第十一章 その5 おっさん、ついに真実を知る
王城に招かれたゼファーソン氏は途中で従者と引き剥がされ、単身で王妃の私室まで通される。
「王妃様、失礼します」
緻密な装飾に彩られた扉の先、世界各地の花の絵に囲まれた王妃の私室はまるで小さな植物園だった。
「突然呼び出してごめんなさいね」
淡い緑色のソファに深く座り込み、優雅にお茶を嗜んでいた王妃はにこりと微笑む。傍らに立つ奉公人の美しい少女も鮮やかなドレスに身を包んでおり、見た目だけでは使用人とは思えないだろう。
王女は細く艶めかしい手をすっと伸ばすと、向かいのソファに座るようゼファーソン氏に指し示した。
「まったくですよ。私は国王陛下の侍従であって、王妃様の下僕ではありませんからね」
「ふふふ、言ってくれるじゃない」
ぶつくさと不満を言えるのも王室と常に近くあるゼファーソン氏だからこその特権であろう。普通の貴族はもちろん、上流貴族であってもこれほど親密な会話ができる者は他にいない。
「けど、本当に主人の侍従だけが役割なのかしら? もしかしたら、他人には言えないようなこともやってるんじゃない?」
ソファに座り込んだゼファーソン氏に向かい、王妃はカップに口を当てながらぼそっと言い放つ。途端、ゼファーソン氏はぴくりと指先を震わせた。
「……何を仰るのです?」
「例えばそうね、主人にさえも黙っていないといけないような汚れ仕事。邪魔者の暗殺とか?」
ゼファーソン氏はごくりと喉を鳴らした。
ハイン・ぺスタロット襲撃に関しては完全に彼の独断であり、自ら内密に行ったことだ。すべては王家に要らぬ心配はかけさせないため、そして何より情報の漏洩を防ぐために。
歴史ある王家も決して一枚岩ではない。親戚筋の中には、王の座を虎視眈々と狙う勢力も多数存在している。そのような連中にハインの存在がもし知れ渡ったら、最悪内乱に発展するかもしれない。
「そのようなこと、私がやるわけないでしょう!」
「何を熱くなってるの、例えばの話よ? 本当にやましいことがあるのかと疑っちゃうじゃない」
悪戯っぽく笑う王妃に、ゼファーソン氏は言葉を詰まらせる。この王妃は普段純粋な子どものように振る舞っているものの、腹の内に何を抱えているのかわからない底深さを時に匂わせている。
「仮にあったとしても、王妃様に秘匿するようなことはありませんよ。国家の意志は最終的には国王陛下、ひいては王妃様に委ねられているのですから」
「そうね、この国を守るためなら辛い決断を迫られることもあるわ。きれいごとばかりじゃ国家の運営は成り立たないもの」
そう言って王妃は空になったカップを机の上に置く。すぐさま脇に立つ奉公人の少女がすぐさま別のカップにお茶を淹れ、今しがた飲み終わったカップを引っ込めた。
「ところでゼファーソン、あなた昨日の夜はどこにいたのかしら?」
注がれたばかりの新しいお茶を手に取りながら、思い返したように王妃は尋ねる。
「屋敷におりましたが」
「あら、おかしいわね。昨日城勤めの役人が繁華街であなたを見たって話を聞いたのだけど」
「人違いではありませんか?」
「そうよね、人違いよね。じゃないとあんな歩いてたら後ろから刺されそうなほど物騒な場所、ひとりで歩けるわけないものね」
ゼファーソン氏はカップを手にしたまま、固まってしまった。そしてにわかに服の内が汗ばむ。
この人は既に知っている。
「伯爵夫人か……」
ゼファーソンは王妃の耳に届かないほどの小さな声で呟いた。あの女は自分とも王妃とも顔を合わせており、さらに現在もハインを匿っている。
では、王妃はどこまで把握しているのだろうか?
