白黒の少女は手招きする


「絵本の読み聞かせ、ですの?」

「うん。図書館の子ども向けイベントで、ボランティアの募集だって」

 槙野よろず書店の(相変わらず)お客のいない店内。レジに陣取るハジメは、詩織とクレエと暇をつぶしていた。なお、クレエは鈴木やメイドが気を利かせて友人の家に寄り道させた格好である。今は、回覧板にくっついてきた商店街自治会のチラシを囲んでいた。

「せっかく頼まれたのだから、やってみたら? お手伝いで」

「えーでも、ボランティアだからお金もらえないし、お店空けられないよー」

「閉めてなくてもお客さんこないでしょ、一緒よ」

「ひ-どーいー」

「ハジメさん、朗読はお得意ですの?」

 ひょっとしたら彼女にも強みがあるのでは、とクレエは口を挟んだ。

「ん~ん、やったことないよ。お母さんと一緒に読んだことはあるけど小さい頃だし。あとは小学校の国語の音読くらい」

「ああ……ハジメの音読ってやたら聞いてて眠くなるのよね」

 詩織は遠い目をする。

「まさか『ごんぎつね』聞かされて寝るとは思わなかったわ。悲しい話なのに」

「先生も寝てたね!」

「どんな読み方ですの、それ……?」

 首を捻るクレエ。

「クレエも聞いてみる? 」

「えっ……ええ。お願いします……?」

「じゃあ、何読もうか」

「その、読み聞かせの会の絵本はなんなの?」

 詩織に言われ、ハジメは手元のチラシに目を落とす。

「えっと、『かえるのおうじさま』だね」

「それなら、たしか古本のほうにあったわね」

 詩織が立ち上がり、店の奥に歩いていった。

「……店主より品揃えに詳しいんですのね」

「幼馴染だからねー」

「はあ……そういえばハジメさん、その『かえるのおうじさま』ってどんなお話ですの?」

「え、クレエちゃん読んだことないの?」

 ハジメはまじまじとクレエを見つめた。

「小さいころ母がおとぎ話をいくつか読んでくれましたが、そのようなタイトルは……」

 少しだけ懐かしむような表情してから、彼女は首を振る。

「もしかしたら、原題……というより元になった話のほうを読んでもらったのかもしれないわね」

 奥から、数冊の本を持って詩織が戻ってくる。

「こっちがよく見るほうの絵本で、こっちがグリム童話の元ネタがまとめてある本」

 ハジメに『かえるのおうじさま』の絵本を渡すと、詩織は分厚いほうの本を開いた。

「この本によると、元になった話は『鉄のハインリヒ』っていうんだって」

「ああ! それなら聞いたことがあります」

 クレエは顔を輝かせる。

「うわあ懐かしいなあ。読んでもらってる間に寝ちゃったっけ。」

 絵本を広げたハジメはひらがなの多いページを目で辿り、読み上げていった。


 お姫さまがお気に入りの金の球で遊んでいると、うっかり球を池に落としてしまう。泣いていたお姫さまに一匹のかえるが球を取ってあげるといい、その代わりにおうちに招き、一緒に晩御飯を食べて、お姫さまのベッドで一緒に眠りたいと言う。お姫さまは約束し、かえるに金の球を返してもらうが、かえるを無視して帰ってしまう。

 晩餐の席に現れたかえるにお姫さまは気味悪がって追い出そうとするが、王さまは約束は守りなさいと言う。しぶしぶ食事を共にしたお姫さまに、かえるはお姫さまと同じベッドで寝かせてくれと言う。嫌悪感と怒りでお姫さまはかえるを壁にたたきつけるが、そのときかえるに掛けられていた呪いが解け、王子の姿に戻る。王子さまはお姫さまに求婚し、二人はいつまでも幸せに暮らしましたとさ。


 という内容を、ハジメはゆっくり読み上げた。

 10分後ハジメが目を上げると、目を閉じて舟を漕ぐ詩織と、辛抱強く聞きながらも目をこするクレエが見えた。

「こ、これは……確かにダメですわね。お子さんたちが居眠りしてしまいますわ」

「そんな~」

 ハジメは肩を落とした。

「ね、だから言ったでしょ」

 よだれを拭きながら詩織が応じる。


「元のお話では、この後、王子の忠臣のハインリヒが二人を迎えに来るのですが、彼が悲しみを抑えるために巻いていた鉄のたがが喜びで弾けていく、という終わり方をしていましたわ」

「へー」

「でも、考えてみたらよく分からない話よね。呪いでカエルになったのが、怒ったお姫さまに壁にたたきつけられた衝撃で解ける、なんて。それで結婚してめでたしめでたし、っていうのも……」

 眠気から解放された二人は、コーヒーを飲みながらしゃべり始めた。ハジメはレジに陣取っているが、相変わらず来客はない。

「それもそうですわね。彼女でなければいけなかった必然性は無いように思えます。彼女がそれこそ古代の強力な魔導術士ならともかく」

「……いや、それも何か違うと思うわ」

 やや微妙な表情で詩織がコメント。

「テレビでやってたアニメ映画見てたら、お姫さまがカエルにキスしたら治ってたねー。ちっちゃい子はそういうイメージなのかな」

「それ、『美女と野獣』か『白雪姫』あたりと混じってないかしら。まあ、キスで魔法が、ってロマンチックだし、女の子が生き物をぶん投げるのって教育上良くないってことかしら、大人の事情ね」

