんでいる者が住む場所だ。


(すまないな、トモさん、太郎くん)


 半ば欺すような形になってしまっている現状に、彼は心を痛める。

 過去の行いにより苦しめた子どものために、今また別の子どもを苦しめている自分はなんと罪深い存在だろうか。

 自分にはトモと違って天国に行くしかくはないのだろう。

 もっとも、生前に神に逆らい、禁を犯した者が天国に行けるとはとても思えないが。


(それでも――)


 彼は家の中の子どもを想う。

 もはや眠ることもできない体となってしまった自分の子どものことを――

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