第十四章 その2 おっさん、祭り上げられる

「現国王は我々平民を取り替えの利く消耗品にしか思っていない、それで良いと思うか!?」


 広場に突如急ごしらえで作られた舞台の上で、ひとりの男が声高らかに演説している。


 広大な王都でも特に平民の利用する商店や酒場の集まる一角に開けたこの広場には、祭りでもないのに多くの民衆が集まっていた。その誰しもがじっと口を噤み、男の話に聞き入っている。


「そうだ、今こそ我々は新たな国王を迎え入れ、一から国を作り直す必要がある。民の実情に寄り添い、あらゆる身分の人間の言葉に耳を傾けるような尊大な人物こそが新たなる王の椅子に相応しい。ここにおわすは王家の隠し子、ハイン・ぺスタロット様。高貴な生まれでありながら不遇な半生を過ごしてきたこの御人こそ、新たなる王の資質を備えておられるのだ!」


 舞台の下から現れる巨大な影。それと同時に沸き立つ民衆。


 人々の前に現れたのはハインだった。凛々しい顔立ちと鍛え抜かれた肉体、それでいてまったく偉ぶらない仕草は、この人物こそ我々の代弁者であると民衆に思い込ませるのに時間はかからなかった。


「こ、これはどういうこと?」


 腕を振り上げて喜ぶ人々に囲まれて、パーカース先生が身をそっと屈めて辺りを見回す。誰も彼もが熱狂し、彼女の言葉などまるで耳に入っていない。


「なぜハインさんがあそこに!?」


 パーカース先生の隣に立っていたヴィルヘルムが、そっと彼女の腕をつかみ抱き寄せる。彼は現役の軍人、つまり現体制側の人間だ。もしも身分がバレてしまえば、ヒートアップした群集から有無を言わさず袋叩きにされてしまうだろう。


 非番でたまの休日、ふたりそろって街を歩いていたところに集会と出くわして興味本位で見物していたら、とんでもない形でハインと再会を果たしてしまった。


 「おいおい、こっちこっち!」


 群集の歓声とは別に、誰かを呼ぶ野太い男の声が聞こえる。


 聞き覚えのあるこの声は! ふたりが多くの人物の中から、声の主を見つけ出すのは容易だった。


「ヘルバール先生!」


 人々の向こうからちょいちょいと手招きするのは、同僚のヘルバール先生だ。彼もハインに負けじと大柄なので大人数に紛れていても非常にわかりやすい。


「先生、一体何ですかこれは?」


 群集を掻き分け、パーカース先生とヴィルヘルムは詰め寄るように尋ねる。ヘルバールはふたりを近くの建物の陰まで案内すると、誰も聞いていないことを確認して重々しく口を開いた。


「みんなには黙っていたが……ハインは孤児院育ちだが、実は王家の生まれなんだ」


 初耳だったふたりは絶句した。確かに、過去に何かあっただろうと勘付いてはいたものの、まさかそんなことだとは微塵も思っていなかった。


 だがここでとどまっていては何も進まない。多少納得はできないのを覚悟の上でヘルバールの説明を聞き続けた。


「その血筋を利用して、良からぬ連中がハインを祭り上げているんだろう。あいつのあの顔、見ただろ? 正気じゃない、きっと操られている」


「軍は動かないのですか?」


「ここまで大規模な集会だし、それにこれは明らかな国体への反乱だ。軍が動かないわけがない、すぐにここも危なくなる」


 ヘルバールの言葉に、ヴィルヘルムが大きく頷く。すでに彼はパーカース先生の恋人ではなく、市民と王家を守る軍人のヴィルヘルムの顔になっていた。


「俺にも出動命令が下るでしょうし、詰所に急ぎます。ヘルバール先生、ヘレンをどこか安全な場所に!」


 そして軽く一礼する。一瞬、彼は名残惜しそうにパーカース先生にちらっと一瞥したものの、次の瞬間には恩師のヘルバールに滾るような熱い視線を向けていた。


「ああ、とりあえず学校に向かうよ。きっと他の教員も集まっている」


「よろしくお願いします」


 足早に去るヴィルヘルムを見送ったパーカース先生とヘルバールは、ふたりそろって駆け足で魔術師養成学園に向かう。ここからは多少離れているが、車を使うほどではない。


 いや、この状況ではまともに車を走らせられるかどうか、わかったものではない。


 学校に向かう途中、街のあちこちでは同じような集会が開かれていた。だがそれはまだ穏やかな方だろう、一部の貴族の館や商館は集まった人々に取り囲まれている。中にはボルテージの高まった群集が暴徒と化し、扉や門を破って中になだれ込んでいる。


 どうにかしようにも、圧倒的な数と混乱では何もできない。ふたりはただひたすらに学園を目指した。


「ヘルバール先生……なぜ今のタイミングでこんなことが?」


「ここ最近、王都全体に不穏な空気が漂っていましたが、それがとうとう爆発してしまったのでしょう。王家のやり方を良く思わない者はどの時代どの国にもいます。そしてそういった連中が力をつけた時……国は取って代わられる」


 ようやく学舎が見え始め、ふたりはほっと胸を撫で下ろす。だが門を前にして、ふたりは呼吸が止まらんばかりの事実に直面したのだった。


「先生、あれを!」


 頑丈な鉄格子で封鎖された学園前には、既に多くの民衆が群れていた。


「ここは魔術を行使して平民を支配する輩の養成学校、つまりは階層の再生産を促す機関に他なりません。こんな場所は存在そのものが悪なのです」


 群集の中、誰かが先導するように叫ぶ。


「そうだ、こんな学校燃やしてしまえ!」


「魔術なんか無い方が国はうまく回るんだよ!」


 押し掛けた人々は既に理性を失っていた。鉄格子の向こうでは学園警備の兵士たちがじっと横一列に並んで罵詈雑言を吐き出す群集を睨みつけている。その中には回復術師科学科長のフレベル先生ら数名の教員らの姿も混じっていた。