「キスで魔法、かあ。いいねー」

「アンタはキスで体育館を冷凍庫にしたわね」

「あれはもうやめて欲しいですわ」

 そろって冷ややかな目を向ける二人。

「うう、二人とも、わたしにダメだしするときだけ仲良くするのやめてよー」

「何を言っているのですか! 今日のような出来では期末考査の実技は赤点ですわよ?」

「ううぅっ、テスト……」

「じゃあ、そろそろ始めましょうか、ハジメのテスト対策」

「今日もやるの~?」

「当然です! ひと月先だからと油断していたらハジメさんは絶対勉強しませんからね」

「鬼が二人いる~」

「「誰が鬼よ(ですの)!?」」

「うわ~ん‼」




「マリオネット……シアター……?」

 菜帆は飾り文字のタイトル、恐らくドイツ語のものを読み上げる。どこか恐ろしさと、不思議な魅力を感じた。

 白黒の店主はにやにやしているばかりだ。恐る恐る表紙、中表紙をめくる。古びた羊皮紙には細かい魔術文字のアルファベットがびっしりと敷き詰められており、目眩がしそうだ。

「こ、これいったいなんの魔導書なのっ」

 夏樫は笑みを消した。途端に菜帆は不安に駆られた。

「きっとお嬢ちゃんなら気に入ると思うで」

 滑るように菜帆の体の反対側に移り、歌うように呟く。

「周りのみいんな、わたしの気持ちわかっとらへん、こんなに困っているのに、大変なのに」

 低かった彼女の声は高く、美しくなって細長く狭い古本屋に響いた。

「どうかお願い、少しでいいからーー」

 そこで彼女は踊るように身を翻し、

「わたしの思い通りに動いてちょうだい」

 白い手で、さっと菜帆の手の中ーー本を示す。

 あっけに取られて見つめていると、まじめくさった顔をくしゃりと崩す。

「なーんてな。ようはそういう魔術が使える魔導書や」

「えっ……でも、それって……」

 他人の心の中身を扱う魔術、魔導書はおいそれと使用出来るものではない。厳しい法規制があり、原則治安維持・犯罪捜査を目的とした公的機関の、専門の訓練を受けた人間にしか許可が降りず、一般の学校、企業では教えたり目にすることもない。

 小さな子供が大人にきちんと育てられれば身につくルールーー「ひとのものを盗まない」「知らないひとについていかない」と同じように、誰もが知っている。「禁止されている魔術を使ってはいけない」。

 学生の間や、ネットでは、一般人は使用禁止とされている魔術をこう呼ぶ。

「黒魔術……」

 黒魔術を使えば法律違反ーー学生の身分なら補導、最悪の場合退学。魔術をカリキュラムに取り入れる学校は校則にはっきりと禁じてある。

 夏樫も、それを知らないはずはないのに、何故自分の店に黒魔術の本を置いているのか。

 そしてそれをどうして、たまたまやってきた自分に差し出してくるのかーー。

「こ、これって、禁書だよね。だ、だめだよー夏樫さん、こーいうのは警察に届けないと」

 かろうじて笑顔を作って本を返そうとするが、夏樫は笑ったまま、目をじっとこちらに向けてきた。

 大きな瞳の、黒すぎる黒さに、菜帆は目をそらせない。

 沈黙。

「あ、あのっ」

「こいつを使うも使わへんも、お嬢ちゃんの自由や」

 夏樫は静かに呟いた。

「せやけど、きっとお嬢ちゃんの問題を解決できるんは、コレだけや」

「えっ……」

「その本のお代は、そうやな、後払いにしたげるわ。もしいらんと思ったら使う前にうちに返品してくれたらええで」

 なおも躊躇う菜帆の背中を、なだめるように叩く。

「だいじょーぶや、持っとるだけでおまわりがきたりせーへんって。それじゃあ、そろそろお帰り」

 そう言って彼女は魔導書を菜帆の手に戻すと、先に立って店のドアを開けた。

「わたし、どうやってここまで来たのか分からないんだけど」

「そこの突き当たりまでドーンと行って、左向いて車道まで出て、そっから電波塔の見えるほうにずーっと行ったら知っとる道に出られるはずやで」

 身振りと擬音語を交えて説明すると、夏樫孤々奈は引っ込んで扉を閉めて閉まった。黒いドアにはいつの間にか「CLOSED」の札がかかっている。

「ええ……」

 いぶかしみながらも、仕方がないので魔導書をバッグに仕舞い、言われた通りに歩を進める。拍子抜けするほどあっけなく、目の前によく見知った国道沿いの街並みが現れた。

 日の暮れた路地裏、怪しげな古本屋で起きたことなど何もなかったかのように、暗い車道を行き交う自動車のライトが流れていく。

(夢か幻、だったんじゃ……)

 だが、肩ひもには確かに、ずっしりとしたハードカバーの重みがあった。

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