買うならハードカバーですっ!!

地崎守 晶 

はじめに

「本は如何ですか~秋の夜長のお供に素敵な本は如何ですか~?」

 少女の声が、赤い葉が散らばるばかりの商店街に虚しくこだまする。彼女の背後には両隣の建物の間に無理に差し込まれたような古ぼけた店の入り口。彼女に寄り添って立つ、塗装も剥げて錆だらけのマガジンラックには二週間遅れの週刊誌がへばりついている。

「如何ですか~、あ、そこのお兄さん!投資のいいハウツー本入ってますよ、見ていきませんか!?えっ間に合ってる? そっかー……」

 安食堂を求めて迷い込んできたストライブスーツの中年に声をかけたが、まるで相手にされない。そもそも声を張り上げて客引きをする書店など前代未聞である。そうこうするうち、アーケードの破けた隙間から覗く空は群青色になった。

「あーあ、今日もお客さんゼロかあ……」

 高校の制服に店のエプロンをつけた少女は、閑古鳥の大繁盛にうなだれる。

「バイト代今月も無理かなあ……新しいパーカー……」

 従業員は彼女一人。店長は無期限出張中である。

「宿題やだなー、これで一冊でも誰か買ってくれればいいのに」

 一人の店番は独り言とため息の温床らしい。彼女は入り口を潜り、エプロンを椅子に投げ、古めかしいレジスターに立てかけておいた鞄と分厚い書物を手に取った。相当重いらしく、顔をしかめている。

 店の前に出ると、片手で抱えながら黄ばんだページをめくり、栞を挟んだところを開く。銀の栞を手にとって、印をつけた記述をなぞりながら、口を開いた。

「ーーーー」

 唇からこぼれた言葉はこの世のものではなく、明確には聞き取れない。しかし彼女には気軽な動作だ。店内と在庫の山を照らしていた白い灯りが消える。彼女は別の記述を読み上げると、ガラガラと音を立てながらシャッターが下り、施錠された。本を閉じ、革のベルトで閉じると、小脇に抱えて歩き出す。

「あーあ、今日ももやしか……」

 財布の軽さを嘆き、本日何回目か分からないため息をついたそのとき。

 じゃり、という、背後で誰かが足を止めたような音。少女の白い髪から飛び出た耳がぴくりと震える。

「あっ何かお求めですか! 今開けます待ってて下さい安くしときますぜひ買ってって下さいハードカバーがおすすめですよ長持ちしますから絶対」

 まくし立てながら振り返るーーが、待ちわびた姿はそこになく。

 「お前なにいってんの?」という顔をしてこちらを見上げている黒猫と目があった。

「なーんだクロスケかあ」

 肩を落とした少女のハイソックスの足に猫がすり寄り、前足を繰り出す。

「あーもう何でうちに来るの。もっとお金あるとこいけばいいでしょ、ゲンさんの八百屋とか」

 だが猫は足下にまとわりついて離れようとしない。こうなったらどこに歩いていってもついてくるだろう。

「しょうがないなあ。じゃあ一番安いので我慢してよね」

 諦めた彼女は、左手に抱えた魔導書をバッグに詰めると、商店街の出口に向かって歩き出した。その後を尻尾を揺らしながら黒猫がついて行った。

 

 しばらくして。シャッターを揺らす風に吹き付けられるように、黒いローブの男が書店の前に現れる。フードの影になって、口元から上は見えない。

 施錠を確かめるようにシャッターを数回押すと、口の端を釣り上げる。おもむろに懐から取り出したのは、少女のものとは異なる、文庫本ほどの大きさの魔導書。店に向けてかざすと、ページとページの間から鈍色の光が漏れ出す。

「やはりここにあったか」

 満足げに呟くと、男は魔導書を持った手をローブの奥に戻し、踵を返す。

 再び枯れ葉混じりの風が吹き付けると、彼の姿は最初からいなかったように消えていた。


「槙野よろず書店」の看板だけが、素知らぬ顔で全てを見守っていた。


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