 誰かが鉄格子を乗り越えんと手をかけた瞬間、流血の大惨事が起こるのは明らかだった。


「一見整合性の取れているようで、内実は矛盾した論調。みんな踊らされています」


 この状況でも冷静に分析するパーカース先生だが、今はそれどころではない。ここにいれば自分たちの身も危ないと、ヘルバール先生は彼女の腕をつかんだ。


「くそ、まだ軍は来ないのか!?」


 建物の陰に隠れ、顔だけを覗かせて吐き捨てる。


「ヘルバール先生、パーカース先生!」


 その時、背後からかけられた声にふたりはとび上がり、慌てて振り返った。だがすぐさま驚きは安堵に変わり、思わず歓声さえ上げそうになったほどだった。


「マリーナ! ナディアにイヴ! それにハーマニー!」


 立っていたのは回復術師科の3人、それから入学予定のハーマニーだった。ぜえぜえと息を切らす彼女たちも、避難先を求めてここまで走ってきたのだろう。


「ここは危険だ、今すぐどこか安全な場所に」


「そんな場所、もうこの王都にはありませんよ」


 ヘルバールの言葉をマリーナが遮る。すかさずナディアが続けた。


「私たち、行方不明になったハインさんを探して軍の詰所にいたんです。ですが、突然王都のあちこちで集会や襲撃が起こって。私たちのいた詰所も襲撃にあって……兵士はみんな銃で応戦するし襲撃部隊は詰所前にバリケードを築くしで、もう大混乱です」


「ハイン? あいつならさっき東の広場で新王として皆の前に立ってたぞ」


 ヘルバールがぱちくりと瞬きする。


「本当ですか!?」


 途端、少女たちの疲れ切った顔がぱあっと明るくなったかと思うと、全員が踵を返して元来た道を戻り始めたのだった。


「おい、どこに行く!」


 ヘルバールの声に、全員が振り返る。最初に返したのはハーマニーだった。


「助けに行きます。このままだとハインさん、反乱分子として殺されてしまいますから!」




 所変わってブルーナ伯爵領の外れには、古くも重厚な古城が聳えている。


 小高い山から平野を見下ろして早400年、ひとりの敵兵の侵入をも許さなかったここは現在、その堅固な造りから罪人の監獄として利用されている。内からも外からも、まさに防備は完璧だった。


 だがそれは白兵戦主体だったかつての時代の話。魔術銃器や砲弾の発達した現代において、その程度の地形と城壁など足止めにもならなかった。


「だめだ、共和国軍の本隊じゃ勝ち目はねえ!」


 城壁の上、迫りくる軍勢に次々と銃を見舞う兵士たち。地形としてはこちらが有利でも、圧倒的な数と最新鋭の魔術兵器で仲間は次々と倒れ、頼りの城壁にも巨大な穴が穿たれていた。


「あんな規格外の大砲、古い石壁じゃ持つわけがない。いいか、まずは……うぎゃ!」


 止めどなく撃ち込まれる砲弾の炸裂に、ついに城壁が崩れ落ちる。築城から400年、近隣諸国に睨みを利かせ続けた無敗の砦は無残にも陥落した。


 破壊した城壁から内部へとなだれ込んだ共和国軍は、たちまちこの監獄を占拠した。ここを新たな拠点として、王国征服の足掛かりにするのだ。


 だが目的はそれだけではなかった。松明を手にした兵士を先頭に、数名の兵士の護衛をつけながら、およそ戦場に相応しくない豪華な衣服をまとった貴族の男が、暗くじめじめとした牢獄の中をずんずんと闊歩する。


「やはりここにいたか」


 そして牢のひとつを覗き込みながら、にたにたと笑うのだった。


 そこにいたのはひとりの痩せた男、腕を壁に埋められた金属製の手枷に固定され、ぐったりとしている。そして何より、足先から顔にまで、全身に描かれた魔封じの紋章。明らかに他の囚人とは扱いが違った。


「共和国の……連中か」


 項垂れていたその男が、ゆっくりと頭を上げてぎろっと目を光らせる。空腹と疲労で身体が思うように動かないようだが、言葉だけで周囲の何人をも威圧せんという気迫に満ちていた。


「ああ、助けに来たぞ。ついに最終段階に突入したのでな」


 貴族の男がくいっと顎を突き出すと、お供の兵士が魔術を用いて格子を吹き飛ばす。そしてつながれた男の傍に駆け寄ると、その手枷も微弱な爆裂魔術を用いて破壊したのだった。


「おおい、俺も出してくれよ!」


 立っている力さえ残されていないのか、床に男が倒れ込むと同時に別の牢からも囚人が一斉に声を上げる。


 だが貴族の男は無情にも吐き捨てた。


「俺たちに用があるのはこいつだけだ。お前たちのような犯罪者は勝手に飢え死にでもしてろ」


 絶望が牢獄を包む中、全身に紋章を刻まれた男は、兵士たちに肩を出されて立ち上がる。だがその時、にやっと笑いながら言い放ったのだった。


「そうだ、知り合いがいるんだ。特別にそいつも解放してやってくれよ」


「まあ、あんたが言うなら……誰だそいつは?」


「フレイって奴だ。俺と同じで魔術の才能に長けている」


 そう話す男――イヴァン――の目は、松明の炎を照り返してぎらぎらと輝いていた。

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