うまく誤魔化して出し抜くことは可能か、それとも諦めてすべてを話すべきか。
「国王陛下をお守りするためならば、私は命をも賭す次第でございます」
「頼もしいわね。でもゼファーソン、内緒でこそこそやられるのは、こっちとしても居心地が悪いのよね」
ちらりと部屋の出入り口を見ると、既に若い女の使用人が扉の前に立ち退路を塞いでいた。いや、あの女も自分の抱える使用人と同じ、特殊な訓練を受けた王妃の護衛だ。単独ならそこらの兵士よりも強い。
「ねえ、教えてくれない?」
笑った顔の王妃だが、その眼だけは狩りをする獣だった。ゼファーソン氏にこの場を乗り切る方法は残されていなかった。
「どのようにして存じられたかは分かりかねますが……王妃様、この事実を知らなければよかったと後悔するやもしれません。それでもよろしいですか?」
観念し、カップを机に置くゼファーソン氏に王妃は「ええ、いいわ」と好奇心旺盛な少女のように返答する。
「国王陛下がお生まれになられたのは38年前。雷雨鳴り渡る嵐の夜でした」
そしてぽつぽつと話し出す。その話に身を乗り出して、王妃は聞き入っていた。
だがこの時、ゼファーソン氏は気付いていなかった。王妃の傍らに立つ少女が、通信用魔道具を後ろ手に持っていたことを。
「ハイン、覚悟はいい?」
ブルーナ伯爵家の別荘の一室、屋敷の中でも最も奥にある密会のための分厚い壁に囲まれた窓さえも無い小部屋の中。エレンとハインはふたり並んで小さな机を囲み、その上に置かれた通信用水晶から流れ出る会話に耳を傾けていた。
伯爵夫人はゼファーソン氏が何か行動を起こすとわかった直後に王妃に書状と通信用の魔道具を送り、事件後ゼファーソン氏を尋問するように頼んでいた。伯爵家の妻として、王家の命令に全面的に従うよりも、互いに協力関係を結ぶことを選んだ。王妃はゼファーソンの狙いを知るため、エレンはハインと領地を守るため、互いに利となる結果を望めば語り合わずともこうなったのだ。
ハインは無言で頷く。一言一句聞き漏らすまいと、伯爵夫人が手を添えて魔力を送り込む水晶にじっと目を凝らしながら。
「先代国王と先代王妃との間に生まれた国王陛下はそれは健康で、赤子の頃から将来は逞しく立派な男になるだろうと一目でわかるようなお子でした。ただ最大の問題は……その時生まれたのが双子だったことです」
「双子!?」
エレンは思わず口にし、ハインの顔をちらりと見た。そこには先ほどと同じく、両目を鋭くとがらせたままのハインの顔があり少しばかり安心した。
双子は多産の獣を連想させるので、古来より縁起悪いものと考えられている。特に高潔を美徳とする貴族ともなれば、身内に病を抱える者や忌み子がいればその存在をひた隠そうとする。双子はその典型だった。
「特に王家直系の第一子第二子が双子となれば、やがて後継者争いに発展するのは明らか。国のため、我々は後で生まれた方の子は諦めることを選んだのです」
なおも続くゼファーソン氏の独白に、ハインとエレンはじっと耳を傾ける。
「内密に殺害しようという意見もありましたが……私は非情になり切れなかった。私は知り合いの孤児院を運営する僧の元を訪ね、そしてその子を託したのです」
「その僧侶はまだお元気?」
王妃の声だ。
「いえ、つい先日亡くなりました。この事実を知る者はもう私以外、誰も生きておりません」
ここでついにハインは両方の掌で自分の顔を覆い隠し、肘をついた。そして「司祭様……!」と静かに、力強く言うと、太い指の隙間からぼろぼろと涙をこぼしたのだった。
「ハイン、気を落とさないで」
逞しい腕にそっと手を触れさせて慰めるエレン。だがハインは首を横に振り、手で隠していた顔をこちらに向けた。
その顔は涙に濡れてはいるものの実に晴れやかで、一切の迷いから放たれたような喜びに満ちていた。
「いや、違うんだエレン。僕はむしろ……ゼファーソン氏に感謝しているんだ」
呆気にとられる伯爵夫人だが、ハインはまるでそんなことおかまいなしに言い放つ。
「生まれたばかりでもしかしたら殺されていたかもしれない僕がここまで生きてこれたのも、ゼファーソン氏が情けをかけてくれたから。そしてぺスタロット司祭に託してくださったから」
やはりハインはハインだった。いかなる苦難にも打ち勝ち、それすらも前向きにとらえてしまう。
いつの間にか伯爵夫人の眼にも熱い涙がこみ上げ、気を散らした間に通信用水晶に魔力を送り込む手を止めてしまっていた。
「でも回復術師になるかどうかはまた別の話だ、そこだけは譲れない。君のためにも、クラスのみんなのためにも、そして……育ててくれた司祭様のためにも」
そう言ってハインは立ち上がると、密室の扉を開ける。その先で不安そうに待っていた少女たちを見ると、すぐさま「さあ、明日の試験の最後の追い込みをしよう!」と高らかに口にしたのだった。
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